2005/08/17 - 2005/08/18
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night-train298さん
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8月17日 (水)
08:00 Lubian → 16:00 La Gudina (23km)
/ Albergue 泊
今日は23kmなので、ゆっくり出発。
出発前からコーヒーを飲もうと、バルを探したが、まだ開いていなかった。
すでに明るくなっているが、なるべくみんなにくっついて行くことにする。
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朝、アルベルゲの部屋から、羊の出勤風景を見学
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ところがいきなり山道。
当然真っすぐ行くべきところを、後ろから呼び止められる。
村のおじさんに、こっちだよと言われて振り返ると、矢印も道もあった。
こんなのあり?
振り返らなければ見えない矢印。おじさんが偶然いたから良かったけれど・・・。
木がよく茂り、小川を渡ったり、とても自然と親しめるコースだった。
登りも下りもきつい。
平らな道ならなんとかついていけるが、どんどんみんなと差が開く。
やっと山の頂上に上がると、すぐに後ろからホセがやってきた。
ここからいよいよガリシアに入るという分岐点であった。 -
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去年も場所は違うが、やはりガリシアに入った時に、パキ、アンヘルと写 真を撮ったものだった。
ホせがここで5分休憩しようと提案してきた。 私はこの勢いのまま行ってしまいたかったが、断るわけにもいかない。
写真を撮りあって、休んでいると、ミカさんもやってきた。
ミカさんはすぐに横になっている。早業だった。 -
ここからガリシア
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ガリシア地方に入ったとたんに、標識がたくさん出てきた!
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ここからは、ホセと一緒に歩くことになってしまった。
ホセは日本の文化、歴史について詳しい。漢字についても造詣が深い。
若い頃(ただいま31歳)は空手をやっていたので、空手のことを思い出し、たくさん質問をしてくるが、私は空手のこともわからない上、変な日本語だから見当もつかない。 歩きながらしゃべるのも大変だが、頭をつかうのも疲れる。
歴史についてもいろいろ聞いてくるので、一生懸命答えた。
日本語を教えてほしいというので、教えるとすぐに覚えてしまう。 -
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やっと途中の村に着いた。
ここにはバルはなく、店があったが、残念ながら閉まっていた。
たまたま通りがかったこの店のおばさんは、私たちのために、必要なものだけ売ってくれたので、店の前に座ってそれを飲んだ。
ホセはおばさんを相手におしゃべりをはじめたので助かった。
ここで座れたのは何よりだった。
今日はここ一か所しか村がなかったからだ。
再び三人で歩きはじめる。
私はホセに、ほとほと疲れてきた。悪い人ではないのはわかるが、あまりにもうるさい!
ホセはファミリーにはまだ入れられないな。せいぜい遠い親戚だ。
何気なく先を歩いていると、後ろから大声で呼び止められる。
「お〜い、待ってよ〜。この話、ちょっと通訳してくれる?」
その度に私は一緒に歩かなければならなかった。
ホセと日本の鎖国の話などをしていると、食べ物の話になった。 文明開化でスキヤキを食べたという話からだ。
味噌汁はおいしいねとホセが言い出す。今度Caminoに来る時は、味噌を持ってきなよと言う。
そんな重たいものはゴメンだ!と内心思いながらも、そろそろみんなに何か和食を作ってあげたいな・・・・・。 -
