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ブダペスト観光3日目(2004年7月7日)<br /><br />明後日のウィーン行きの国際列車、ユーローシティの切符を先に買っておこうと思いました。明後日の朝、時計とにらめっこしながら、重い荷物を持ってうろうろ切符売り場を求めて駅構内を歩き回るのは、できれば避けたかったのです。切符の購入と座席の予約は、ハンガリー最大手の旅行会社IBUSZ(イブス)の支店に行けば買えるでしょう。この支店は、ことにブダペスト市内のあちこちにあるようですが、ヴェレシュマルティ広場にある支店なら、この広場へは何度か行ったので地図を頼らなくても行けそうです。それに、今日の観光ハイライトの美術館に行く前にヴェレシュマルティ広場に寄っても、さして寄り道にはなりません。<br /><br />ところが、ヴェレシュマルティ広場のIBUSZでは、国際列車の切符を扱っていませんでした。えーっ、そうなのぉ! 旅行会社なのに、おっどろき! ───でも、すぐ近くにあるカールソン・ワゴン社 (Calson Wagon Ltd.) でなら手に入ると教えてくれました。<br /><br />IBUSZでさっさと切符が手に入らなかったのが、幸運だったのか、不運だったのか。いや、幸運と思うことにしましょう。なぜなら、カールソン・ワゴン社の隣の建物に、「ワルツとオペレッタ・コンサート、毎週水曜日と土曜日!」という立て看板を見つけてしまったからです。水曜日っていえば今日です。そして今晩は、ナイトライフの予定を入れていません。なにしろ明日は現地ツアーでプスタに行く予定です。寝坊できません。それに、すでにブダペストに到着して3日にして、バレエ・ガラ公演に民族舞踊のコンサート、2つも見ているのです。なのに、この上また、コンサート!?―――ちょっと迷いましたが、いいな、と思ったら、もう誘惑から逃れられることはできませんでした。チケット代は6,500HFU(約3,250円)。コンサートにしてはそんなに高くありません。日本で似たようなコンサートに行くとしたら、きっともっと高いでしょう。そしてコンサート会場も、ここヴェレシュマルティ広場からなら、夜遅くなってもホテルへ帰るのは地下鉄1本ですみます。<br /><br />というわけで、予定どおりユーローシティの切符も手に入れ、コンサートのチケットも買ったあと、しばらく広場のベンチで休みました。今晩のコンサートのチケットは衝動買いに近かったので、ちょっと頭を冷やす必要を感じたのです。最近の私は、ナイトライフに燃えています。そして、旅先だから、もう二度とチャンスはないかもしれないから、と思ってしまうため、なおさら財布のヒモが緩くなります。ああ、しかし、こんな調子で散財していてよいのでしょうか。<br /><br />でも、そうは言っても、私のことだから、きっとこの先もこんな調子で散財するんでしょうね。おやっ、反省するつもりが、開き直ってしまいました。<br /><br />(写真は、中央市場の店の一つです。乾燥パプリカがたくさんぶら下がっている様がとにかく気に入りましたので、乾燥パプリカがたくさん吊り下げてある店の写真をあちこちで撮りまくりました@ 写真のお店は、パプリカもありますが、主に香辛料が売られているようです。)

2004年夏のブダペスト・ウィーン・チェコ旅行20日間  (1)ハンガリー編(続き)ブダペスト観光 長めの感想(ハイライトその3)

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2004/07/07 - 2004/07/07

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まみ

まみさん

ブダペスト観光3日目(2004年7月7日)

明後日のウィーン行きの国際列車、ユーローシティの切符を先に買っておこうと思いました。明後日の朝、時計とにらめっこしながら、重い荷物を持ってうろうろ切符売り場を求めて駅構内を歩き回るのは、できれば避けたかったのです。切符の購入と座席の予約は、ハンガリー最大手の旅行会社IBUSZ(イブス)の支店に行けば買えるでしょう。この支店は、ことにブダペスト市内のあちこちにあるようですが、ヴェレシュマルティ広場にある支店なら、この広場へは何度か行ったので地図を頼らなくても行けそうです。それに、今日の観光ハイライトの美術館に行く前にヴェレシュマルティ広場に寄っても、さして寄り道にはなりません。

ところが、ヴェレシュマルティ広場のIBUSZでは、国際列車の切符を扱っていませんでした。えーっ、そうなのぉ! 旅行会社なのに、おっどろき! ───でも、すぐ近くにあるカールソン・ワゴン社 (Calson Wagon Ltd.) でなら手に入ると教えてくれました。

IBUSZでさっさと切符が手に入らなかったのが、幸運だったのか、不運だったのか。いや、幸運と思うことにしましょう。なぜなら、カールソン・ワゴン社の隣の建物に、「ワルツとオペレッタ・コンサート、毎週水曜日と土曜日!」という立て看板を見つけてしまったからです。水曜日っていえば今日です。そして今晩は、ナイトライフの予定を入れていません。なにしろ明日は現地ツアーでプスタに行く予定です。寝坊できません。それに、すでにブダペストに到着して3日にして、バレエ・ガラ公演に民族舞踊のコンサート、2つも見ているのです。なのに、この上また、コンサート!?―――ちょっと迷いましたが、いいな、と思ったら、もう誘惑から逃れられることはできませんでした。チケット代は6,500HFU(約3,250円)。コンサートにしてはそんなに高くありません。日本で似たようなコンサートに行くとしたら、きっともっと高いでしょう。そしてコンサート会場も、ここヴェレシュマルティ広場からなら、夜遅くなってもホテルへ帰るのは地下鉄1本ですみます。

というわけで、予定どおりユーローシティの切符も手に入れ、コンサートのチケットも買ったあと、しばらく広場のベンチで休みました。今晩のコンサートのチケットは衝動買いに近かったので、ちょっと頭を冷やす必要を感じたのです。最近の私は、ナイトライフに燃えています。そして、旅先だから、もう二度とチャンスはないかもしれないから、と思ってしまうため、なおさら財布のヒモが緩くなります。ああ、しかし、こんな調子で散財していてよいのでしょうか。

でも、そうは言っても、私のことだから、きっとこの先もこんな調子で散財するんでしょうね。おやっ、反省するつもりが、開き直ってしまいました。

(写真は、中央市場の店の一つです。乾燥パプリカがたくさんぶら下がっている様がとにかく気に入りましたので、乾燥パプリカがたくさん吊り下げてある店の写真をあちこちで撮りまくりました@ 写真のお店は、パプリカもありますが、主に香辛料が売られているようです。)

