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ブダペスト観光2日目(2004年7月6日)<br /><br />(写真は、後述するシナゴーグ併設の博物館最上階に展示されていた画家の絵の1枚で、ユダヤ教のラビの絵です。ラビとは、ユダヤ教の学者であり、宗教的指導者ですが、これはそんな偉いラビとは思えないくらい、可愛らしいです。)

2004年夏のブダペスト・ウィーン・チェコ旅行20日間  (1)ハンガリー編(続き)ブダペスト観光 長めの感想(ハイライトその2)

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2004/07/06 - 2004/07/06

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まみ

まみさん

ブダペスト観光2日目(2004年7月6日)

(写真は、後述するシナゴーグ併設の博物館最上階に展示されていた画家の絵の1枚で、ユダヤ教のラビの絵です。ラビとは、ユダヤ教の学者であり、宗教的指導者ですが、これはそんな偉いラビとは思えないくらい、可愛らしいです。)

  • ★シナゴーグ (Zsinag&amp;oacute;ga)と展示館(博物館)<br /><br />2年前の2002年、ベルリンで、その壮大な外観に惹かれてシナゴーグを訪れたことがあります。そのときは、併設の博物館には入れましたが、肝心のシナゴーグの中は見学させてもらえ真線でした(観光客に開放されていませんでした)。写真や絵を見るとすばらしく豪華だったので、見れないことにひどくがっかりした覚えがあります。<br /><br />あれ以来、私は豪華なシナゴーグに少し飢えているかもしれません。ブダペストのシナゴーグはベルリンの大シナゴーグに劣らず、いや、それよりももっとオリエンタルでエキゾチックなすばらしい建物のようです。玉ねぎ型ドームがあって、装飾がイスラム建築っぽい。そんな写真を見てしまえば、じっとしてはいられません。しかもブダペストのシナゴーグは、内部が見学できるらしいのです。これはぜひ行かねば、と思いました。<br /><br />着いてみたら、シナゴーグの前は人だかりで、ギョッとしました。入るのに待たなくてはならないのでしょうか。と思ったら、シナゴーグの入口でユダヤ遺跡探訪ツアーに申し込むことができ、その団体客が出発待ちをしていただけでした。私も参加しようかと、一瞬迷いました。なにしろ、私はこのシナゴーグについては、歴史を含め、ほとんど何も知りません。しかも、私の頭の中では、ブダペストのユダヤ人の歴史が、旅行直前に読んでいた本にあったプラハのユダヤ人の歴史とごっちゃになっています。ツアーに参加すれば、ガイドの説明が聞けるはずです。<br /><br />でも、ツアーは昼食込みで、終わるのが14時のようです。典型的なユダヤ料理のランチには魅了されましたが、今日の観光のハイライトは王宮の丘の予定です。そっちの時間が足らなくなると困るので、ツアーはあきらめ、シナゴーグは一人で見学することにしました。<br /><br />入口は、セキュリティ・チェックのせいで少しものものしかったです。空港並みの念の入れようでした。でもそれがすめば、後は自由放免でした。ちょうど団体が出てくるのとかち合ってしまったので、狭い入口はものすごく混雑して、なかなか中に入れませんでした。中もこうだろうか、と、とうんざりしたら、中は広々としていました。観光客は多かったのですが、それほど混雑を感じさせませんでした。それに、どこもかしこもすばらしいので、ひとところに観光客が集中しないですんでいたせいもあるかもしれません。<br /><br />それにしても、ああ……、やっと見ることができました。こんな豪華なシナゴーグ。これです、こんなのが見たかったんです。文様化されたすばらしいデザイン。あちこちに「ダビデの星」のモチーフが見られます。要するに星型模様ってことですけど。装飾が多く、バロックやロココ並みに手がこんでいるのに、バロック教会のようにごたごたしていなません。全体の構造はシメントリックで、曲線と直線の美の世界です。すっきりして見えるのはそのせいでしょう。黄金がふんだんに使われているけれど、濃い茶色の木材も多く使われていて、色彩的にもホッとします。

    ★シナゴーグ (Zsinag&oacute;ga)と展示館(博物館)

    2年前の2002年、ベルリンで、その壮大な外観に惹かれてシナゴーグを訪れたことがあります。そのときは、併設の博物館には入れましたが、肝心のシナゴーグの中は見学させてもらえ真線でした(観光客に開放されていませんでした)。写真や絵を見るとすばらしく豪華だったので、見れないことにひどくがっかりした覚えがあります。

    あれ以来、私は豪華なシナゴーグに少し飢えているかもしれません。ブダペストのシナゴーグはベルリンの大シナゴーグに劣らず、いや、それよりももっとオリエンタルでエキゾチックなすばらしい建物のようです。玉ねぎ型ドームがあって、装飾がイスラム建築っぽい。そんな写真を見てしまえば、じっとしてはいられません。しかもブダペストのシナゴーグは、内部が見学できるらしいのです。これはぜひ行かねば、と思いました。