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アルベルゲは線路の向こうに見えたので、踏み切りのない線路を渡ってみたが、下に降りる道がない上、塀があった。高架の下をくぐれば簡単にアルベルゲに入ることが出来た。
そしてここも新しいアルベルゲであった。
今日からガリシア、一段とアルベルゲの質が良くなる。 とても広いスペース。設備も良く、建築もいい感じだった。
そして使いやすそうなキッチンを発見。
今日はみんなに日本食を作ろう! -
アルベルゲ室内
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パキから電話が入った。
8月17日にオウレンセに着いて、18日から一緒に歩くということだった。
待ち合わせ場所が正式に決まったら電話すると約束をして、あとはオウレンセからバスに乗ってもらえばいい。
彼女に素敵な仲間達を紹介するのも楽しみだ。増々楽しくなってきた。
洗濯を始めると、イワンも隣で洗濯をはじめた。
井戸端会議になり、今度友達が来て一緒に歩くのよと言うと、イサベルから聞いたと言う。
「パキはね、すごく感じが良くて、すごく親切で、すごく優しい子で、すごく美人なの!」
知っているスペイン語を全部使ってパキを絶賛した。イワンも楽しみだと言ってくれた。 -
ホセと一緒にまずはランチを食べにいく。
すでに昼食時間を過ぎてしまい、またもやボカディージョしか食べられなかったが、おいしかった。
ホセに今日は料理を作ると言うと、一緒に買い物につきあってくれた。
私は海外の過酷な条件で料理をするのは得意だった。数年間お鍋でご飯を炊いていたし、ある材料だけで日本的な味に仕上げるのがけっこう得意なのであった。
何を作ろうか。 簡単にできてボリュームのあるもの・・・。去年グリちゃんが作ったと聞いたちらし寿司がいいかもしれない。
これもかつて良く作ったレパートリーの一つであった。
ところが材料を手に入れるのがあまりに難しかった。 この村にはスーパーがあるのに、野菜を売っていないのだ。せめて緑のインゲン豆が欲しいがない。もちろん醤油もダシもみりんもない。 緑どころか、野菜はレタスくらいしか売っていなかったので、瓶詰めのニンジンを買った。千切りにしてあり、酢でマリネしてあるのだ。インゲンは缶 詰を買った。 大きなモロッコインゲンが、クタクタに煮てある代物だった。あとはシーチキン、卵くらいしか手に入らない。新鮮な魚介類などは遠い夢だった。
調味料として、ワインビネガー、砂糖、スープの素、ワイン。 -
photo by mica
インゲンをスープで煮て、シーチキンは赤ワインを入れて水分がなくなるまで煎る。 すし酢はワインビネガーにスープの素、砂糖、水少々を入れ沸騰させたが、おいしくない。 瓶入りのにんじんの汁の方が上品な味だったので、それを足す。
卵が決め手だった。薄焼き卵を作る。
一番の心配は、ご飯を1kg炊くこと。キッチンには小さい鍋しかない。 ホセに探してもらったが、借りれなかったのだ。
小さい鍋が二つ。これで2回づつ、ご飯を炊くことにした。
ご飯もそれなりに炊けてすし酢をかける。全てを混ぜて、錦糸卵を乗せ、一番上に紅ショウガ風にニンジンを乗せて完成。
デザートにはメロン。ワインは皆が買ってくれた。
紙ナフキンを誰かがグラスにセッティングしてくれ、みかけはなんとか整った。
ペドロは私のipodを聴いて、さっきからずっと歌っている。日本の曲を聴いて、気分を盛り上げているのだろうか?!
カメラを持ってみんなが集まってくる。
料理の簡単な説明をした後、 みんなはおそるおそる手を付ける。
私としては、この材料で作った割にはけっこういける味だと思った。
大量に皿によそっておいたが、みんな完食してくれてほっとした。 -
photo by mica
食後はバルに行ってお茶を飲むことになった。
このバルには、子供だましの?ボーリングレーンが一つある。
今からこれで遊ぼうというのである。
順番を決めてボールを投げる。ボールに指を入れる穴はなく、大きさも小さい。ハンマー投げの球のよう。 レーンの上には乗らず、ひざの高さのレーンに投げる。ピンは上から紐で引っ張っている。 でも、ちゃんと倒れたピンの数はわかるようになっていた。
白熱した勝負だった。
全員の真剣なことと言ったら、昨日の椅子取りゲーム以来だ。(!)