  • ★工芸美術館 (Iparm&#369;v&amp;eacute;szeti M&amp;uacute;zeum)<br /><br />レヒネル・エデン(1845-1916年)。彼の名をことさら覚えようとしなくても覚えてしまったのは、ブダペストを中心にハンガリーのことを調べていれば何度も目にするせいもありますが、やはり、彼の手がけた建物の写真が印象深かったのが大きいと思います。あれに魅了されたのでなければ、彼の名を目にするたびにいちいち反応しなかったでしょうから。レヒネル・エデンは、ひとことでいえば、ハンガリーのアールヌーヴォーの建築家です。アールヌーヴォー、あるいはウィーンやドイツ語圏ならユーゲントシュティールといいますが、その建物といえば、もともと曲線を中心に、植物や花をモチーフにした目をひくステキなものが多いですが、レヒネルの建物で私が覚えているのは、マジャール民族らしさということで、ジョルナイ陶器を多く用い、カロチャ刺繍の絵柄のような花模様の装飾の、愛らしい建物やオリエンタルな印象の建物が多いです。<br /><br />レヒネル・エデンの手がけた工芸美術館は、私の期待どおりでした。外も内も、本やガイドブックの写真を見て受けた印象どおりだった、というべきでしょうか。もちろん、実物を見ることができて感激したのは確かです。内部はほとんど白一色で、吹き抜けの中央を囲む回廊のアーチがとても繊細なラインを描いています。本当に写真のとおりだな、とは思いましたが、見ほれました。とっさに連想したのが、チュニジアの首都チュニス随一のバルドー博物館です。あの博物館の建物は、元はオスマントルコの領主の宮殿でした。あるいはスペイン・アンダルシア地方に残る、パティオ(中庭)を囲むイスラム様式の宮殿も連想しました。たとえばグラナダのアルハンブラ宮殿や、セビリアのアルカサール(城)。このブダペストの工芸美術館はイスラム様式をモデルにしたそうなので、あながち見当違いでもないでしょう。<br /><br />もっとも、内部が白一色なのはレヒネルが始めから意図したわけでなく、一面に施された模様が当時の人々にとって奇抜すぎて物議をかもしたせいで、塗りつぶされたそうです。うーん、もったいないです。この一面の白さも「白の貴婦人」というイメージですばらしいことはすばらしいですが、一面の装飾というのも見てみたかったです。よりマジャール民族らしさが出ていたかもしれません。カラフルな刺繍がぎっしり施された民族衣装みたいに。<br /><br />この美術館に来たのは、もちろん建物だけが目当てではありません。気がすんだところで、見学を始めることにしました。最初の展示は、Sokarc&amp;uacute; F&#337;ld Schramrel Imreというハンガリーの現代陶芸家の企画展でした(名字はソカルツーとでも発音するのでしょうか。名前はイムレ。ハンガリーの男子の名前としてよく見かける名前です。期待されながらも早世した聖イシュトヴァーンの息子の名前と同じなので人気なのでしょうか。ちなみにハンガリー人の名前は日本と同じく名字が先で名前が後にきます)。1階の吹き抜けを囲む回廊を展示スペースに当てていました。私の目当ては陶器や家具といった工芸美術そのものなので、企画展はスルーしてもよかったのですが、思いがけず気にいるものが見つかるかもしれないので、きちんと見て回ることにしました。<br /><br />その展示は、石を使った彫刻が多かったです。それも、できるだけ削ったりせず、自然のままと思われる石のの偶然の形を利用したようなものが多かったです。動物や人間など、アーティストが見立てようとしているものの形を知っているから、かろうじて何なのかわかるというかんじです。ふと、イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロのことを思い出しました。彼は確か、自分にとって彫刻は、石の中にあるものの形を表に出す作業だ、といったようなことを言っていたと思います。それに通じるものがあるのかもしれない、と勝手に想像しました。<br /><br />2階は、時代順に展示されていたのに、どうやら私は出口から入ってしまったようです。途中で気付きましたが、時代を遡るのもの面白かったので、構わず進みました。カップや食器、花器などの磁器が並んでいて、どれも興味深かったです。一つ一つにもっとじっくり時間をかけて見ていたいくらいでした。入口(実際は出口)には、おじいさんの顔写真とZsolnayと書かれたポスターがありました。ハンガリー語の発音基礎がちゃんと頭に入っていれば、あるいはガイドブックの「ショッピング」のページをじっくり読んでいれば、「Zsolnay」ですぐにピンときたはずです。ところが私は、これを頭の中で「ゾルナイ」と間違って発音し、この展示は、てっきり、そういう名前のアーティストの一代作品展で、あの写真のおじいさんがそのアーティスト本人なのだろうと思ってしまいました。ただ、それにしては、展示されている作品のタイプがかなりヴァラエティに富んでいます。作品年代から考えても、一人の人間にしては長すぎます。100年以上ともなれば、ふつう人間の寿命ではありません。なら、ハンガリーの磁器のさかんな地方の名前で、伝統的な作品でも並んでるのかなぁ、と勝手に解釈しました。<br /><br />出口、すなわち入口にたどりついたとき、そこにあった「産業と芸術――ジョルナイ150年史 (Industry and Art――150 years of Zsolnay)」というタイトル看板を見て、やっと、自分のおバカな勘違いに気付きました。Zsolnayとは、ハンガリー特産品として名高い、あの陶器のジョルナイ社のことだったのです。まいりました!<br /><br />なるほど、これまでのジョルナイ社の代表作の展示か、と思えば、納得できる気がしてきました。展示はとても気に入ったので、もう一度入口から入って、今度は時代順に見て回りました。

    ★工芸美術館 (Iparműv&eacute;szeti M&uacute;zeum)

    レヒネル・エデン(1845-1916年)。彼の名をことさら覚えようとしなくても覚えてしまったのは、ブダペストを中心にハンガリーのことを調べていれば何度も目にするせいもありますが、やはり、彼の手がけた建物の写真が印象深かったのが大きいと思います。あれに魅了されたのでなければ、彼の名を目にするたびにいちいち反応しなかったでしょうから。レヒネル・エデンは、ひとことでいえば、ハンガリーのアールヌーヴォーの建築家です。アールヌーヴォー、あるいはウィーンやドイツ語圏ならユーゲントシュティールといいますが、その建物といえば、もともと曲線を中心に、植物や花をモチーフにした目をひくステキなものが多いですが、レヒネルの建物で私が覚えているのは、マジャール民族らしさということで、ジョルナイ陶器を多く用い、カロチャ刺繍の絵柄のような花模様の装飾の、愛らしい建物やオリエンタルな印象の建物が多いです。

    レヒネル・エデンの手がけた工芸美術館は、私の期待どおりでした。外も内も、本やガイドブックの写真を見て受けた印象どおりだった、というべきでしょうか。もちろん、実物を見ることができて感激したのは確かです。内部はほとんど白一色で、吹き抜けの中央を囲む回廊のアーチがとても繊細なラインを描いています。本当に写真のとおりだな、とは思いましたが、見ほれました。とっさに連想したのが、チュニジアの首都チュニス随一のバルドー博物館です。あの博物館の建物は、元はオスマントルコの領主の宮殿でした。あるいはスペイン・アンダルシア地方に残る、パティオ(中庭)を囲むイスラム様式の宮殿も連想しました。たとえばグラナダのアルハンブラ宮殿や、セビリアのアルカサール(城)。このブダペストの工芸美術館はイスラム様式をモデルにしたそうなので、あながち見当違いでもないでしょう。

    もっとも、内部が白一色なのはレヒネルが始めから意図したわけでなく、一面に施された模様が当時の人々にとって奇抜すぎて物議をかもしたせいで、塗りつぶされたそうです。うーん、もったいないです。この一面の白さも「白の貴婦人」というイメージですばらしいことはすばらしいですが、一面の装飾というのも見てみたかったです。よりマジャール民族らしさが出ていたかもしれません。カラフルな刺繍がぎっしり施された民族衣装みたいに。