    着いてみたら、シナゴーグの前は人だかりで、ギョッとしました。入るのに待たなくてはならないのでしょうか。と思ったら、シナゴーグの入口でユダヤ遺跡探訪ツアーに申し込むことができ、その団体客が出発待ちをしていただけでした。私も参加しようかと、一瞬迷いました。なにしろ、私はこのシナゴーグについては、歴史を含め、ほとんど何も知りません。しかも、私の頭の中では、ブダペストのユダヤ人の歴史が、旅行直前に読んでいた本にあったプラハのユダヤ人の歴史とごっちゃになっています。ツアーに参加すれば、ガイドの説明が聞けるはずです。

    でも、ツアーは昼食込みで、終わるのが14時のようです。典型的なユダヤ料理のランチには魅了されましたが、今日の観光のハイライトは王宮の丘の予定です。そっちの時間が足らなくなると困るので、ツアーはあきらめ、シナゴーグは一人で見学することにしました。

    入口は、セキュリティ・チェックのせいで少しものものしかったです。空港並みの念の入れようでした。でもそれがすめば、後は自由放免でした。ちょうど団体が出てくるのとかち合ってしまったので、狭い入口はものすごく混雑して、なかなか中に入れませんでした。中もこうだろうか、と、とうんざりしたら、中は広々としていました。観光客は多かったのですが、それほど混雑を感じさせませんでした。それに、どこもかしこもすばらしいので、ひとところに観光客が集中しないですんでいたせいもあるかもしれません。

    それにしても、ああ……、やっと見ることができました。こんな豪華なシナゴーグ。これです、こんなのが見たかったんです。文様化されたすばらしいデザイン。あちこちに「ダビデの星」のモチーフが見られます。要するに星型模様ってことですけど。装飾が多く、バロックやロココ並みに手がこんでいるのに、バロック教会のようにごたごたしていなません。全体の構造はシメントリックで、曲線と直線の美の世界です。すっきりして見えるのはそのせいでしょう。黄金がふんだんに使われているけれど、濃い茶色の木材も多く使われていて、色彩的にもホッとします。

  • 併設の博物館はどこだろうなぁ、と「地球の歩き方」をひっくり返して確認する前に、人が多く流れる方についていったら、そのまま博物館の入口に着きました。ユダヤ教ゆかりのすばらしい品々が展示されていました。銀器が多く、金のものはほとんどありませんでした。代表的なユダヤ祝祭器具のメノーラ(7枝または9枝の燭台)やハヌカ・ランプは、いろんなデザインがあって面白かったです。ユダヤの重要な年中行事であるハヌカ、シャバット、ヨム・キップール、プリム…。1998年にイスラエル旅行する前に、あんなに勉強したはずのに、言葉は覚えていますが、それぞれ何だったか、何も見ないでは思い出せません。忘却は心の防御として時には必要ですが、こういうことは覚えていたいと痛感します。<br /><br />最上階は、ブダペストのユダヤ人の現代画家のギャラリーでした。団体客はここまで来ないせいか、とても空いていました。画家の名前はガーボル・マリアンネ (G?bor Marianne) のようです。壁のパネルに書かれた経歴を読もうとしましたが、ハンガリー語のみでしたので、さっぱりわかりませんでした。かろうじて誕生日の見当がつきました。1917年4月26日ブダペスト生まれ。ところが、没年の方は、文章中の西暦のどれか、わかりませんでした。こういう経歴の記述には、回顧展や死後の追悼的なイベントも書かれていることがあるので、一番最後の西暦が没年とは限りません。もしかしたらまだ生きているかもしれません。当年とって87歳なら、生きている可能性もありますね。<br /><br />絵柄は、インクがこすれてかすれたようなタッチで、私好みの絵が多かったです。つまり、そういう個性的なタッチで、かつ、なんとか描かれている対象がわかる程度に具象的な現代絵画でした。違う様式の絵もあったのですが、一番気に入ったタイプの絵を写真に収めました。<br /><br />(写真は、表紙と同様、シナゴーグ併設の博物館の最上階に展示されていたガーボル・マリアンネさんの絵の1枚です。こちらは「3人のラビ」です。)

    併設の博物館はどこだろうなぁ、と「地球の歩き方」をひっくり返して確認する前に、人が多く流れる方についていったら、そのまま博物館の入口に着きました。ユダヤ教ゆかりのすばらしい品々が展示されていました。銀器が多く、金のものはほとんどありませんでした。代表的なユダヤ祝祭器具のメノーラ(7枝または9枝の燭台)やハヌカ・ランプは、いろんなデザインがあって面白かったです。ユダヤの重要な年中行事であるハヌカ、シャバット、ヨム・キップール、プリム…。1998年にイスラエル旅行する前に、あんなに勉強したはずのに、言葉は覚えていますが、それぞれ何だったか、何も見ないでは思い出せません。忘却は心の防御として時には必要ですが、こういうことは覚えていたいと痛感します。

