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リヴィングストンの後を追い、スタンレーが探検する。<br />スタンレーは、ウェールズに生まれ、ニューヨークヘラルド新聞に勤めていた。<br /><br />冒険レポートを得意とし、行方不明になったリヴィングストンを捜査すべく、彼の足跡を追う。<br />そして、1871年(明治3〜4年)、タンガニイカ湖畔ウジジで、リヴィングストンと劇的な出会いを遂げる。<br /><br />この探検がきっかけとなり、スタンレーは第二次探検に出発。<br />インド洋岸からザイール河の源流を極め、大西洋岸まで、アフリカ赤道部を横断しようとする。<br /><br />1874年(明治7年)ザンジバルを発し、ヨーロッパ人としてはじめてのザイール河下りに成功。<br />出発から999日目に、ザイール河口ボマに到達。<br />ザイール内陸部は、西欧に対して、初めて未知の扉を開く。<br /><br />その間、現地人部族と戦うこと32回。<br />当初出発時に347人だったメンバーは、ボマに着いたときには、111人にまで減っていた。<br />戦闘と病気のためだが、探検行の過酷さを示す数字である。<br /><br />1877年(明治10年)のこと。<br />日本では西南戦争が戦われ、京都ー大阪間に鉄道が開通した年だった。<br />ヨーロッパでは、ロシアとオスマントルコ間で、露土戦争が始まっていた。<br />

キンシャサ日記 126 スタンレーのザイール探検

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1975/01/09 - 1975/01/09

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片瀬貴文

片瀬貴文さん

リヴィングストンの後を追い、スタンレーが探検する。
スタンレーは、ウェールズに生まれ、ニューヨークヘラルド新聞に勤めていた。

冒険レポートを得意とし、行方不明になったリヴィングストンを捜査すべく、彼の足跡を追う。
そして、1871年(明治3〜4年)、タンガニイカ湖畔ウジジで、リヴィングストンと劇的な出会いを遂げる。

この探検がきっかけとなり、スタンレーは第二次探検に出発。
インド洋岸からザイール河の源流を極め、大西洋岸まで、アフリカ赤道部を横断しようとする。

1874年(明治7年)ザンジバルを発し、ヨーロッパ人としてはじめてのザイール河下りに成功。
出発から999日目に、ザイール河口ボマに到達。
ザイール内陸部は、西欧に対して、初めて未知の扉を開く。

その間、現地人部族と戦うこと32回。
当初出発時に347人だったメンバーは、ボマに着いたときには、111人にまで減っていた。
戦闘と病気のためだが、探検行の過酷さを示す数字である。

1877年(明治10年)のこと。
日本では西南戦争が戦われ、京都ー大阪間に鉄道が開通した年だった。
ヨーロッパでは、ロシアとオスマントルコ間で、露土戦争が始まっていた。

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