2005/03 - 2005/03
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Mariaさん
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2003年スペインでセルビア人2人と出会った。
Work CampというNGO団体に所属していた自分はスペインに観光手伝い(要するにボランティア)という形で2週間Campに参加したのだ。
その時のメンバーの中の2人。セルビア人。
「ドコカラキタノ?」
「セルビアトイウクニダヨ」
その瞬間「え?どこ?」と地図が頭に浮かばなかった。出会う外国人の大抵の国はどこにあるかが想像できる位の知識はあったと思う。しかし全く検討がつかなかった自分の無知さが恥ずかしかった。
それから2年間経った今年。私の知らなかった国、旧ユーゴスラヴィアの一国セルビアモンテネグロについてその2年間で少し勉強をした。
現在も続くコソボ内でのセルビア人とアルバニア人の抗争。大セルビア主義を広げようとして行ったセルビア人の悪行の数々、しかしNATOの採った悲しい空爆という選択。民族、宗教、言語、文字すべてにおいて統一性のないバルカン半島。
2005年スペイン留学中にセルビアに遊びに行くことに決めた。
3月なのでまだすごく寒かったが、ハンガリーから電車で6時間、1人旅決行!
ハンガリーから国際列車(なのか!?というような古い)に乗り込みコンパートメントを1人で占領。人がいない!人がいない!人がいなーい!
(どこで降りるんだろう・・・)と不安になりながら1人の旅を楽しんだ。右を見ても左を見ても雪景色。木も生えそうにもない平地。
しかしハンガリーの国境を越えてセルビアに入った瞬間、セルビア人が沢山乗り込んできた。私のコンパートメントにも6人のおじさんが突入・・・。
(ここ、6人用なんですけど!?)
とツッコミを入れる前に、ぎゅうぎゅうになりながら笑顔のおじさん達は座りこんだ。そして座るやいな『禁煙』というマークを背に全員がタバコを吸い始める。もちろん私にも勧める。「ファーラ(ありがとう)」と言って頂いたが内心ドキドキ。そこへ車掌さんが切符拝見(のハズ)の為やってきた。わぁ怒られる・・・という私の心配をよそに若い彼は、
「ドアを閉めてると煙がこもって臭いだろうから開けておくよ。僕も吸っていこうかな!」とつたない英語で言ってくれた。
(ちなみにセルビアはヨーロッパ一の喫煙国らしい。)
なんて言う国だ。
皆英語ができないため、通じ合えるわけもないが、なぜだか笑いが絶えなかった2時間。車掌さんも私が降りるまで立ったままいました。バルカン特有の明るさと、好戦的さがセルビア人、というがあながち固定概念ではないのかも。楽しい気分で、また降りる駅を教えてもらえ不安がなくなりNovi Sadという駅で降りることができた。
Novi Sadで降りるやいなや友人2人の熱い「ウェルカム」に迎えられた。
2年前には知らなかったこの国。私は今足をつけている。
NoviSad(ノビサド)があるのはボイボディナ地区であり、セルビアの中でも裕福な地方である。しかし現在でもNATOに空爆された橋など悲しい跡がドナウ川に垣間見る。
私の友人達は比較的に裕福な家庭に育ったためか、あまり西欧の暮らしと変わらない生活をしていたように見える。ご家族の方にも多大な「ウェルカム」も受け非常に楽しい暖かい5日間を過ごした。
ただ彼らと話して感じる気持ち。
なんて悲しい国なのだろう。
「俺らには明日という希望がないんだよ。」
「明日、この国があるかわからないからね」
「仕事もない、やることもない、そんな退屈な毎日で飲むこととタバコ吸うことが楽しみだった。」
「今楽しまなきゃ!だって明日はあるかわからないのよ。」
「セルビアの貨幣は信用がないから給料はユーロでもらうんだよ、笑えるよね。」
「ヨーロッパの新聞で各国の名前を挙げて紹介する際、いつもセルビアの名前が抜けてるの。嫌われ者だから・・・」
なんて悲しい国だろう。
明日に希望がない、そんな境遇におかれている人が日本にいるだろうか・・。明日国がないかもしれないという境遇におかれている人々がどこにいるだろうか。
彼らの沢山の友人達も同じように言っていた。
「日本?絶対行ってみたいけど、ビザが本当に下りないんだよ」
日本に来たセルビア人の女の子は、セルビアではとても裕福な家庭の女の子。でも日本ではクレジットカードも認証してもらえない国の女の子。
あんなに暖かい人柄のセルビア人。大好きなのにとっても悲しい。
「トイレ行きたいな・・・」
「え?今外だよ、我慢しなよー!」
「そこの教会の裏でしてきなよ。」
「OK行ってくる」
これはある晩皆で踊りに行った帰り道。
もちろん教会はカトリックの教会。彼らは手を3本持つマリア様のセルビア正教を信じる。
オーソドックス(ギリシア正教)。
こんな日常にまで争いの足跡が残っている。
沢山のセルビア難民がコソボに現在も暮らしている。学校も行けないで、水道をひいてもアルバニア人に切られてしまう村に住みながら。91年諸国独立後、ユーゴスラビア問題は過去の出来事になってる人が多いだろう。しかしまだまだ現在も明日に希望が持てないまま、国のみ小さくなったセルビアモンテネグロ。
なぜ民族なんて、国境なんて、宗教なんてあるのだろう・・・と考えてしまう3月だった。
セルビアに行く直前。ヨーロッパの友人からは
「セルビア?どこだっけそれ・・・」
「セルビア?あそこはヨーロッパじゃないわよ」
(ちなみにスペインポルトガルもバルセロナ以外はアフリカだと言うギャグがある)
「まだ紛争が終わってないわよ!危ないわ。撃たれるよ!」
ヨーロッパからも総スカンをくらう国。セルビアモンテネグロ。
冬は濡れた髪も凍るほど寒いが人々が温かいクニ。
今度は夏に行くね、と約束してベオグラードからセルビアを跡にした。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- きゃんさんさん 2005/12/12 21:52:57
- 一面で語れない真実
- はじめまして。セルビアモンテネグロ
の旅行記を拝見致しました。バルカン半
島はいつか訪問しなければいけない、と
思っている土地なので、あの紛争でセル
ビア側、クロアチア側、ムスリム側の功
罪をしっかりと見つめる上でMariaさん
の寄稿文は貴重だと思います。
ミロシェヴィチを国のリーダーにしな
ければいけない理由がひょっとしたらあっ
たのかもしれないですね。
- Mariaさん からの返信 2005/12/15 11:37:47
- RE: 一面で語れない真実
- どうもありがとうございます。
バルカンの悲劇について知識がない、興味がない人が多い中、
旅行からのアプローチで私はその土地を知りました。歴史的側面
から、宗教的側面から、食べ物から、何からでも良いので
1人でも多くの人に元&現在の火薬庫を知ってもらいたい思いで
文章を綴りました。
初めて書き込んでくれた方が、それを少しでも気に留めて頂いた
ということが嬉しかったです。
いつか行ってみてくださいね。
コソボが独立すると言う形でもいいから現在の悲しい紛争が
終焉することを願っています。
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