    最上階は、ブダペストのユダヤ人の現代画家のギャラリーでした。団体客はここまで来ないせいか、とても空いていました。画家の名前はガーボル・マリアンネ (G?bor Marianne) のようです。壁のパネルに書かれた経歴を読もうとしましたが、ハンガリー語のみでしたので、さっぱりわかりませんでした。かろうじて誕生日の見当がつきました。1917年4月26日ブダペスト生まれ。ところが、没年の方は、文章中の西暦のどれか、わかりませんでした。こういう経歴の記述には、回顧展や死後の追悼的なイベントも書かれていることがあるので、一番最後の西暦が没年とは限りません。もしかしたらまだ生きているかもしれません。当年とって87歳なら、生きている可能性もありますね。

    絵柄は、インクがこすれてかすれたようなタッチで、私好みの絵が多かったです。つまり、そういう個性的なタッチで、かつ、なんとか描かれている対象がわかる程度に具象的な現代絵画でした。違う様式の絵もあったのですが、一番気に入ったタイプの絵を写真に収めました。

    (写真は、表紙と同様、シナゴーグ併設の博物館の最上階に展示されていたガーボル・マリアンネさんの絵の1枚です。こちらは「3人のラビ」です。)

  • ★マーチャーシュ教会 (M&amp;aacute;ty&amp;aacute;s templom)<br /><br />乱暴な比較かもしれませんが、マーチャーシュ教会とその前の広場の雰囲気は、ずウィーンの聖シュテファン寺院と寺院前の広場を連想させます。ウィーンのを少し縮小したってかんじがしました。もっとも、ウィーンを連想させるのは、あくまで教会と、広場でもそのすぐ前のところだけです。その周辺は全く雰囲気が違うので、念のため。<br /><br />しかし、教会の中は、シュテファン寺院と全く違いました。少し東洋やイスラムチックな雰囲気が感じられました。構造は3廊式のゴシック様式。天井に壁に柱の一面に、紋章っぽい模様と絵がぎっしりでした。東方教会やイスラム風の建物に興味がある私の好奇心を大いに満足させてくれる教会でした。ハンガリーの一部がオスマン・トルコに占領されていた時代にこの教会がモスクに改築されたという歴史があるせいでしょうか。<br /><br />そう、日本でヨーロッパ史を学んでいると、ウィーンがオスマントルコに2度包囲されながら、そこで食い止めて撃退できたおかげで、西欧世界が守られた、ということばかりに焦点があてられてしまいますが、それはつまり、ちょっと考えれば(本当はわざわざ考えなくても)すぐわかることですが、お隣のハンガリーはトルコに占領されてしまったということでした。その後、オーストリア・ハプスブルグ家がハンガリーからもオスマントルコを撤退させたが、代わりにハンガリーの支配者に収まりました。そうなると、ハプスブルグ家はいわば勝者側なので、西欧史の立場からは、オスマントルコからの解放!のようなプラスイメージを持ちやすくなります。<br /><br />しかし、ハンガリーにとって、オスマントルコの支配時代の方が、ある意味緩やかで、ハプスブルグ家の支配の方が過酷だった一面もあったそうです。オーストリア・ハンガリー二重帝国の成立は、そんなハプスブルグ家に対するハンガリー人によるたび重なる反乱と、ハプスブルグ家の弱体化と当時のヨーロッパ情勢による妥協の産物といえます。でも一方、同じように民族の独立を求めていたチェコとスロヴァキアがハンガリーと同様の権益を認められなかったことを考えると、ハプスブルグ帝国とハンガリーは、まだ幸せな「結婚」に思えました。いやはや、本当に、歴史はひとつではないとしみじみ思います。<br /><br />マーチャーシュ教会には、他の教会の例にもれず宝物館がありました。街の主要な教会の宝物館は、入場料が余分にかかっても、なるべく見学するようにしています。それほど規模が大きくなくても、たいてい、豪華で手の込んだ聖遺物入れや十字架などの宝物、聖職者のマント、手書きが美しい聖書、教会の内外を飾る聖像のオリジナルなど、多岐にわたるコレクションを楽しむことができるからです。マーチャーシュ教会の宝物館も、期待通りのすばらしいコレクションぞろいでした。特に、宝石がたくさん使われた聖遺物入れを見るのが、最近の私のお気に入りです。ただし、それは宝石や鉱物に関心が高まったためなので、教会宝物を見ても、その意匠の見事さに感心するより、この宝石は何だろう、とついついそのことばかり、考えてしまいます。<br /><br />途中、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后のハンガリー王・王妃としての戴冠式のときの壁画がありました。ハプスブルグやエルザベート関係の本の写真でよく見かけた絵ですが、オリジナルはこれでしょうか。式はこの教会で行われたのだから、充分ありえます。エリザベートの大理石像もありました。2人連れの、英語がネイティブの女の子たちがいて、うち一人がエリザベートのファンらしく、大理石像を見て感激していました。連れに一緒の写真を嬉しそうに撮ってもらい、自分でも大理石像だけの写真を何枚か撮っていました。なんだか微笑ましい光景でした。

