2005/11/19 - 2005/11/19
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enyasuさん
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2005年11月19日(土)、1994年から付き合いのある延辺大学病院内科医の老朋友Kさんと夕食を共にしました。
彼女の紹介で現在の会社で仕事をしているのですが、この日は夜勤明けで疲れている中、家族全員を食事に招待してくれました。Kさんには本当にお世話になっています。
食事をしたお店は市の中心に近い、参花街沿いにある“慶喜宮”というレストランです。外からは本当に目立ちません。ですが、雰囲気、サービス、高級感といい延辺でベスト10に入るレストランだと思います。この日も延吉市長さんが来られていました。
搗きたての御餅もサービスで食べることができゆっくりと過ごす事ができました。
旅行記後半では、今回のテーマ“私と延辺との出会い”について紹介しています。
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19日(土)午前中に老朋友から電話があり夜食事をしようということになりました。
午後は何をしようか考えていたところ、日本人の友人Yさんから電話があり、久しぶりに会おうということになりました。Yさんは延辺を拠点に活躍するビジネスマンです。13:00に時代広場近くの成宝ホテル6階で待ち合わせすることにしました。
なぜここで会うことにしたのかというと、共通の知人Dさんがもうすぐこの場所に本格的日本料理店をオープンさせるからです。そのお店を見るために待ち合わせ場所を成宝ホテルにしました。
社長のDさんと少し話をしたのですが、ものすごく忙しいようでしたので、お店のスタッフの方数人と挨拶をしたあと、また日を改めて来ることにしました。
この日本料理店については後日紹介したいと思います。 -
さて、成宝ホテルをあとに向った先は、
成宝ホテル ⇒ 延辺物産店 ⇒ ピアノ販売店
Yさんの友人が最近日本から輸入したピアノを販売するお店をオープンさせたようで、そこに行くことにしたのでした。 -
ヤマハ、河合 ピアノがずらりと並んでいました。
この場所2階ではピアノ教室も開いているようです。
このピアノ販売店については、クチコミ『延吉 芸聖鋼琴行・培訓中心 ピアノレンタル、学べます』を御覧になってください。
この後、狗肉街辺りでYさんと別れた後、自宅に戻り少し休憩。その後、老朋友の待つレストランに家族全員で出かけました。 -
5時に待ち合わせ、店内では餅つきをやっていました。
このお店についてはクチコミ『延吉 慶喜宮 韓国料理の高級料理店です』を御覧になってください。 -
娘は御餅のできるのを興味深そうに見ていました。
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出来立ての御餅です。
ここの料理はどれもとてもおいしかったです。
なによりも服務員がよく教育されていて、挨拶、接待がとても上手で気持ちよく食事をさせてくれました。 -
老朋友のKさんとの出会いは1994年なのですが、ここで私と延辺との出会いについて少し紹介したいと思います。
Kさんは彼女のおじさん(彼女とも年が近いです)が紹介してくれたのですが、私と延辺(朝鮮族)とのつながりは、その彼女のおじさんとの出逢いが始まりでした。
1991年、私が旅行会社の中国室で仕事をしていた時、毎日中国ビザ申請のため、中国大使館に出かけていました。
ある日、パスポートの受領後のチェックで大使館内で書類を整理していた時に、私の隣に一人の中国人が座りました。
その直前に大使館員と仲良く話をしていたので、この人何をしている人だろうかと興味を持ち声をかけてみることにしました。
話をしてみると、その人は長春出身のお医者さんPさん(男性)、某大学院博士課程で医学を学ぶ朝鮮族留学生でした。
この時が、私にとって初めての“朝鮮族”といわれる人との出逢いでした。
この時は、30分ほど話をしたのでしょうか?記憶がはっきりしないのですが、お互いの連絡先を交換したことだけは覚えています。
以後、何度か食事をしたり、Pさんの研究室を訪問したり、ある時は結婚相手(Pさんいわく『中国のきれいな女性』)を紹介しようかと言われたこともありました。会うよう何度も薦められたのですが会いませんでしたね。会っていたら人生どうなっていたのか???まあ変わらなかったと思いますが・・・