    この美術館に来たのは、もちろん建物だけが目当てではありません。気がすんだところで、見学を始めることにしました。最初の展示は、Sokarc&uacute; Főld Schramrel Imreというハンガリーの現代陶芸家の企画展でした(名字はソカルツーとでも発音するのでしょうか。名前はイムレ。ハンガリーの男子の名前としてよく見かける名前です。期待されながらも早世した聖イシュトヴァーンの息子の名前と同じなので人気なのでしょうか。ちなみにハンガリー人の名前は日本と同じく名字が先で名前が後にきます)。1階の吹き抜けを囲む回廊を展示スペースに当てていました。私の目当ては陶器や家具といった工芸美術そのものなので、企画展はスルーしてもよかったのですが、思いがけず気にいるものが見つかるかもしれないので、きちんと見て回ることにしました。

    その展示は、石を使った彫刻が多かったです。それも、できるだけ削ったりせず、自然のままと思われる石のの偶然の形を利用したようなものが多かったです。動物や人間など、アーティストが見立てようとしているものの形を知っているから、かろうじて何なのかわかるというかんじです。ふと、イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロのことを思い出しました。彼は確か、自分にとって彫刻は、石の中にあるものの形を表に出す作業だ、といったようなことを言っていたと思います。それに通じるものがあるのかもしれない、と勝手に想像しました。

    2階は、時代順に展示されていたのに、どうやら私は出口から入ってしまったようです。途中で気付きましたが、時代を遡るのもの面白かったので、構わず進みました。カップや食器、花器などの磁器が並んでいて、どれも興味深かったです。一つ一つにもっとじっくり時間をかけて見ていたいくらいでした。入口(実際は出口)には、おじいさんの顔写真とZsolnayと書かれたポスターがありました。ハンガリー語の発音基礎がちゃんと頭に入っていれば、あるいはガイドブックの「ショッピング」のページをじっくり読んでいれば、「Zsolnay」ですぐにピンときたはずです。ところが私は、これを頭の中で「ゾルナイ」と間違って発音し、この展示は、てっきり、そういう名前のアーティストの一代作品展で、あの写真のおじいさんがそのアーティスト本人なのだろうと思ってしまいました。ただ、それにしては、展示されている作品のタイプがかなりヴァラエティに富んでいます。作品年代から考えても、一人の人間にしては長すぎます。100年以上ともなれば、ふつう人間の寿命ではありません。なら、ハンガリーの磁器のさかんな地方の名前で、伝統的な作品でも並んでるのかなぁ、と勝手に解釈しました。

    出口、すなわち入口にたどりついたとき、そこにあった「産業と芸術――ジョルナイ150年史 (Industry and Art――150 years of Zsolnay)」というタイトル看板を見て、やっと、自分のおバカな勘違いに気付きました。Zsolnayとは、ハンガリー特産品として名高い、あの陶器のジョルナイ社のことだったのです。まいりました!

    なるほど、これまでのジョルナイ社の代表作の展示か、と思えば、納得できる気がしてきました。展示はとても気に入ったので、もう一度入口から入って、今度は時代順に見て回りました。

  • ★中央市場 (V&amp;aacute;s&amp;aacute;rcsamok)<br /><br />中央市場は、内部については、ガイドブックや本で写真をよく見かけるので、行く前からよく知っているような気になっていました。外観については、モザイク屋根のれんが造りの建物で、一見の価値あり、という程度の情報をどこかで拾いました。近づいてみたら、ああ、これか!とひと目でわかりました。市場の建物とは思えないくらい、かっこいい建物です。れんが造りのせいか、なんだかアカデミックなかんじがしました。あるいは、アカデミック、というのは、隣に大学があるせいで、勝手にそう思ったのかもしれません。でも、この中央市場の建物も大学の校舎の一部といわれても遜色ない気がしました。<br /><br />中は、思ったより混んでいませんでした。思ったより広々として、明るいです。どうやら私は、狭いところに物も人もぎゅうぎゅうにひしめいているアラブやアジアの市場のようなところを想像していたようです。よく見ると、ここも一店舗あたりのスペースがそんなに広いわけではなく、品物だって、ぎっしりところ狭しと並べられていました。たぶん、中央市場の建物自体の天井がとても高いせいもあったかもしれません。市場は、地上は2階までしかないが、建物の高さは5階分くらいありそうです。2階から見下ろすアングルがいいと聞いていたので、真っ先に上って見下ろしてみたら、屋台のプレハブ屋根ばかり並んでいて、いまいちでした。これのどこがいいんだ、とがっかりしました。<br /><br />2階は、軽食スタンドとおみやげ屋でぎっしりでした。ちょうど昼食時なので、噂のランゴーシュ (lang&amp;oacute;s) を昼食代わりのしようと、スタンドを探しました。ランゴーシュとは、生地を丸く薄く延ばして油で揚げたパンみたいなもので、ハンガリーでポピュラーな食べ物らしいです。中央市場でも売っているとのことなので、ぜひ試してみようと思っていました。食べている人を見つけました! いかにもおいしそうです。値段は120HUF(約70円)、安いです。ちょうど揚げたてをいただきました。サクッとした食感で、ほんのり塩味がきいていて、とても美味しいです。これは日本人の口に合うと思いました。<br /><br />(写真は、1階の店の一つです。店先に干しパプリカや玉ねぎが千羽鶴のように吊り下げられている様がおもしろくて、きりがないくらい撮影しました。)

    ★中央市場 (V&aacute;s&aacute;rcsamok)

    中央市場は、内部については、ガイドブックや本で写真をよく見かけるので、行く前からよく知っているような気になっていました。外観については、モザイク屋根のれんが造りの建物で、一見の価値あり、という程度の情報をどこかで拾いました。近づいてみたら、ああ、これか!とひと目でわかりました。市場の建物とは思えないくらい、かっこいい建物です。れんが造りのせいか、なんだかアカデミックなかんじがしました。あるいは、アカデミック、というのは、隣に大学があるせいで、勝手にそう思ったのかもしれません。でも、この中央市場の建物も大学の校舎の一部といわれても遜色ない気がしました。

    中は、思ったより混んでいませんでした。思ったより広々として、明るいです。どうやら私は、狭いところに物も人もぎゅうぎゅうにひしめいているアラブやアジアの市場のようなところを想像していたようです。よく見ると、ここも一店舗あたりのスペースがそんなに広いわけではなく、品物だって、ぎっしりところ狭しと並べられていました。たぶん、中央市場の建物自体の天井がとても高いせいもあったかもしれません。市場は、地上は2階までしかないが、建物の高さは5階分くらいありそうです。2階から見下ろすアングルがいいと聞いていたので、真っ先に上って見下ろしてみたら、屋台のプレハブ屋根ばかり並んでいて、いまいちでした。これのどこがいいんだ、とがっかりしました。