    ★マーチャーシュ教会 (M&aacute;ty&aacute;s templom)

    乱暴な比較かもしれませんが、マーチャーシュ教会とその前の広場の雰囲気は、ずウィーンの聖シュテファン寺院と寺院前の広場を連想させます。ウィーンのを少し縮小したってかんじがしました。もっとも、ウィーンを連想させるのは、あくまで教会と、広場でもそのすぐ前のところだけです。その周辺は全く雰囲気が違うので、念のため。

    しかし、教会の中は、シュテファン寺院と全く違いました。少し東洋やイスラムチックな雰囲気が感じられました。構造は3廊式のゴシック様式。天井に壁に柱の一面に、紋章っぽい模様と絵がぎっしりでした。東方教会やイスラム風の建物に興味がある私の好奇心を大いに満足させてくれる教会でした。ハンガリーの一部がオスマン・トルコに占領されていた時代にこの教会がモスクに改築されたという歴史があるせいでしょうか。

    そう、日本でヨーロッパ史を学んでいると、ウィーンがオスマントルコに2度包囲されながら、そこで食い止めて撃退できたおかげで、西欧世界が守られた、ということばかりに焦点があてられてしまいますが、それはつまり、ちょっと考えれば(本当はわざわざ考えなくても)すぐわかることですが、お隣のハンガリーはトルコに占領されてしまったということでした。その後、オーストリア・ハプスブルグ家がハンガリーからもオスマントルコを撤退させたが、代わりにハンガリーの支配者に収まりました。そうなると、ハプスブルグ家はいわば勝者側なので、西欧史の立場からは、オスマントルコからの解放!のようなプラスイメージを持ちやすくなります。

    しかし、ハンガリーにとって、オスマントルコの支配時代の方が、ある意味緩やかで、ハプスブルグ家の支配の方が過酷だった一面もあったそうです。オーストリア・ハンガリー二重帝国の成立は、そんなハプスブルグ家に対するハンガリー人によるたび重なる反乱と、ハプスブルグ家の弱体化と当時のヨーロッパ情勢による妥協の産物といえます。でも一方、同じように民族の独立を求めていたチェコとスロヴァキアがハンガリーと同様の権益を認められなかったことを考えると、ハプスブルグ帝国とハンガリーは、まだ幸せな「結婚」に思えました。いやはや、本当に、歴史はひとつではないとしみじみ思います。

    マーチャーシュ教会には、他の教会の例にもれず宝物館がありました。街の主要な教会の宝物館は、入場料が余分にかかっても、なるべく見学するようにしています。それほど規模が大きくなくても、たいてい、豪華で手の込んだ聖遺物入れや十字架などの宝物、聖職者のマント、手書きが美しい聖書、教会の内外を飾る聖像のオリジナルなど、多岐にわたるコレクションを楽しむことができるからです。マーチャーシュ教会の宝物館も、期待通りのすばらしいコレクションぞろいでした。特に、宝石がたくさん使われた聖遺物入れを見るのが、最近の私のお気に入りです。ただし、それは宝石や鉱物に関心が高まったためなので、教会宝物を見ても、その意匠の見事さに感心するより、この宝石は何だろう、とついついそのことばかり、考えてしまいます。

    途中、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后のハンガリー王・王妃としての戴冠式のときの壁画がありました。ハプスブルグやエルザベート関係の本の写真でよく見かけた絵ですが、オリジナルはこれでしょうか。式はこの教会で行われたのだから、充分ありえます。エリザベートの大理石像もありました。2人連れの、英語がネイティブの女の子たちがいて、うち一人がエリザベートのファンらしく、大理石像を見て感激していました。連れに一緒の写真を嬉しそうに撮ってもらい、自分でも大理石像だけの写真を何枚か撮っていました。なんだか微笑ましい光景でした。

