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 私は1971年7月から9月まで2ヶ月余り旧ソ連経由でヨーロッパに入り、バックパッカーの一人旅を体験した。この経験は私を現在に至るまで、無理やりに時間を取って日本、世界をさすらう旅行中毒患者にしてしまったが、私の生涯に影響を与えた旅だったと言っても良いだろう。<br /> 旅の概要は、羽田空港から就航したばかりのソ連アエロフロート機でハバロフスクへ。翌日からシベリア鉄道に6日乗ってモスクワ。レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)を経由してフィンランド・ヘルシンキからヨーロッパ鉄道パスで西ヨーロッパを回り、帰路はモスクワ、ハバロフスフ間を飛行機、シベリア鉄道でナホトカ、船で横浜というものだ。<br /> 旅費は前年の大阪万博で貯めた金などで総額56万円。内訳はソ連内の往復旅費・宿泊費・ビザ等が222,000円、ヨーロッパ鉄道パス45,000円、トラベラーチェック700ドル(1ドル360円)日本円30,000円というもの。1ドル360円の時代だから、現在に換算すると168万位だろうか。ユースホステルや安宿に泊まる貧乏旅行なのだが当時は海外旅行も一般的でなく、駅や空港ではかなりの人に見送ってもらったり、餞別をもらうという大げさに言えば一世一代の旅だったのである。<br /> 飛行機も初体験だったので、今ではあまり評判が良くないアエロフロートの食事もポークステーキ、チキン、サラダ、黒パン、ミルク、デザート、ケーキ、コーヒ、紅茶と次々出るメニューに驚きながらもおいしくいただいた。眼下に広がる雲海やシベリアの平原にも感激した。<br /> ハバロフスクでは早速、チューインガムをねだる子供や旅行者にたかるウオッカ片手の酔っ払い達と出会いソ連の貧しさを知る。ホテルで1泊の後、翌日午前2時間ほどアムール川、ハバロフ像、シベリア抑留中に亡くなった日本人墓地など見学し、7月17日13時30分、モスクワ行きの列車が出発した。<br /> シベリア鉄道はイルクーツクから東は蒸気機関車、西は電化していたが電化区間もディーゼルカーが多かった。鉄道は本数が少ないのに複線になっているのに驚いた。シベリア抑留者の人達の多くの犠牲を出しながら敷設されたのだろう。蒸気機関車が引く車両は15両で時速50から60キロ位だろうか、ゆっくり走る。日本人は8号車に集められベッドが4つあるコンパートメントに、日本人と監視役のロシア人旅行者が組み合わされ日本人だけのコンパートメントは無かった。同室は日本人学生2人と30歳位の小学校の音楽教師という女性と3歳のかわいい男の子。隣室は鉄道学校で英語を学んだ40歳と14才の母と息子。毎日ロシア語を教えてくれ私は日本語を教え楽しく過ごした。<br /> シベリアは広大で地平線がどこまでも続き、少ない民家の近くでは日中は30度を超える炎天下の湖沼で釣りや水泳、お弁当を楽しむ人達も見える。列車内で別車両に行くのは自由で、6号車のハバロフスクからイルクーツクに工場実習に行く女学生の団体と、6から13までしか無い珍しいロシアのトランプやサイコロ遊びを教えてもらったり、お茶や手作りの菓子をごちそうになったりした。日本人の手土産では、チューインガム、チョコレート、絵葉書、バッチが喜ばれた。ソ連は生活用品が少なく菓子類はぜいたく品なのか特に生産が少なく貴重品のようだった。<br /> 駅には1時間くらい停車し、乗客は食事用のパン、ミルク、ジャガイモ旨煮、瓜、ジュースなどを買い込み食堂車を利用する人は少なかった。 食堂車のメニューは1ルーブル400円の時代でトマトサラダ0.34R=140円、ヌードルチキンスープ0.43R=170円、ビフテキ0.61R=240円、ローストチキン0.91R=360円、ハムエッグ0.51R=200円、紅茶0.1R=40円ビスケット0.22R=80円、といったところで、1食500−1000円になり当時としてはかなり高価だった。<br /> 車内に歓声があがったのは4日目早朝5時前の車掌の「バイカル!」の声を聞いた時だ。バイカル湖はあいにくの雨だったが日本人は窓側通路に一列になり、静かで広大な湖面、湖岸の美しい小村、のどかに釣りを楽しむ人達に見入った。<br /> モスクワには7月23日12時着。ハバロフスクから6日間の楽しい鉄道の旅だった。<br />(写真はシベリア鉄道の機関車)