    2階は、軽食スタンドとおみやげ屋でぎっしりでした。ちょうど昼食時なので、噂のランゴーシュ (lang&oacute;s) を昼食代わりのしようと、スタンドを探しました。ランゴーシュとは、生地を丸く薄く延ばして油で揚げたパンみたいなもので、ハンガリーでポピュラーな食べ物らしいです。中央市場でも売っているとのことなので、ぜひ試してみようと思っていました。食べている人を見つけました! いかにもおいしそうです。値段は120HUF(約70円)、安いです。ちょうど揚げたてをいただきました。サクッとした食感で、ほんのり塩味がきいていて、とても美味しいです。これは日本人の口に合うと思いました。

    (写真は、1階の店の一つです。店先に干しパプリカや玉ねぎが千羽鶴のように吊り下げられている様がおもしろくて、きりがないくらい撮影しました。)

  • 2階のみやげ屋を見て回りました。カロチャ刺繍と、それからマトリョーシュカが特に目を引きました。マトリョーシュカは、写真のような展示の仕方が多く、中から小さい人形を出すディスプレイをしている店は、ブダペストのほかの土産屋でも(それからこのあとに回ったチェコでも)、私が見かけた限りでは、ほとんどみかけませんでした。これに対してロシアのみやげ屋では、たいてい、中の小さい人形を出して、大きさ順にずらっと並べていて、見事でした。しかし、この写真のようなディスプレスも、こけしのような優しいフォルムでカラフルで可愛い人形がぎっしり並んでいて、それだけでなかなか壮観です。よく見ると、ここでも政治家の顔をした風刺のマトリョーシュカなどがあったりします。<br /><br />カロチャ刺繍は、ここのが特に割安というわけではありませんが、それでも繁華街ヴァーツィ通りで買うよりは、多少、安いらしいです。せっかくだから買うことにしました。でも、どれもステキで、目移りして仕方ありません! そして同じような図柄でありながら、よく見るとみんな少しずつ違うのです。なので、パプリカの図柄があるものにこだわってみました。<br /><br />それでも迷う私に、お店の人は、黒い布に刺繍が施された新しいタイプのものはどうか、と薦めてくれました。けれど、ハンガリー初めて、カロチャ初めての私の目は、白地に赤い花がメインのオーソドックスな図柄に引き寄せられます。黒地のものも、とってもシックで上品でステキなのですが、なんだか上級コースってかんじがしたのです。手を出すのは、もうちょっとカロチャを極めてから―――というか、何枚か持ったあとでいいと思いました。それにオーソドックスな図柄でないと、いかにもハンガリーみやげって主張しづらそうです。伝統的な刺繍というのは、それこそ世界全土にありますから。そんな私に、店の人たちは「日本人は、みんなこの図柄が好きね」と口々に言いました。たぶん、たいていの人は私と同じようなことを考えたからではないでしょうか。<br /><br />食料品の屋台が並ぶ1階も回ろうと思って階段を下りかけたら―――なるほど、このアングルなら、いいです。市場全体を見下ろせるし、プレハブ屋根ばかり目立たなくて、なかなかよいではないですか! 写真を撮りました。(写真は、「2004年夏のブダペスト・ウィーン・チェコ旅行20日間 旅程一覧&ハイライト写真(1)ハンガリー編」をご参照ください。)<br /><br />1階の店は、店先に干しパプリカや玉ねぎが千羽鶴のように吊り下げられているのがなかなか面白かったです。香辛料のお店はトルコやチュニジアの市場を思い出します。でもこの市場では、量り売りよりも、きれいに袋づめされているのが多いようでした。野菜売り場も面白いです。パプリカといえば、赤いとうがらしのような形のものかと思っていましたが、黄色っぽくて、特大サイズのピーマンのような形のパプリカもたくさん見かけました。2階の店もそうでしたが、1階の店も、どれも写真に撮りたくなって、きりがありませんでした。<br /><br />最後に地下も覗いてみました。日用雑貨の店やちょっとした代理店が並んでいるようでした。地上階がとても面白かったので、あんまりパッとせず、とりたてて興味を引きませんでした。客も少なかったです。ただし、おかげでベンチは空いていて、一休みするにはちょうどよかったです。

    2階のみやげ屋を見て回りました。カロチャ刺繍と、それからマトリョーシュカが特に目を引きました。マトリョーシュカは、写真のような展示の仕方が多く、中から小さい人形を出すディスプレイをしている店は、ブダペストのほかの土産屋でも(それからこのあとに回ったチェコでも)、私が見かけた限りでは、ほとんどみかけませんでした。これに対してロシアのみやげ屋では、たいてい、中の小さい人形を出して、大きさ順にずらっと並べていて、見事でした。しかし、この写真のようなディスプレスも、こけしのような優しいフォルムでカラフルで可愛い人形がぎっしり並んでいて、それだけでなかなか壮観です。よく見ると、ここでも政治家の顔をした風刺のマトリョーシュカなどがあったりします。

    カロチャ刺繍は、ここのが特に割安というわけではありませんが、それでも繁華街ヴァーツィ通りで買うよりは、多少、安いらしいです。せっかくだから買うことにしました。でも、どれもステキで、目移りして仕方ありません! そして同じような図柄でありながら、よく見るとみんな少しずつ違うのです。なので、パプリカの図柄があるものにこだわってみました。

    それでも迷う私に、お店の人は、黒い布に刺繍が施された新しいタイプのものはどうか、と薦めてくれました。けれど、ハンガリー初めて、カロチャ初めての私の目は、白地に赤い花がメインのオーソドックスな図柄に引き寄せられます。黒地のものも、とってもシックで上品でステキなのですが、なんだか上級コースってかんじがしたのです。手を出すのは、もうちょっとカロチャを極めてから―――というか、何枚か持ったあとでいいと思いました。それにオーソドックスな図柄でないと、いかにもハンガリーみやげって主張しづらそうです。伝統的な刺繍というのは、それこそ世界全土にありますから。そんな私に、店の人たちは「日本人は、みんなこの図柄が好きね」と口々に言いました。たぶん、たいていの人は私と同じようなことを考えたからではないでしょうか。

    食料品の屋台が並ぶ1階も回ろうと思って階段を下りかけたら―――なるほど、このアングルなら、いいです。市場全体を見下ろせるし、プレハブ屋根ばかり目立たなくて、なかなかよいではないですか! 写真を撮りました。(写真は、「2004年夏のブダペスト・ウィーン・チェコ旅行20日間 旅程一覧&ハイライト写真(1)ハンガリー編」をご参照ください。)

    1階の店は、店先に干しパプリカや玉ねぎが千羽鶴のように吊り下げられているのがなかなか面白かったです。香辛料のお店はトルコやチュニジアの市場を思い出します。でもこの市場では、量り売りよりも、きれいに袋づめされているのが多いようでした。野菜売り場も面白いです。パプリカといえば、赤いとうがらしのような形のものかと思っていましたが、黄色っぽくて、特大サイズのピーマンのような形のパプリカもたくさん見かけました。2階の店もそうでしたが、1階の店も、どれも写真に撮りたくなって、きりがありませんでした。

    最後に地下も覗いてみました。日用雑貨の店やちょっとした代理店が並んでいるようでした。地上階がとても面白かったので、あんまりパッとせず、とりたてて興味を引きませんでした。客も少なかったです。ただし、おかげでベンチは空いていて、一休みするにはちょうどよかったです。