いつもいい笑顔のイワンも目つきがこわい。ストライクを出す時もある反面、ガーターもあり、一度は壁におもいきりぶつけていた。
イサベルなんて全てを集中して恐いくらいだった。途中まではストライクに入りそうなのに、曲がってガーター。
ホセも講釈を言うわりにいまいち。
ペドロは時々少し倒す。
ミカさんは後半ストライクを出していた。
一番上手だったのは、やる気がなさそうに投げるペペだった。
ミカさんも、ペペも大人だから、力を抜いているのが良かったのだろう。
私は・・・力が入り過ぎてバルの客席までボールが飛んでしまったり、ウケを狙っているかのごとく、頑張るのだがぜんぜんダメ。
それでもみんな真剣に勝負するし、他の人(ほとんど私)を見て大笑いして、今日も修学旅行のような夜はふけていった。 -
8月18日 (木)
05:45 La Gudina → 16:00 Laza (31.4km)
/Albergue 泊
今日は不思議な日だった。
朝、いつものように全員で出発。 (早起きが苦手なホセだけはまだ寝ていたが。)
イサベルと話しながら歩いた。
イサベルはこう言った。
「私はラッキーだったと思うわ。だってホセは私たちの一日後ろを歩いていただけなのに、10日間も誰にも会わなかったのよ。キ二ーは私たちの一日先をいつも歩いているけれど、(電話で)誰にも会わないと言っていたわ。私たちはこんなグループで歩けるなんて本当にラッキーだったわ。」
いつも仲間のことを気にかけ、まとめてくれたのはイサベルだった。
そんな彼女も、このグループができたことに満足していたのだ。
出会いは不思議だ。
私は最初のあいだは、Meridaからスタートすれば楽にSantiagoに着けたのに・・・と思ったものだが、そうしていたら皆に会えなかっただろう。もしあの38kmをバスにに乗らなかったら・・・、やはり皆に追い付かなかっただろう。 イサベルがSalamanca で友達と会って二泊していなかったら・・・などなど様々な偶然が私たちを結び付けた。
イサベルはお母さんと一緒に、刺繍製品を売る会社を経営している。そのお母さんも一昨年にフランスの道を歩いた。その時は都合で途中で帰らなければならなかったが、翌年また再開して歩いたそうだ。
悩んでいることがあったイサベルにCamino行きを勧めたのは、この母親だった。
最初の年はSantiagoまでの100kmを歩いた。
そこでハマってしまい、去年フランス道を歩いたのだった。
そして今年の春にも一週間だけポルトガルの道も歩いている。
一人でも歩ける強い女性である。そこらの男たちよりずっとカッコイイ!
イサベルは三人姉妹の真ん中。36歳の姉と34歳の妹がいる。姉も旅行が大好きで、アフリカなど40ケ国も旅をしていると言う。 今回Santiagoに着いたら、帰りにアストリア地方か、フランス道のもう一つの道、Jacaの方面 に行きたいと言っている。
アストリア地方は、父方の親戚がいて、そこには結婚をしていない90代の三人姉妹が住んでいるのだという。 イサベルは冗談も言わない真面目な人だけど、心がとても優しくて暖かい。イワンの話も笑いながら聞いているし、ペドロの理屈っぽい話にもつきあう。人の話をよく聞く人だ。そして常にみんなのことを思ってくれるから、とても慕われていた。
私にとっても、こんな素敵な人たちに出会えたことは誇りだった。 限られた人達にしか会えないような巡礼者が少ない『銀の道』で、一番素敵な人たちに出会えたのだと思う。 -
後ろを振り返ると、派手ではないが、うっとりとするような朝焼け。イワンも見とれている。写 真を撮ろうかと考えているとイワンが先にカメラを出した。(すごく変なカメラ)
私も撮ろう。
写真を二枚撮った時、急にレンズが変な音を立てた。
それ以来カメラが壊れてしまった。
私は誰よりも写真をいっぱい撮る。次々と変わる風景を記録しておきたいのだ。
カメラはこの旅行のために新しくしていた。
ほぼ毎年カメラを買うほど、カメラが重要なのだ。
いい写真を撮るためというよりは、自分の記憶のひとつのメモリーとして、体の一部に内臓されているかのように、いつもカメラと一緒だったのに。
よくなくしものものをする私だが、カメラが壊れるというのは想定していなかった。 そんな割にはちっともカメラを大切にしていなかった。
去年のカメラもあっけなく手放しているし、このカメラも何度も落としていた。
このショックは大きかったが、気を取り直し、携帯電話のカメラで我慢することにした。 画像が悪くても、その場のその時の自分を記録できるだろう。 -
(ここからは携帯電話のカメラになります)
