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コンゴ初探検に成功したスタンレーは、その成果を生国イギリスに持ち帰って発表するが、その反響は案に相違して冷たい。<br />しかしそのころ、ベルギーの国王レオポルド二世は、アフリカ進出の機をうかがっており、スタンレーを迎えた。<br /><br />1879年(明治12年)ベルギー国王は、再度スタンレーをコンゴに派遣。<br />コンゴ河口近くのビビに、開拓の基地が設けられる。<br />この基地は、二年後の1881年(明治14年)、コンゴ河を500キロさかのぼったレオポルドヴィルに移転。<br />現在のキンシャサである。<br /><br />そのころから、アフリカ分割の最後の穴場として、コンゴ周辺は脚光を浴び、フランス、ポルトガル、ドイツ、イギリスなど欧州の列強が争って利権を主張し始める。<br /><br />ドイツのビスマルク宰相は、1884年(明治17年)から1885年(明治18年)にかけて、アフリカ分割のためにベルリン会議を開催。<br /><br />13カ国の参加のもと、現在のザイール共和国の地域は、フランスやポルトガルなどと競合しながらも、最終的にベルギー国王の実質的私領「コンゴ自由国」として、認められた。<br /><br />このときの国境線が、今もそのまま残っていて、アフリカ問題にひとつの陰影を投げかけている。<br />ベルリン会議では、日本の植民地化についても、議論されたという説もある。<br /><br />その後ベルギー国王の圧政が国際的な批判を浴び、1908年(明治43年)ベルギー領となって、1960年(昭和35年)独立を迎える。<br />

キンシャサ日記 129 コンゴ自由国の誕生

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1975/01/12 - 1975/01/12

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片瀬貴文

片瀬貴文さん

コンゴ初探検に成功したスタンレーは、その成果を生国イギリスに持ち帰って発表するが、その反響は案に相違して冷たい。
しかしそのころ、ベルギーの国王レオポルド二世は、アフリカ進出の機をうかがっており、スタンレーを迎えた。

1879年(明治12年)ベルギー国王は、再度スタンレーをコンゴに派遣。
コンゴ河口近くのビビに、開拓の基地が設けられる。
この基地は、二年後の1881年(明治14年)、コンゴ河を500キロさかのぼったレオポルドヴィルに移転。
現在のキンシャサである。

そのころから、アフリカ分割の最後の穴場として、コンゴ周辺は脚光を浴び、フランス、ポルトガル、ドイツ、イギリスなど欧州の列強が争って利権を主張し始める。

ドイツのビスマルク宰相は、1884年(明治17年)から1885年(明治18年)にかけて、アフリカ分割のためにベルリン会議を開催。

13カ国の参加のもと、現在のザイール共和国の地域は、フランスやポルトガルなどと競合しながらも、最終的にベルギー国王の実質的私領「コンゴ自由国」として、認められた。

このときの国境線が、今もそのまま残っていて、アフリカ問題にひとつの陰影を投げかけている。
ベルリン会議では、日本の植民地化についても、議論されたという説もある。

その後ベルギー国王の圧政が国際的な批判を浴び、1908年(明治43年)ベルギー領となって、1960年(昭和35年)独立を迎える。

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