  • ★国立博物館 (Magyar Nemzeti M&amp;uacute;zeum)<br /><br />(写真は、王宮の丘の三位一体広場で、実は国立博物館と関係ありません。関係ある写真を撮らなかったので……。この写真は、ブダペスト初日の現地ツアーを利用した市内観光で、ゲッレールトの丘にある展望ポイントから王宮方面を撮ったものです。)<br /><br />狙ったわけではないですが、昨日の王宮の国立絵画館に続き、国立博物館も今日はタダで入れる日でした。入ったのは14時すぎですが、閉館の18時までじっくりここで腰をすえるつもりですし、入場料もタダだから、ちょっくらオーディオ・ガイドでも借りようかと思いました。レンタル料は750HUF(約375円)。私にとっては全く、許容範囲内の料金です。<br /><br />ところが、保証金として10,000HUFか40Euro、あるいは身分証明書としてパスポートを預けなければならないとのこと。手元にある現金は10,000HUFぎりぎり。パスポートは、オーディオ・ガイドを借りる程度で肌身からはなすつもりはありません。いそいそと準備してもらったのに悪いとは思いましたが、やめることにしました。すると係員は、「とってもすばらしいオーディオ・ガイドなのに、10,000HUFくらい持ってないの?」と不満そうでした。<br /><br />でも、もう一度、オーディオ・ガイドの料金表をよくよく見たら、最初の1時間は750HUFですが、オーバーすると30分ごとに250HUFとありました。休憩も含めてゆっくり回るつもりなので、きっと1時間では足りません(実際、博物館を出たのは、入場してから約3時間後)。やめてちょうどよかったです(すっぱいブドウとキツネ、すなわち、負け惜しみ!?)。<br /><br />最初にあった考古学のコレクションをざっと見たあと、企画展「ハンガリーとヨーロッパ (Mayarorsz&amp;aacute;g &amp;eacute;s Eur&amp;oacute;pa)」をゆっくりまわりました。ヨーロッパの中でのハンガリーの意味をふりかえる企画展で、当然、今年2004年5月のハンガリーのEU加盟にちなんで開催されたものでしょう。セクションは6つに分かれていました。地理的にヨーロッパの真ん中に位置しているハンガリーの、ヨーロッパ史上での役割や意味を表すようなエンブレム、歴史的エピソードの版画や風刺画を、時代で区切って展示されていました。最後のセクションでは、世界遺産に登録待ちのハンガリーの各地の景観の絵や写真が展示されていました。どれもこの国立博物館所蔵の資料だが、ふだんは展示されていないものをこの企画展のために特別にそろえたようです。<br /><br />セクションごとの説明パネルにはハンガリー語に英語の訳が併記されていました。展示の1つ1つの説明プレートも英語付です。もっとも、後者の英語はだいぶはしょられていました。ハンガリー語で10行以上、ぎっしり解説があっても、英語の方は、展示の絵が何を意味するのか、という、ほぼタイトルのみの1行だけだったりすることもあります。でも、あんまり詳しくても、体力・気力ともに読み切れる自信がないので、ちょうどよかったです。だから、がんばって全部読みました。それに、企画展の会場は、小ホールのような展示室1室のみ。あと残りがどのくらいか、先が見えるからこそ、がんばれたともいえます。14時20分からこの企画展の見学を始めて、終わったのは15時15分。さすがにぐったり疲れました。20分ほど休憩。<br /><br />15時35分から17時25分、メインのハンガリー史の展示室を回りました。こちらは展示室が30以上あります。さすがにメインだけあって、展示品もさらに充実していました。今度は部屋ごとに、ハンガリー語と、ほぼ同じ量の英語が書かれた説明パネルがありました。すでにだいぶ疲れていたので、全部は読んでいられませんでした。しかし、読まないと展示の意味がほとんどわからないので、最初の半分ずつぐらい読みました。じっくりでなく、ざっと。<br /><br />なので、私に背景知識が全くない時代は、内容がなかなかピンときませんでした。Ottomanをオスマントルコでなくドイツのオットー王朝かと勘違いしたり……。実際、ハンガリー史でオットー王朝と確執がなかったわけでもないから勘違いしたのですが、そもそもオットー王朝とオスマントルコとでは、時代が違いすぎます。人物も、ハンガリー史上の重要人物といっても知らない名前ばかりが並ぶことが多く、ちんぷんかんぷんです。歴史展なので、意味がよくわからないと興味が薄れるものも出てきてしまいます。ここでも勉強不足を痛感しました。それに、またしてもチェコ史とごっちゃにしている自分に気付かされます。どちらもハプスブルグ家と大きな係わりがあって、同じように反乱や抵抗の歴史が展開されているように見えます―――私からは。だから、中途半端な知識では、ますますごっちゃになりやすいようです。<br /><br />12〜3室目、ハプスブルグ家のマリア・テレジアとヨーゼフ2世治下の啓蒙時代のセクションのあたりで、「地球の歩き方」のことを思い出しました。この本の巻末にはハンガリー小史が巻末に載っています。そして、一休みするときに観光案内やレストラン情報でも読もうと思ったので、入口で手荷物を預けるときに一緒にクロークに預けず、手に持っています。巻末の小史は、一度は目を通していますが、内容は既に忘れています。早速、手近なイスに座って読み直しました。そして、よし、これならOK!とばかりに、最初の展示室まで戻って改めて展示を見直しましたが……うーん、「地球の歩き方」で説明が詳しいところと、展示で詳しく説明されているところが、どうも一致しないようです。「地球の歩き方」で詳しいところは、展示ではいくつかの時代すらも一室にまとめてあっさりすませ、一方、展示の方で細かくセクションに分かれているところは、「地球の歩き方」ではさらっとはしょっていたりします。日本人にとってわかりやすいハンガリー史と、ハンガリーの人々にとっての自国の歴史では重点の置きどころが違う、というのがこんなところからわかって興味深かったですが……うーん、展示を知るには、やはりパネルの説明を読むのが一番のようです。<br /><br />第一次世界大戦突入から現代、ハンガリーが1898年に民主化するまでの時代時代が近いだけあってか、展示物はダントツに多く、詳しくなりました。セクションの分け方も、5年ずつくくらい、と短くなりました。戦中に流行った商品や、社会主義政府の宣伝ポスターが面白かったです。なぜか、スターリン像がありました。さすがに彼はひと目でわかります。逆に、ハンガリー近代史上の重要人物たち、たとえばプチ・スターリンと言われたラーコーシや、ハンガリー動乱後にソ連に処刑されたナジ・イムレ、それからもう少し最近のカーダールなどは、ブダペストに行こうと決めて下調べを始めてから名前だけは何度も目にしましたが、顔は、写真であろうが絵であろうが、見るのは初めてです。<br /><br />もっとも、ブダペストに行こうと思ってから初めてこれらの人々の名前を目にしたというのは、考えてみたら少し情けないかもしれません。ハンガリー動乱もそうですが、ベルリンの壁の崩壊のきっかけとなった、ハンガリーが西側へ亡命する人のために国境を解放した事件などは、こうして歴史として捉えられる以前に、時事問題だったはずなのです。時事問題にうとい……なかなか関心を抱かない自分がちょっと情けなくなりました。<br /><br />このハンガリー史のセクションで1時間50分かけました。それでもハンガリー語がわからないことと背景知識の欠如のせいで、展示物の意味や重要さがピンとこないのが多くて、たくさんの情報がつまっている展示の、ほんの氷山の一角にしか触れられなかったと思います。もっとも、体力・気力もだいぶ尽きていたせいで、それ以上は時間をかけるのは難しかったです。<br /><br />この博物館の前の広場は、1848年、オーストリア・ハプスブルグ家に対してハンガリーの独立を求めた市民蜂起の舞台となり、1万人の市民で埋め尽くされたそうです。───って、一体、広場のどこなのでしょう? あの工事中の正面入口のことでしょうか。そんなに広かったかしら。工事中だから狭く見えたのかしら。柵のせいかしら。1万人の人間が集まるとどんなかんじか想像がつかないのですが、あそこにそれだけの人数が集まったというのも、ピンときません。<br /><br />ちなみに、国立博物館前が市民蜂起の舞台というのは、プラハもそうです。あちらは、そもそも国立博物館の前から延びる通りが、「プラハの春」の舞台のヴァーツラフ広場です。ほぅら、ここでも比較対照できる。……ま、我ながら随分乱暴な比較だと思いますけど。