  • ★国立絵画館 (Magyar Nemzeti Gal&amp;eacute;ria)(王宮内)<br /><br />国立絵画館には、ハンガリー美術史を知るため、ぜひ行きたいと思っていました。それが、ブダペストのシンボルともいえる王宮内にあるので、一石二鳥だと思いました(旧王宮が国立美術館や博物館として公開されているのは珍しくないけれど)。<br /><br />王宮はA館からE館(国立美術館はそのうちB館からD館)、それから図書館がある複合的な建物で、中庭と周辺、それからテラスからドナウ川沿いを見下ろす散策だけでも、なかなか楽しめそうです。しかし、一番の目当てはやはり美術館。これだけ広いと入口にたどり着くまで迷いそうだなぁと思いつつ、ちらほら見られる「本日はD館のみ開館」という張り紙にやや不安を覚えながら入口を探しました。<br /><br />B館とC館が開いていないせいかどうかわかりませんが、入場料はタダでした。中はエアコンがきいていました。荷物はクロークに預けられることができたし(というか、私のタウンバックは大きいので、預けるのは必須)、あちこちに休めるイスがあるので助かりました。<br /><br />ゴシック祭壇や木彫りの聖人コレクションは、そのまま、ふうん、と、さらっと鑑賞しました。国立美術館なのだから、なるべくハンガリーらしい作品の鑑賞に時間をかけたかったからです。ゴシック祭壇や木彫り聖像などの鑑賞自体も好きは好きなのですが、汎ヨーロッパ的、とまではいいませんが、ドイツやオーストリアで見てきたものと特徴の違いがあまりよくわかりませんでした。一方、絵画は、ハンガリー史を知らないので画家も知らない人です。だから誰の絵だから、というより、絵そのもので面白さを味わうようにしました。<br /><br />だけど、特に問題がなさそうなセクションが、閉鎖中、といって入れてくれないのはどうしてなのでしょう。入場料がタダの日だからでしょうか。有料でもいいから、開放して欲しかったです。<br /><br />ハンガリー美術史の中で、少なくとも近代ハンガリーの国民画家ムンカーチ・ミハーイ (1884-1900年)、ハンガリー現代美術の父といわれるシニェイ・メルシェ・パール (1845-1920年)、それから超現実主義的な大胆な画家だというチョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル (1853-1919年) の作品はぜひ鑑賞したいと思っていました。旅行前ににわか勉強した本に掲載されていたそれらの画家たちの代表作の写真の欄外にも、「ハンガリー国立美術館蔵」とありました。つまり、この美術館です。───しかし、見つからないまま、見終わってしまいました。いかにもムンカーチやシニェイの時代の19世紀っぽい近代絵画自体、そもそも見かけませんでした。現代絵画はありましたが、画家の名をチラッとしかチェックしなかったし、ハンガリー語のスペルは慣れないので、もしかしてチョントヴァーリの名を見過ごしたかもしれません。そう思って現代絵画のセクションをもう一度周ってみましたが、ありませんでした。がっかりです。だって、ハンガリーに来たからには、こういう代表的な画家の絵こそ、見たいと思っていたんですから。来日展覧会など行われそうにない画家だからこそ、お国元で見てみたかったのです。<br /><br />結局、国立美術館で見ることができたのは、中世美術と現代絵画だけでした。どちらも私の好きなジャンルだから、展示されていた作品に不満があるわけではないのですが、本日のハイライトとして時間もたっぷり割こうと気合いを入れてきただけに、拍子抜けしてしまいました。<br /><br />(写真は、ブダペスト王宮の写真です。絵画館に割り当てられた建物は、これより奥の方でした。)

    ★国立絵画館 (Magyar Nemzeti Gal&eacute;ria)(王宮内)

    国立絵画館には、ハンガリー美術史を知るため、ぜひ行きたいと思っていました。それが、ブダペストのシンボルともいえる王宮内にあるので、一石二鳥だと思いました(旧王宮が国立美術館や博物館として公開されているのは珍しくないけれど)。

    王宮はA館からE館(国立美術館はそのうちB館からD館)、それから図書館がある複合的な建物で、中庭と周辺、それからテラスからドナウ川沿いを見下ろす散策だけでも、なかなか楽しめそうです。しかし、一番の目当てはやはり美術館。これだけ広いと入口にたどり着くまで迷いそうだなぁと思いつつ、ちらほら見られる「本日はD館のみ開館」という張り紙にやや不安を覚えながら入口を探しました。

    B館とC館が開いていないせいかどうかわかりませんが、入場料はタダでした。中はエアコンがきいていました。荷物はクロークに預けられることができたし(というか、私のタウンバックは大きいので、預けるのは必須)、あちこちに休めるイスがあるので助かりました。

    ゴシック祭壇や木彫りの聖人コレクションは、そのまま、ふうん、と、さらっと鑑賞しました。国立美術館なのだから、なるべくハンガリーらしい作品の鑑賞に時間をかけたかったからです。ゴシック祭壇や木彫り聖像などの鑑賞自体も好きは好きなのですが、汎ヨーロッパ的、とまではいいませんが、ドイツやオーストリアで見てきたものと特徴の違いがあまりよくわかりませんでした。一方、絵画は、ハンガリー史を知らないので画家も知らない人です。だから誰の絵だから、というより、絵そのもので面白さを味わうようにしました。