当時現在の家内と出会ってすでに4年、翌年結婚しましたからね。
そして、93年頃ごろでしょうか。Pさんから一つの頼みごとをされました。それは私の父に、親戚の延吉の女の子Mさんの保証人になってもらえないかと言う話でした。
父は当時海外に何度も出かけていましたし、それまでも台湾、中国の友人を私が自宅に連れてきたこともあり、私の話を理解してくれ、こころよく引き受けてくれました。
その後、書類審査も無事に終わり、Mさんは無事に入国。少し先に日本に来ていたお姉さんKさん(今回一緒に食事をした老朋友)と東京で一緒に生活することになりました。
Mさんは現在、東京で日本人のだんなさんと幸せに暮らしています。
ですが、私と延辺をつなげてくれたPさんが今どこにいるのかわかりません。Pさんの妹さんはアメリカ、お医者さんのお父さんは青島にいらっしゃるということは確認しているのですが・・・
この日の食事でもKさんにこの件を聞いたのですが、まだわからないようでした。
それにしても、人生って本当に不思議ですね。隣に座った人に声をかけたことで、その先の人生が変わってくるのですから。
私と延辺との出会い、その背景には、上記のようなことがあったのでした。
Kさんご馳走様でした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- がまだす@熊本さん 2005/11/24 20:25:09
- 真の交流をお続けになるenyasuさんが、眩しく思えます。
- KさんPさんとの出会いの心温まるエピソードを読ませていただき、胸熱くこみ上げるものがありました。
現在日本政府間では中・韓・北朝などと軋轢を生じております。
その一方では、enyasuさんのように個々のつながりをいつまでも大事にされている方も多々存知ております。
人は金満になりますと過去の恩を忘れ去り、ややもすれば貧困の恩人に対しても目線下で見つめるようになります。
「井を開いてきれた人は、生涯の恩人」、言葉尻が多少違っているかもしれませんが、確かこんな感じの中国諺があったようです。
中国の沿岸部地方では、もう私語になりつあるのでしょうか?
私は、enyasuさんお住まいの内陸部の鄙びた都市も集落も人も好きです。
いつまでも、こうあって欲しいものですね。
- enyasuさん からの返信 2005/11/29 10:49:37
- RE: 真の交流をお続けになるenyasuさんが、眩しく思えます。
- 真の交流〜といわれると恥ずかしいですね。
私が延辺で交流している人は、当地の人の基準から比べるとそんなにも多くはないのですが、出会った人とはよく交流しようと心がけています。
こちらの“よく交流するという基準”にはまると、毎晩帰宅が12時という生活になってしまいます。毎晩飲みに行く中で、少しづつ友人の輪が広がっていくのですが、とてもついていけそうにありません。
私には、酒なしお茶のみ交流があっているようです。
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- バカボンさん 2005/11/21 17:07:24
- 縁分
- enyasuさんは旅行社に居られたんですか。
実は私も旅行社におりました。
93年から96年までは東京で勤務しておりましたので、どこかで
お会いしてたかも知れませんね。
中国人はよく「縁分」という言葉を使いますね。
わたしも96年に北京に赴任したのですが、その7年前に上海へ赴任しないかという話がありまして、家庭の事情で断ったのですが、その時上海に赴任していたら今頃は上海に居ると思います。
でも北京に来て、北京が好きになってまたきてしまいました。
これも「縁分」ですね。
今の会社の社長は私が駐在していた当時国際旅行社から事務所に派遣されて来ていて秘書をしていた女性です。
縁とは不思議なものですね。
- enyasuさん からの返信 2005/11/21 22:43:56
- RE: 縁分
- バカボンさんへ
現在の会社の社長さんが、元の会社の秘書の方、本当に縁分があるんですね。人と人はどこで結びつくのか・・・不思議ですね。
バカボンさんは北京と深い深い縁分があるようですので、ぜひ旅行記で北京の誰も知らないお薦めのスポットを紹介してください。楽しみにしております。
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