    ★国立博物館 (Magyar Nemzeti M&uacute;zeum)

    (写真は、王宮の丘の三位一体広場で、実は国立博物館と関係ありません。関係ある写真を撮らなかったので……。この写真は、ブダペスト初日の現地ツアーを利用した市内観光で、ゲッレールトの丘にある展望ポイントから王宮方面を撮ったものです。)

    狙ったわけではないですが、昨日の王宮の国立絵画館に続き、国立博物館も今日はタダで入れる日でした。入ったのは14時すぎですが、閉館の18時までじっくりここで腰をすえるつもりですし、入場料もタダだから、ちょっくらオーディオ・ガイドでも借りようかと思いました。レンタル料は750HUF(約375円)。私にとっては全く、許容範囲内の料金です。

    ところが、保証金として10,000HUFか40Euro、あるいは身分証明書としてパスポートを預けなければならないとのこと。手元にある現金は10,000HUFぎりぎり。パスポートは、オーディオ・ガイドを借りる程度で肌身からはなすつもりはありません。いそいそと準備してもらったのに悪いとは思いましたが、やめることにしました。すると係員は、「とってもすばらしいオーディオ・ガイドなのに、10,000HUFくらい持ってないの?」と不満そうでした。

    でも、もう一度、オーディオ・ガイドの料金表をよくよく見たら、最初の1時間は750HUFですが、オーバーすると30分ごとに250HUFとありました。休憩も含めてゆっくり回るつもりなので、きっと1時間では足りません(実際、博物館を出たのは、入場してから約3時間後)。やめてちょうどよかったです(すっぱいブドウとキツネ、すなわち、負け惜しみ!?)。

    最初にあった考古学のコレクションをざっと見たあと、企画展「ハンガリーとヨーロッパ (Mayarorsz&aacute;g &eacute;s Eur&oacute;pa)」をゆっくりまわりました。ヨーロッパの中でのハンガリーの意味をふりかえる企画展で、当然、今年2004年5月のハンガリーのEU加盟にちなんで開催されたものでしょう。セクションは6つに分かれていました。地理的にヨーロッパの真ん中に位置しているハンガリーの、ヨーロッパ史上での役割や意味を表すようなエンブレム、歴史的エピソードの版画や風刺画を、時代で区切って展示されていました。最後のセクションでは、世界遺産に登録待ちのハンガリーの各地の景観の絵や写真が展示されていました。どれもこの国立博物館所蔵の資料だが、ふだんは展示されていないものをこの企画展のために特別にそろえたようです。

    セクションごとの説明パネルにはハンガリー語に英語の訳が併記されていました。展示の1つ1つの説明プレートも英語付です。もっとも、後者の英語はだいぶはしょられていました。ハンガリー語で10行以上、ぎっしり解説があっても、英語の方は、展示の絵が何を意味するのか、という、ほぼタイトルのみの1行だけだったりすることもあります。でも、あんまり詳しくても、体力・気力ともに読み切れる自信がないので、ちょうどよかったです。だから、がんばって全部読みました。それに、企画展の会場は、小ホールのような展示室1室のみ。あと残りがどのくらいか、先が見えるからこそ、がんばれたともいえます。14時20分からこの企画展の見学を始めて、終わったのは15時15分。さすがにぐったり疲れました。20分ほど休憩。

    15時35分から17時25分、メインのハンガリー史の展示室を回りました。こちらは展示室が30以上あります。さすがにメインだけあって、展示品もさらに充実していました。今度は部屋ごとに、ハンガリー語と、ほぼ同じ量の英語が書かれた説明パネルがありました。すでにだいぶ疲れていたので、全部は読んでいられませんでした。しかし、読まないと展示の意味がほとんどわからないので、最初の半分ずつぐらい読みました。じっくりでなく、ざっと。

    なので、私に背景知識が全くない時代は、内容がなかなかピンときませんでした。Ottomanをオスマントルコでなくドイツのオットー王朝かと勘違いしたり……。実際、ハンガリー史でオットー王朝と確執がなかったわけでもないから勘違いしたのですが、そもそもオットー王朝とオスマントルコとでは、時代が違いすぎます。人物も、ハンガリー史上の重要人物といっても知らない名前ばかりが並ぶことが多く、ちんぷんかんぷんです。歴史展なので、意味がよくわからないと興味が薄れるものも出てきてしまいます。ここでも勉強不足を痛感しました。それに、またしてもチェコ史とごっちゃにしている自分に気付かされます。どちらもハプスブルグ家と大きな係わりがあって、同じように反乱や抵抗の歴史が展開されているように見えます―――私からは。だから、中途半端な知識では、ますますごっちゃになりやすいようです。

    12〜3室目、ハプスブルグ家のマリア・テレジアとヨーゼフ2世治下の啓蒙時代のセクションのあたりで、「地球の歩き方」のことを思い出しました。この本の巻末にはハンガリー小史が巻末に載っています。そして、一休みするときに観光案内やレストラン情報でも読もうと思ったので、入口で手荷物を預けるときに一緒にクロークに預けず、手に持っています。巻末の小史は、一度は目を通していますが、内容は既に忘れています。早速、手近なイスに座って読み直しました。そして、よし、これならOK!とばかりに、最初の展示室まで戻って改めて展示を見直しましたが……うーん、「地球の歩き方」で説明が詳しいところと、展示で詳しく説明されているところが、どうも一致しないようです。「地球の歩き方」で詳しいところは、展示ではいくつかの時代すらも一室にまとめてあっさりすませ、一方、展示の方で細かくセクションに分かれているところは、「地球の歩き方」ではさらっとはしょっていたりします。日本人にとってわかりやすいハンガリー史と、ハンガリーの人々にとっての自国の歴史では重点の置きどころが違う、というのがこんなところからわかって興味深かったですが……うーん、展示を知るには、やはりパネルの説明を読むのが一番のようです。