    だけど、特に問題がなさそうなセクションが、閉鎖中、といって入れてくれないのはどうしてなのでしょう。入場料がタダの日だからでしょうか。有料でもいいから、開放して欲しかったです。

    ハンガリー美術史の中で、少なくとも近代ハンガリーの国民画家ムンカーチ・ミハーイ (1884-1900年)、ハンガリー現代美術の父といわれるシニェイ・メルシェ・パール (1845-1920年)、それから超現実主義的な大胆な画家だというチョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル (1853-1919年) の作品はぜひ鑑賞したいと思っていました。旅行前ににわか勉強した本に掲載されていたそれらの画家たちの代表作の写真の欄外にも、「ハンガリー国立美術館蔵」とありました。つまり、この美術館です。───しかし、見つからないまま、見終わってしまいました。いかにもムンカーチやシニェイの時代の19世紀っぽい近代絵画自体、そもそも見かけませんでした。現代絵画はありましたが、画家の名をチラッとしかチェックしなかったし、ハンガリー語のスペルは慣れないので、もしかしてチョントヴァーリの名を見過ごしたかもしれません。そう思って現代絵画のセクションをもう一度周ってみましたが、ありませんでした。がっかりです。だって、ハンガリーに来たからには、こういう代表的な画家の絵こそ、見たいと思っていたんですから。来日展覧会など行われそうにない画家だからこそ、お国元で見てみたかったのです。

    結局、国立美術館で見ることができたのは、中世美術と現代絵画だけでした。どちらも私の好きなジャンルだから、展示されていた作品に不満があるわけではないのですが、本日のハイライトとして時間もたっぷり割こうと気合いを入れてきただけに、拍子抜けしてしまいました。

    (写真は、ブダペスト王宮の写真です。絵画館に割り当てられた建物は、これより奥の方でした。)

  • ★ハンガリー国立フォーク・アンサンブル (Hungarian State Folk Ensemble) による民族舞踊のコンサート(ブダイ・ヴィガドーにて)<br /><br />ヴィガドーという名の劇場はブダペストに2つあります。私が行ったのは、ブダ側、王宮の丘のふもと、漁夫の砦の下にある方のヴィガドーです。ブダにあるので、ブダイ・ヴィガドー。ペスト側にあるのは、ペスティ・ウィガドー。ペスティ・ヴィガドーの方は、現在はオペレッタやコンサート、ミュージカルなどが上演される由緒ある劇場で、フォーマルな服装で行く方がよいようです。もちろん、なにかよい、私の興味を引く公演があれば、ぜひペスティ・ヴィガドーでの観劇もしたかったのですが、私が観劇できたのは、ブダイ・ヴィガドーの方のみです。こちらは、主に観光客向けの民族舞踊などの公演が行われる劇場です。観光客向けだけあって、オペラ座だのたいていの由緒ある劇場が休館シーズンに入る時期(おそらく、ペスティ・ヴィガドーもこのとき休館シーズン中だったと思います)でも、ほぼ毎日のように公演がありました。それに私はもともと、ブダペストで民族舞踊はぜひ見たかったのです。渡りに船でした。<br /><br />チケットの入手は、前夜のBUDAfestaのバレエ・ガラ公演に比べるとずっと簡単でした。観光案内所で手に入りました。観光案内所ではなくても、ヴァーツィ通りや聖イシュトヴァーン大聖堂前の広場など観光客が集まるところに何カ所か、チケット売り場が設けられていました。どうせなら、と一番よい席を求めたところ、4,600HFU(1HFU=約0.5円で換算して、約2,300円)でした。<br /><br />確か日本の観光案内所から取り寄せた資料にあったと思いますが、ブダイ・ヴィガドーはブダペストでもっともきれいな建物といわれているそうです。ところが実物をひと目見て、悪いけど、どこが!と思ってしまいました。それともあれは、同じヴィガドーでも、ペスティ・ヴィガドーのことで、私が勘違いしていただけでしょうか。<br /><br />ブダイ・ヴィガドーの建物は黒ずんでいて、漆喰は剥げていました。入口は固く閉ざされ、あたりは閑散としていて、ここで今晩、本当にコンサートが行われるのか、と疑いたくなりました。幸い、「今晩、フォーク・コンサート開催!」という看板が、入口前に1つだけポツンと立っていました。それがなかったら、この建物はきっと廃館で、今は使われていないにちがいない、と勘違いしたかもしれません。よくよく見ると、そこまでうらぶれているわけではなかったのですが、たぶん、思った以上の人気のない寂しい雰囲気が、そう思わせたのだと思います。<br /><br />レストランで食事をしていたら、開演前ぎりぎりになってしまいました。慌てて飛び込んだので最初はわからなかりませんでしたが、幕間の休憩時間に少し歩き回ったときに、ブダイ・ヴィガドーがブダペストでもっともきれいな建物といわれているのはこういうことだろうか、と納得できました。エントランス・ホールから階段、舞台のあるフロアといった内装が、宮殿みたいにすばらしいのです。階段の踊り場にあたるところに民族衣装の展示もありました。ハンガリーの名高いカロチャ刺繍がたっぷり施されています。これもステキ、あれもステキとカメラを構えているうち間に、全部の写真を撮ってしまいました。<br /><br />(写真は、ブダイ・ヴィガドーに展示されていた民族衣装のうち、一番オーソドックスなカロチシャ刺繍がたっぷりの衣装です。この図柄の刺繍は、もちろん、おみやげ+自分用に買って帰りました。ただし、ここまで見事なものとなるとお値段がはりますので、大きいやつでもせいぜい花瓶敷きか、それより少し大きいくらい@)