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午前中はこの美しい山々の峰を通 る。緑が深い。
これがガリシアなんだ。
その谷間には小さな村が点在する。 この景色を写真に写せないのは残念だった。
今度このカメラが直ったら、大切にしてあげよう。
この後さらに湖の周りを歩き、山道へ。
山全体が、丸焦げの道を歩いた。山火事の爪痕だった。
それでも少しは緑の芽も出ているが、 この木々が元のようになるには、何年かかるのだろうか。
ミカさんは眠たそうで、ふらふらしていたので、道ばたでお昼寝。
たま〜に車が通る。 -
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そしてLazaの村に着いた。 村に着くとすぐに、私たちを女性が呼んでいる。
そこでアルベルゲに泊まる手続きをし、車に乗るように言われて、アルベルゲに連れていってくれた。こんなサービスは初めてだった。
そこは警察署で、婦警さんだった。 アルベルゲまでは歩いても10分とかからない距離だった。
少し小高い丘の上にあり、 ここもガラス張りで、清潔感にあふれ、居心地の良いアルベルゲだった。
警察で部屋と入り口の鍵をもらっていたが、入った先はみんなと同じ部屋だった。
イワンは入り口のソファで寝ていたし、他の人たちは自分のベッドで寝ていた。
とても静かだったので、起こさないように気をつけた。
それにしても、みんなはよく眠る。私はみんなの半分しか寝ていないような気がする。 みんなが起きた頃、一緒に遊んでしまうからだ。
それでも今日は少しでも横になろう。何しろ明日はいよいよパキが来るのだから、元気になっていなければ。 -
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アルベルゲの入り口で(ぺぺとペドロ)
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少し暗くなりかけた頃、イワンがこれからバルに行くけど一緒に行くか聞いてきた。疲れて行きたくないなら、何か買ってくると言ってくれた。
私たちは一緒にバルに行く方を選んだ。イサベルも一緒にきた。
こちらのお店はわかりにくい。看板が出ていればいいが、民家と区別がつかない店も多い。 村の人に聞きながら店に着いた。
雑貨も食料も売っているようなヨロズヤさんだ。 ここでハムなどを買い、あとでパンも買ってボカディージョを作るという。 奥では店のお兄さんが好きなハムを切ってくれる。
果物やお菓子も買ってハムを買うために並んでいると、イワンが小さな声で歌い出した。 声のわりには大げさな振り付けがつき、顔は満面の笑み、どんどんノリノリになっていく。 いつもハイ・テンションな人だが、こんな店の中で・・・。
そのうちイワンは店のお兄さんと話しだし、すっかり友達になって住所まで交換している。
今度はパン屋さん。裏道のわかりにくいところにある。
パン工場ではたくさんのパンを、明日のために仕込んでいた。
パンを買ってぶらぶら歩く。
イワンは、犬がいれば犬と話し、牛がいれば牛と話し、鶏にも話しかける。たくさんの家畜が住宅街の中に同居していたので、なかなか足が進まない。
今度はロバがきた。私はロバが大好き。大きなロバだった。そのロバは、なぜか私のことを気に入ってくれ、また動けなくなってしまった。
ロバを引いていたおじさんもつきあってくれるし、牛小屋のおじさんも話をしてくれた。 ゆとりがあるんだなあと思う。
そろそろ陽もすっかり沈んだ頃、大きな満月が出ていた。
満月は、この歩きをはじめた時以来だった。
あの頃は満月のお陰で、夜道を照らしてもらったっけ。
その満月の写真を撮ったり、のんびり歩き、今日はバルでビールを飲みながら、買ってきたものを食べることになった。
食べはじめると、ペドロとペペ、そしてここにさっき着いたばかりのホセが来た。
イワンはいつものように三人を迎えたので、ペペは一緒に座ろうとしたが、椅子が足りず、見回しているうちにペドロたちは結局どこかへ行ってしまった。
その後、いつもは四人で会話をするのに、今日は二対二に別れて私はミカさんと話をしていた。
少し暗くなりかけた頃、イワンがこれからバルに行くけど一緒に行くか聞いてきた。疲れて行きたくないなら、何か買ってくると言ってくれた。
私たちは一緒にバルに行く方を選んだ。イサベルも一緒にきた。
こちらのお店はわかりにくい。看板が出ていればいいが、民家と区別がつかない店も多い。 村の人に聞きながら店に着いた。
