1999/03/04 - 1999/04/04
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ハイペリオンさん
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ホイアンは、昔の町並みが残るところとして知られている。狭い路地に瓦屋根の家が軒を連ねていて、端から端まで歩いても数百メートル程度の広さが、逆に昔のアジアの街というのはこれくらいの大きさだったんだろうという想像がふくらむ。ベトナム側の宣伝も行き届いているのか、この小さな街は白人旅行者であふれかえっていた。街の人々も旅行者に不快な気持ちにならないような対応を心得ている。しかし、こうなると見せる方としては昔の街というのをやや過剰に演出したくなるものだ。みやげ物屋の柱や板が焦がせて黒くすることで古臭さを出していたり、意味もなく漢字の看板を掲げてあったりと、観光地特有のあざとい演出が僕にはかなり鼻についた。日本で言えば、白川郷や倉敷みたいなものか。僕はすぐにここが嫌になり、とっとと出て行きたかったのだが、いくつか絶対に見たいものがあった。そのひとつが表紙の写真の来遠橋である。
朱印船貿易華やかなりし頃の16世紀から17世紀にかけて、ここには千人以上の日本人が住んでいたと言われている。朱印船の3分の1以上がここへ来航したと言うから、ここホイアンに日本人居住地ができたのも当然の成り行きと言えるだろう。その日本人たちによって建てられたのがこの来遠橋なのだ。しかし、どう見てもこの橋は、周囲の家屋同様中華様式の建築物だ。日本人の手によるという説はかなり怪しいと僕は感じている。
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橋の内部の両端には、犬と猿の像が置かれている。しかし、なぜ犬と猿なんだろう。
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前述のように、外観は完全な中華様式だが、この二つの像のシンプルな作りは、いかにも日本人が作ったように思える。余計な装飾を排除した様式に、思わず日本を感じた。
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宿で借りた自転車にまたがり外に出た。この街にあるという日本人の墓を探すのだ。しかし、全くあてはない。「郊外にある」という情報しか僕は知らないのだ。腹ごしらえに屋台でハムサンドのバインミーを食べた。食べ終わった頃、二人の少年が話しかけてきた。「日本人の墓に行くの?」「そうだけど」「ここから真っ直ぐだよ」 少年のひとりはこの先の中国寺の右にある細い道を指さした。礼を言い、彼らの言った方角に走り始めると、彼らも自転車に二人乗りでついてきた。案内してくれるというのか。渡りに船だ。林を出ると水田地帯となり、三人であぜ道を走った。彼らは十六歳だと言うのだが、僕にはもっと幼く見えた。十五分ほど走っただろうか。水田のど真ん中にブロックで囲まれた二坪ほどの土地があり、そこにひとつだけ墓があった。金網の扉があり、きちんと保存しようとしてくれている気持ちが何となく嬉しい。
墓は僕のひざふとももくらいの高さの石で、「太郎兵衛」という文字だけはどうにか読み取れた。
周囲の景色は日本の農村地帯そっくりで、実家に戻ったような感じがした。
ここで亡くなった日本人たちは、どんな気持ちだっただろう。望郷の念が強いまま死んで行ったのだろうか。あるいは、気候が温和で食べ物が豊富なこの地で、何も思い残すことなく死んでいったのだろうか。
墓石に触れた時、数百年前の日本をほんの少し覗いた気がした。 -
墓を見た後、少年たちの案内で別の道から帰った。帰りのほうが楽だった。途中、小さい方の少年が一軒の家を指さし「僕の家だよ」と言った。コンクリートで作られた小さな家だが、ベトナムの一軒家らしく、美しい垣根に囲まれていた。
彼らが喉が渇いたというので、ジュースを二本づつおごってやった。合計四万ドン。二五〇円とは、安いガイド料だった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- someさん 2017/11/05 20:18:58
- 鎖国がいいのか悪いのか
- こんばんは ホイアンの橋の犬と猿は
確か申年に作り始め戌年に完成したからって聞きました。
好奇心が強く海洋国家の日本人は結構お外に出かけていましたが、
徳川幕府の鎖国政策によって帰るに帰れなくなった人々が多かったとか
鎖国によって疫病が入らなかったり日本独自の文化が発展したりといい部分も多かったんですが、帰れなくなった人々の悲しみはさぞかし深かったでしょう
ホイアンの建築様式私も中華テイストが強いと感じましたが
屋根と柱の組み方?が日本風なんだとか
ホイアンに取り残された日本人ベトナムに馴染んだのか
こっそり長崎や鹿児島あたりに帰ってきたか 気になります。
- ハイペリオンさん からの返信 2017/11/07 11:24:28
- RE: 鎖国がいいのか悪いのか
- こんにちは。古い旅行記を見ていただき、どうも
ありがとうございます。
このころは4トラを始めて間もなく、旅に出るこ
ともなかったころなので、昔銀塩カメラで撮った
物をデジカメで撮影し、アップしていました。
ホイアンは日本人ゆかりの地で、興味深いものが
多いのですが、観光地特有のあざとい演出が多く、
あまり好きになりませんでした。もっとも、日本
人旅行者や外人さんば大好きみたいですが。
日本で言うと白川郷や倉敷みたいな感じでしょうか。
> ホイアンの橋の犬と猿は
> 確か申年に作り始め戌年に完成したからって聞きました。
なるほど、そういうことだったんですか。
> 屋根と柱の組み方?が日本風なんだとか
屋根のデザインは完全に中華風ですが、構造は日式
なんですね。それにしてもよくご存じですね。
> ホイアンに取り残された日本人ベトナムに馴染んだのか
> こっそり長崎や鹿児島あたりに帰ってきたか 気になります。
ホイアン郊外に日本人の墓があるのですが、その墓
の人は一度帰国したものの、ホイアンに残した女性
が忘れられず、戻ってきたということになっている
ようですね。
あの辺は台風なんかの自然災害が多い場所ですが、
気候はいいので、そのまま居ついてしまった人が
多いのではないかと考えてしまいます。
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- 井上@打浦橋@上海さん 2006/07/05 05:36:44
- ベトナムってのも面白いんでしょうね
- ハイペリオンさん、どうも。
私のところへの訪問有難うございます。
ハイペリオンですかぁ・・・
ハイペリオンと言えばチャイナロック・・・そしてタケシバー、ハイセイコー。
力強い馬が多かったです。
ハイペリオンさんも、競馬ファンと言うことですね。
私はハイセイコーの前年からやりだし、競馬暦30年以上。
競馬が出来ないところへ、ということで上海に住んでいます。
でも、勿論、上海でも時々やっています。
メイショウサムソンが勝った皐月賞の3連複、347倍も取りました。
競馬の話は、この辺で・・・・
ハイペリオンさんはベトナムやらタイが好きなんですね。
中国でも日本のルーツと言うものは、色々な部分で少しずつですが
感じられますが、ベトナムやタイなどでも、それは感じられたりするんでしょうね。
ホイアンの日本人居住地と言うのは初めて聞きましたが、
非常に興味深いですね。
また、地べた将棋ですが、上海の道でも、見かけたりします。
ハイペリオンさんの写真を見ますと、
ベトナムの将棋は、中国の将棋に近い、あるいは、
殆んど同じなのかなと、思えてきます。
上海の地べた将棋の様子は下記をご覧ください。
「天津路は南京路の北の裏道なのだ!!」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10068854/
ベトナムと中国の関係は、日本と中国の関係より、
もっと濃い繋がりがあるんでしょう。
文化は置いておきまして、
気質などは中国と日本は大違いだと思っていますが、
中国とベトナムは相当近いのかと思っています。
では、長々失礼しました。
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