    ★ハンガリー国立フォーク・アンサンブル (Hungarian State Folk Ensemble) による民族舞踊のコンサート(ブダイ・ヴィガドーにて)

    ヴィガドーという名の劇場はブダペストに2つあります。私が行ったのは、ブダ側、王宮の丘のふもと、漁夫の砦の下にある方のヴィガドーです。ブダにあるので、ブダイ・ヴィガドー。ペスト側にあるのは、ペスティ・ウィガドー。ペスティ・ヴィガドーの方は、現在はオペレッタやコンサート、ミュージカルなどが上演される由緒ある劇場で、フォーマルな服装で行く方がよいようです。もちろん、なにかよい、私の興味を引く公演があれば、ぜひペスティ・ヴィガドーでの観劇もしたかったのですが、私が観劇できたのは、ブダイ・ヴィガドーの方のみです。こちらは、主に観光客向けの民族舞踊などの公演が行われる劇場です。観光客向けだけあって、オペラ座だのたいていの由緒ある劇場が休館シーズンに入る時期(おそらく、ペスティ・ヴィガドーもこのとき休館シーズン中だったと思います)でも、ほぼ毎日のように公演がありました。それに私はもともと、ブダペストで民族舞踊はぜひ見たかったのです。渡りに船でした。

    チケットの入手は、前夜のBUDAfestaのバレエ・ガラ公演に比べるとずっと簡単でした。観光案内所で手に入りました。観光案内所ではなくても、ヴァーツィ通りや聖イシュトヴァーン大聖堂前の広場など観光客が集まるところに何カ所か、チケット売り場が設けられていました。どうせなら、と一番よい席を求めたところ、4,600HFU(1HFU=約0.5円で換算して、約2,300円)でした。

    確か日本の観光案内所から取り寄せた資料にあったと思いますが、ブダイ・ヴィガドーはブダペストでもっともきれいな建物といわれているそうです。ところが実物をひと目見て、悪いけど、どこが!と思ってしまいました。それともあれは、同じヴィガドーでも、ペスティ・ヴィガドーのことで、私が勘違いしていただけでしょうか。

    ブダイ・ヴィガドーの建物は黒ずんでいて、漆喰は剥げていました。入口は固く閉ざされ、あたりは閑散としていて、ここで今晩、本当にコンサートが行われるのか、と疑いたくなりました。幸い、「今晩、フォーク・コンサート開催!」という看板が、入口前に1つだけポツンと立っていました。それがなかったら、この建物はきっと廃館で、今は使われていないにちがいない、と勘違いしたかもしれません。よくよく見ると、そこまでうらぶれているわけではなかったのですが、たぶん、思った以上の人気のない寂しい雰囲気が、そう思わせたのだと思います。

    レストランで食事をしていたら、開演前ぎりぎりになってしまいました。慌てて飛び込んだので最初はわからなかりませんでしたが、幕間の休憩時間に少し歩き回ったときに、ブダイ・ヴィガドーがブダペストでもっともきれいな建物といわれているのはこういうことだろうか、と納得できました。エントランス・ホールから階段、舞台のあるフロアといった内装が、宮殿みたいにすばらしいのです。階段の踊り場にあたるところに民族衣装の展示もありました。ハンガリーの名高いカロチャ刺繍がたっぷり施されています。これもステキ、あれもステキとカメラを構えているうち間に、全部の写真を撮ってしまいました。

    (写真は、ブダイ・ヴィガドーに展示されていた民族衣装のうち、一番オーソドックスなカロチシャ刺繍がたっぷりの衣装です。この図柄の刺繍は、もちろん、おみやげ+自分用に買って帰りました。ただし、ここまで見事なものとなるとお値段がはりますので、大きいやつでもせいぜい花瓶敷きか、それより少し大きいくらい@)