雑貨も食料も売っているようなヨロズヤさんだ。 ここでハムなどを買い、あとでパンも買ってボカディージョを作るという。 奥では店のお兄さんが好きなハムを切ってくれる。
果物やお菓子も買ってハムを買うために並んでいると、イワンが小さな声で歌い出した。 声のわりには大げさな振り付けがつき、顔は満面の笑み、どんどんノリノリになっていく。 いつもハイ・テンションな人だが、こんな店の中で・・・。
そのうちイワンは店のお兄さんと話しだし、すっかり友達になって住所まで交換している。
今度はパン屋さん。裏道のわかりにくいところにある。
パン工場ではたくさんのパンを、明日のために仕込んでいた。
パンを買ってぶらぶら歩く。
イワンは、犬がいれば犬と話し、牛がいれば牛と話し、鶏にも話しかける。たくさんの家畜が住宅街の中に同居していたので、なかなか足が進まない。
今度はロバがきた。私はロバが大好き。大きなロバだった。そのロバは、なぜか私のことを気に入ってくれ、また動けなくなってしまった。
ロバを引いていたおじさんもつきあってくれるし、牛小屋のおじさんも話をしてくれた。 ゆとりがあるんだなあと思う。
そろそろ陽もすっかり沈んだ頃、大きな満月が出ていた。
満月は、この歩きをはじめた時以来だった。
あの頃は満月のお陰で、夜道を照らしてもらったっけ。
その満月の写真を撮ったり、のんびり歩き、今日はバルでビールを飲みながら、買ってきたものを食べることになった。
食べはじめると、ペドロとペペ、そしてここにさっき着いたばかりのホセが来た。
イワンはいつものように三人を迎えたので、ペペは一緒に座ろうとしたが、椅子が足りず、見回しているうちにペドロたちは結局どこかへ行ってしまった。
その後、いつもは四人で会話をするのに、今日は二対二に別れて私はミカさんと話をしていた。
バルを出ようとするとき、私はいつものようにイサベルに聞いた。
「明日は何時に出るの?」
イサベルは困ったように
「わからないわ。ペドロに聞いてみて。」
今までにない返事であった。
アルベルゲに戻り、暗い中庭で洗濯物を取り込んでいると、イサベルがやってきた。 「明日のことだけど・・・。私たちのグループは、二つに分かれるの。・・・・・。」
続けて・・・
「ある人が私に対して、とても怒っているのよ。その理由は今はまだ説明する自信はないの。その人に対しても、尊重しなきゃならないしね。この問題について、私からは何もできないの。だからお互いに距離をおくことにしたの。できればみんなで一緒にSantiagoに行きたいし、あなたたちともすぐに会えると思う。この道では、あまり選択肢がないからね。だからきっと少しづつよくなっていくと思うの。」
ショッキングな話だった。
朝、イサベルはこのグループのことをとても喜んでいたのに。
カメラが壊れたことなんて問題にならないくらい、困った出来事だった。
問題の彼とはペドロのことだろう。
私もミカさんも、ペドロよりは断然イサベル派だったが、明日はペドロについていかなければならない理由があった。 パキが来る日だからだ。パキと約束した場所にペドロが行くからだ。
イサベルはその手前の村に泊まるという。
そして35kmの道のり。早朝出発しないことには、夕方になってしまうのだった。
イサベルも、そのことをよくわかっているので、私たちに、ペドロと一緒に行くように勧めた。
洗濯物を持ってアルベルゲに入ると、居間にイワンがいた。そして彼はこう言った。
「実は明日からね、僕は久しぶりに一人で歩いてみたくなったんだ。でも明後日には会えるから・・・。」
イワンの立場も複雑だった。結局彼は、イサベルを一人にもしないし、二人きりでも歩かない道を選んだ。精いっぱいの彼の優しさだった。
お互いにとても寂しかった。明日二人に会えないことだけではなく、せっかく仲良かったグループの分裂。
今はあせってもどうにもならない。
しかし順調に行けば、あと一週間でSantiagoという所まで来ていたのだ。
大人げないとも言えるかもしれないけど、スペイン人は正直なのだと思う。
私なら、少々我慢しても、調和の方を取るだろう。
果たしてそれが大人のやり方なのか。自分をごまかすことなのかもしれない。
それでももう少し歩みよることはできないのだろうか?
朝からカメラが壊れるし、最後はこの結末。
しかしここLazaは、私たちに対し、優しい村だった。
この数日後、この平和な村に山火事が起こり、村じゅうが火災に遭い、村人はあのアルベルゲで肩を寄せあい避難生活をしていると聞いた。
この日にここで出会った人たち、動物たち、また元気に復活してほしいと願ってやまない。
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