    第一次世界大戦突入から現代、ハンガリーが1898年に民主化するまでの時代時代が近いだけあってか、展示物はダントツに多く、詳しくなりました。セクションの分け方も、5年ずつくくらい、と短くなりました。戦中に流行った商品や、社会主義政府の宣伝ポスターが面白かったです。なぜか、スターリン像がありました。さすがに彼はひと目でわかります。逆に、ハンガリー近代史上の重要人物たち、たとえばプチ・スターリンと言われたラーコーシや、ハンガリー動乱後にソ連に処刑されたナジ・イムレ、それからもう少し最近のカーダールなどは、ブダペストに行こうと決めて下調べを始めてから名前だけは何度も目にしましたが、顔は、写真であろうが絵であろうが、見るのは初めてです。

    もっとも、ブダペストに行こうと思ってから初めてこれらの人々の名前を目にしたというのは、考えてみたら少し情けないかもしれません。ハンガリー動乱もそうですが、ベルリンの壁の崩壊のきっかけとなった、ハンガリーが西側へ亡命する人のために国境を解放した事件などは、こうして歴史として捉えられる以前に、時事問題だったはずなのです。時事問題にうとい……なかなか関心を抱かない自分がちょっと情けなくなりました。

    このハンガリー史のセクションで1時間50分かけました。それでもハンガリー語がわからないことと背景知識の欠如のせいで、展示物の意味や重要さがピンとこないのが多くて、たくさんの情報がつまっている展示の、ほんの氷山の一角にしか触れられなかったと思います。もっとも、体力・気力もだいぶ尽きていたせいで、それ以上は時間をかけるのは難しかったです。

    この博物館の前の広場は、1848年、オーストリア・ハプスブルグ家に対してハンガリーの独立を求めた市民蜂起の舞台となり、1万人の市民で埋め尽くされたそうです。───って、一体、広場のどこなのでしょう? あの工事中の正面入口のことでしょうか。そんなに広かったかしら。工事中だから狭く見えたのかしら。柵のせいかしら。1万人の人間が集まるとどんなかんじか想像がつかないのですが、あそこにそれだけの人数が集まったというのも、ピンときません。

    ちなみに、国立博物館前が市民蜂起の舞台というのは、プラハもそうです。あちらは、そもそも国立博物館の前から延びる通りが、「プラハの春」の舞台のヴァーツラフ広場です。ほぅら、ここでも比較対照できる。……ま、我ながら随分乱暴な比較だと思いますけど。

  • ★ワルツとオペレッタのコンサート (Walzer und Operettenkonzerte)(ヴェレシュマルティ広場のジェルボー・ハウスの中庭の会場(Gerbeaud theatrium)にて)<br /><br />夕食は味付けが濃かったので、のどが渇きました。ワインも飲んだので、疲れがでて少し眠くなってきてしまいました。今晩のコンサートの前に眠気を覚まさねば!───コンサート会場のあるヴェレシュマルティ広場に早めに着いたので、広場に面したカフェでもう一杯、コーヒーをとることにしました。カフェは、ジェルボー・ハウスにしました。コンサートはこの建物の中庭の会場で行われます。覚えがある名前なので「地球の歩き方」をひっくり返してみたら、載っていました。このカフェは1858年創業で、皇后エリザベートも常連だったそうです。ロココ様式の天井やシャンデリラやテーブルは一見の価値ありだそうです。なるほど、私などにはもったいないくらい、由緒ある上等なカフェらしいです。多少、値段が割高でも行く甲斐はありそうですた。<br /><br />なので、どうせなら屋内のテーブルに座りたかったのですが……。しかし、外のテーブルに客がいても、中には誰もいないように見えます。あきらめて広場に並ぶ外のテーブルに座り、ウエイターを待ちました。中はチラッと覗くにとどめました。でも、よく見えませんでした。<br /><br />コンサートは自由席で、ブダペスト観光1日目の晩のバレエ・ガラの会場同様、ここもまた、前の席との段差がありませんでした。仮設会場だから仕方がないのでしょう、と、このときは思いました。でも、考えてみたら、昔の劇場は段差がありませんでした。後で、チェコ旅行中にお城を見学し、付設の劇場などを見学したために気が付きました。とすると、このコンサート会場も、別に夏のハイシーズンの観光客目当ての催し物のための仮設会場、というわけでもなかったかもしれません。<br /><br />カフェが会場から近いのをいいことに開演時間ぎりぎりまでのんびりしてしまったせいで、前のほうの席はすでに埋まっていました。自由席なのですから、早めに来ていてよかったのです。でも、舞台は充分高さがあったので、それほど見づらくはありませんでした。バレエと違って、コンサートで歌手の足元が見えないのはそれほど気にならないことですし。<br /><br />楽団は女性だけの室内楽団で、唯一、指揮者だけが男性でした。女性は全員、ピンクのドレスを着て、髪に花を飾っています。それだけでパッと舞台が華やかになります。指揮者もピンクのタキシードです。<br /><br />歌手やダンサーは交代で出てきましたが、女性は毎度、ドレスを替えてきました。同じ衣装で出てきたことは一度もありませんでした。イブニングドレスや、まるでウェディングドレスのようなうっとりする衣装もあれば、バラそのものの形をした帽子をかぶってきたり、水色と白の縞模様にハイビスカスのハワイ風の、舞台じゃなきゃ着れないね、ってかんじのカラフルな衣装だったり。ハンガリーの民族衣装っぽい衣装のときもあり。かといって、昨日の民族舞踊のコンサートの素朴な村娘の晴れ着というのとは全く印象が違って、舞踏会のドレスを民族衣装風にアレンジしたというかんじでした。そしてどの歌手も美人で、あるいは可愛らしくて、衣装がとても似合っていて、次々変わるファッションを見ているだけでもわくわくしました。男性の衣装は女性のほどヴァラエティがなく、黒の燕尾服と白い蝶ネクタイの正装で決めてくることも多かったですが、女性にあわせてカラフルな服のときもありました。私はオペレッタは見たことがありませんが、たぶん、これがオペレッタらしいんだろうなぁというかんじの華やかな衣装に、陽気で楽しい歌に音楽。観客を楽しませようとするちょっとした演出。とにかく、目にはきらびやかで、耳には心地よく楽しく、私のミーハー心をとても満足させてくれたコンサートでした。<br /><br />(写真は、ちょっとわかりにくいと思いますが、歌手がバラそのものの形をした帽子をかぶって出演してきたシーンです。歌専門の人とダンス専門の人とに分かれいて、その背後で両手を挙げて回っている2人はダンス専門でした。)

    ★ワルツとオペレッタのコンサート (Walzer und Operettenkonzerte)(ヴェレシュマルティ広場のジェルボー・ハウスの中庭の会場(Gerbeaud theatrium)にて)

    夕食は味付けが濃かったので、のどが渇きました。ワインも飲んだので、疲れがでて少し眠くなってきてしまいました。今晩のコンサートの前に眠気を覚まさねば!───コンサート会場のあるヴェレシュマルティ広場に早めに着いたので、広場に面したカフェでもう一杯、コーヒーをとることにしました。カフェは、ジェルボー・ハウスにしました。コンサートはこの建物の中庭の会場で行われます。覚えがある名前なので「地球の歩き方」をひっくり返してみたら、載っていました。このカフェは1858年創業で、皇后エリザベートも常連だったそうです。ロココ様式の天井やシャンデリラやテーブルは一見の価値ありだそうです。なるほど、私などにはもったいないくらい、由緒ある上等なカフェらしいです。多少、値段が割高でも行く甲斐はありそうですた。