  • 舞台は、とてもよかったです。ハンガリーの民族舞踊は、地方ごと、街ごと、村ごとにそれぞれ独特の踊りに歌、それから衣装があるようです。あんまり詳しくなかった私は、ハンガリーの民族舞踊とは、マジャール民族の舞踊としてハンガリー全土でほぼ共通なのかと勘違いしていたようです。プログラムを見て気づきました。考えてみれば日本の民舞だって、県単位でも豊かなヴァリエーションがあります。今晩のコンサートは、さまざまな地方の舞踊が盛り込まれていました。そもそも、ハンガリーの民族舞踊といっても、せいぜい「白鳥の湖」のような古典バレエに取り入れられたチャルダーシュくらいしか知らなかった私には、地方差はさっぱりわかりませんでしたが、どれもとても珍しくて、面白かったです。<br /><br />全体的に、男性の踊りの方が活発だと思いました。足を踏み鳴らしたり、膝や太腿を叩いたりする踊りが多く、とてもリズミカルでした。女性の踊りは、ゆったりしていました。手を組んで輪になって踊ったり、歌ったり、というのが多かったです。村の広場でトーテムかメイポールを囲んで祭りを楽しんでいるビジョンが浮かびました。行く前にハンガリー舞踊について簡単に調べはしたのですが、男性の踊りには、ヴェルブンコシュという、募兵のために、軍隊生活がきらびやかだと思わせるために踊られたものがあるそうです。おそらくこれがそうだろう、という踊りもありました。チョビひげに羽付きのハット、制服にマントを肩から斜めにかけ、ブーツ姿のえらそうな軍人が、膝を叩いたり足を踏み鳴らしたり、イェーイ!と飛び跳ねる様は、童心にもどって楽しんでいるように見えました。確かに、こんな踊りにつられて募兵に応じる素朴で夢あふれる若者がいても不思議ではないかも、と思いましたし、こんな風に踊る兵隊にぽーっとなる純朴な村娘もいたんじゃないかと思いました。<br /><br />(写真は、舞台の一シーンです。なるべく大勢出演しているシーンをねらいました。背後の扇のようなものは舞台背景です。)

    舞台は、とてもよかったです。ハンガリーの民族舞踊は、地方ごと、街ごと、村ごとにそれぞれ独特の踊りに歌、それから衣装があるようです。あんまり詳しくなかった私は、ハンガリーの民族舞踊とは、マジャール民族の舞踊としてハンガリー全土でほぼ共通なのかと勘違いしていたようです。プログラムを見て気づきました。考えてみれば日本の民舞だって、県単位でも豊かなヴァリエーションがあります。今晩のコンサートは、さまざまな地方の舞踊が盛り込まれていました。そもそも、ハンガリーの民族舞踊といっても、せいぜい「白鳥の湖」のような古典バレエに取り入れられたチャルダーシュくらいしか知らなかった私には、地方差はさっぱりわかりませんでしたが、どれもとても珍しくて、面白かったです。

    全体的に、男性の踊りの方が活発だと思いました。足を踏み鳴らしたり、膝や太腿を叩いたりする踊りが多く、とてもリズミカルでした。女性の踊りは、ゆったりしていました。手を組んで輪になって踊ったり、歌ったり、というのが多かったです。村の広場でトーテムかメイポールを囲んで祭りを楽しんでいるビジョンが浮かびました。行く前にハンガリー舞踊について簡単に調べはしたのですが、男性の踊りには、ヴェルブンコシュという、募兵のために、軍隊生活がきらびやかだと思わせるために踊られたものがあるそうです。おそらくこれがそうだろう、という踊りもありました。チョビひげに羽付きのハット、制服にマントを肩から斜めにかけ、ブーツ姿のえらそうな軍人が、膝を叩いたり足を踏み鳴らしたり、イェーイ!と飛び跳ねる様は、童心にもどって楽しんでいるように見えました。確かに、こんな踊りにつられて募兵に応じる素朴で夢あふれる若者がいても不思議ではないかも、と思いましたし、こんな風に踊る兵隊にぽーっとなる純朴な村娘もいたんじゃないかと思いました。

    (写真は、舞台の一シーンです。なるべく大勢出演しているシーンをねらいました。背後の扇のようなものは舞台背景です。)

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この旅行記へのコメント (1)

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  • shinesuniさん 2005/11/01 20:12:43
    この絵がすきならば...
    ペーチにあるチョントバーリの絵は気に入るのでは...
    http://4travel.jp/traveler/shinesuni/album/10040565/
    古い1枚の写真とポストカードしかありませんが、よろしければみて確認してください。かなり大きい絵です。
    絵の場所はペーチやシリアのパルミラ遺跡です。

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