    なので、どうせなら屋内のテーブルに座りたかったのですが……。しかし、外のテーブルに客がいても、中には誰もいないように見えます。あきらめて広場に並ぶ外のテーブルに座り、ウエイターを待ちました。中はチラッと覗くにとどめました。でも、よく見えませんでした。

    コンサートは自由席で、ブダペスト観光1日目の晩のバレエ・ガラの会場同様、ここもまた、前の席との段差がありませんでした。仮設会場だから仕方がないのでしょう、と、このときは思いました。でも、考えてみたら、昔の劇場は段差がありませんでした。後で、チェコ旅行中にお城を見学し、付設の劇場などを見学したために気が付きました。とすると、このコンサート会場も、別に夏のハイシーズンの観光客目当ての催し物のための仮設会場、というわけでもなかったかもしれません。

    カフェが会場から近いのをいいことに開演時間ぎりぎりまでのんびりしてしまったせいで、前のほうの席はすでに埋まっていました。自由席なのですから、早めに来ていてよかったのです。でも、舞台は充分高さがあったので、それほど見づらくはありませんでした。バレエと違って、コンサートで歌手の足元が見えないのはそれほど気にならないことですし。

    楽団は女性だけの室内楽団で、唯一、指揮者だけが男性でした。女性は全員、ピンクのドレスを着て、髪に花を飾っています。それだけでパッと舞台が華やかになります。指揮者もピンクのタキシードです。

    歌手やダンサーは交代で出てきましたが、女性は毎度、ドレスを替えてきました。同じ衣装で出てきたことは一度もありませんでした。イブニングドレスや、まるでウェディングドレスのようなうっとりする衣装もあれば、バラそのものの形をした帽子をかぶってきたり、水色と白の縞模様にハイビスカスのハワイ風の、舞台じゃなきゃ着れないね、ってかんじのカラフルな衣装だったり。ハンガリーの民族衣装っぽい衣装のときもあり。かといって、昨日の民族舞踊のコンサートの素朴な村娘の晴れ着というのとは全く印象が違って、舞踏会のドレスを民族衣装風にアレンジしたというかんじでした。そしてどの歌手も美人で、あるいは可愛らしくて、衣装がとても似合っていて、次々変わるファッションを見ているだけでもわくわくしました。男性の衣装は女性のほどヴァラエティがなく、黒の燕尾服と白い蝶ネクタイの正装で決めてくることも多かったですが、女性にあわせてカラフルな服のときもありました。私はオペレッタは見たことがありませんが、たぶん、これがオペレッタらしいんだろうなぁというかんじの華やかな衣装に、陽気で楽しい歌に音楽。観客を楽しませようとするちょっとした演出。とにかく、目にはきらびやかで、耳には心地よく楽しく、私のミーハー心をとても満足させてくれたコンサートでした。

    (写真は、ちょっとわかりにくいと思いますが、歌手がバラそのものの形をした帽子をかぶって出演してきたシーンです。歌専門の人とダンス専門の人とに分かれいて、その背後で両手を挙げて回っている2人はダンス専門でした。)

  • 写真は、ワルツとオペレッタのコンサートの第二幕のプログラムにあった、フレンチ・カンカンです。サービスで(?)、載せてみました。ぶれぶれ写真で失礼!───ほとんど最後尾の席に座っていたので、第二幕あたりから、ちょっとずうずうしくなって撮影のときは立ちあがって撮ったりしたのですが……やはり急いで撮ったため、いまひとつな写真ばかりになってしまったのが残念です。

    写真は、ワルツとオペレッタのコンサートの第二幕のプログラムにあった、フレンチ・カンカンです。サービスで(?)、載せてみました。ぶれぶれ写真で失礼!───ほとんど最後尾の席に座っていたので、第二幕あたりから、ちょっとずうずうしくなって撮影のときは立ちあがって撮ったりしたのですが……やはり急いで撮ったため、いまひとつな写真ばかりになってしまったのが残念です。

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  • shinesuniさん 2006/07/15 00:30:26
    ハンガリーカード
    前回も結構ブタペストの夜を楽しんだのですね^^
    羨ましいです。

    ハンガリーカード御存知でしょうか?
    英語での説明があります。
    http://www.hungarycard.hu/index.php?p=ham
    お値段はHUF 5.520フォリント (22ユーロ) とあります。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/07/16 06:43:53
    RE: ハンガリーカード
    shinesuniさん、こんにちは。

    ハンガリーカードのサイトを教えてくださってありがとうございます。
    うーん、前にブダペストに行ったときにこのカードをチェックしたか、忘れました。
    ブダペストカードの方は、私の観光方法だと元がとれない気がする、ということで、交通機関は回数券ですませました。
    しかし、ハンガリーカードの方は知らなかったと思います。
    なにやら100% OFF のeventもありますね。
    よく検討してみたいと思います@

    そろそろ行程を決めて、ホテルの検討を始めるかなぁって段階です。
    行程を決めるということは、行けないところは行けないと決定をくだすわけですから、身を切る思い!?
    ホテルについては、私が重視する順番は、観光のしやすいロケーションと値段が第1に来て、それからクチコミやガイドブック等から知れる快適さや利用しやすさ、ですね。
    選択肢が多いところではわけがわかんなくなってしまって、第1ポイントでまずばっさり切っていくかんじ。
    ただし、地方都市は、街1番のホテルでも値段が安いこともあるし、素敵なホテルというところを重視してもロケーションが悪くなかったりするから、よいホテルがないか楽しみにしています。
    今年は去年みたいに全行程、ホテルを決めてしまわないようにしようかなぁと思いつつも、ハンガリーについてはブダペストから日帰りの方が良さそうなところが多いので、なんだかんだと予約でうめちゃって、現地での時間かせぎをしちゃうかもしれません。

    あらあら、ほとんど私の計画のことばかり@

    2004年のブダペスト5泊5日(初日はフライトだけで終わりましたから)、そのうち3晩──バレエ・ガラ、フォークロア・ショー、オペレッタ・コンサート───も観劇しているのだから、我ながらよーやるってかんじですよね。
    日本でも劇場通いに狂ってるせいで@
    しかし、この年にブダペストに行こうってときまで、ブダペストがウィーンに劣らぬ音楽の街ということは全く知らなかったので、嬉しい誤算?というところです。
    今年は夏に旅行できないことを嘆いていましたが、10月はなんと、オペラシーズンの開始なのです!
    きっとブダペストでオペラかバレエ観劇をまた狙うことになると思います。
    フォークロアショーも、実はこの年はまだなにがなんだかわからなくて消化不良で、社会主義のときの国の政策で民族舞踊団がどんどんできたという背景も知らなかったので、ぜひもう1回見たいなぁと思っています@
    しかし、秋はきっと夜の冷え込みなどが心配ですわ。

    といいつつ、今日も日本は暑そうですねぇ。。
    寒い季節というのが、想像つかなくなりそうです。

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