 欧州バックパッカーの旅【1】 1971年の旧ソ連(ロシア)・シベリア鉄道

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1971/07/16 - 1971/07/23

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

 私は1971年7月から9月まで2ヶ月余り旧ソ連経由でヨーロッパに入り、バックパッカーの一人旅を体験した。この経験は私を現在に至るまで、無理やりに時間を取って日本、世界をさすらう旅行中毒患者にしてしまったが、私の生涯に影響を与えた旅だったと言っても良いだろう。
 旅の概要は、羽田空港から就航したばかりのソ連アエロフロート機でハバロフスクへ。翌日からシベリア鉄道に6日乗ってモスクワ。レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)を経由してフィンランド・ヘルシンキからヨーロッパ鉄道パスで西ヨーロッパを回り、帰路はモスクワ、ハバロフスフ間を飛行機、シベリア鉄道でナホトカ、船で横浜というものだ。
 旅費は前年の大阪万博で貯めた金などで総額56万円。内訳はソ連内の往復旅費・宿泊費・ビザ等が222,000円、ヨーロッパ鉄道パス45,000円、トラベラーチェック700ドル(1ドル360円)日本円30,000円というもの。1ドル360円の時代だから、現在に換算すると168万位だろうか。ユースホステルや安宿に泊まる貧乏旅行なのだが当時は海外旅行も一般的でなく、駅や空港ではかなりの人に見送ってもらったり、餞別をもらうという大げさに言えば一世一代の旅だったのである。
 飛行機も初体験だったので、今ではあまり評判が良くないアエロフロートの食事もポークステーキ、チキン、サラダ、黒パン、ミルク、デザート、ケーキ、コーヒ、紅茶と次々出るメニューに驚きながらもおいしくいただいた。眼下に広がる雲海やシベリアの平原にも感激した。
 ハバロフスクでは早速、チューインガムをねだる子供や旅行者にたかるウオッカ片手の酔っ払い達と出会いソ連の貧しさを知る。ホテルで1泊の後、翌日午前2時間ほどアムール川、ハバロフ像、シベリア抑留中に亡くなった日本人墓地など見学し、7月17日13時30分、モスクワ行きの列車が出発した。
 シベリア鉄道はイルクーツクから東は蒸気機関車、西は電化していたが電化区間もディーゼルカーが多かった。鉄道は本数が少ないのに複線になっているのに驚いた。シベリア抑留者の人達の多くの犠牲を出しながら敷設されたのだろう。蒸気機関車が引く車両は15両で時速50から60キロ位だろうか、ゆっくり走る。日本人は8号車に集められベッドが4つあるコンパートメントに、日本人と監視役のロシア人旅行者が組み合わされ日本人だけのコンパートメントは無かった。同室は日本人学生2人と30歳位の小学校の音楽教師という女性と3歳のかわいい男の子。隣室は鉄道学校で英語を学んだ40歳と14才の母と息子。毎日ロシア語を教えてくれ私は日本語を教え楽しく過ごした。
 シベリアは広大で地平線がどこまでも続き、少ない民家の近くでは日中は30度を超える炎天下の湖沼で釣りや水泳、お弁当を楽しむ人達も見える。列車内で別車両に行くのは自由で、6号車のハバロフスクからイルクーツクに工場実習に行く女学生の団体と、6から13までしか無い珍しいロシアのトランプやサイコロ遊びを教えてもらったり、お茶や手作りの菓子をごちそうになったりした。日本人の手土産では、チューインガム、チョコレート、絵葉書、バッチが喜ばれた。ソ連は生活用品が少なく菓子類はぜいたく品なのか特に生産が少なく貴重品のようだった。
 駅には1時間くらい停車し、乗客は食事用のパン、ミルク、ジャガイモ旨煮、瓜、ジュースなどを買い込み食堂車を利用する人は少なかった。 食堂車のメニューは1ルーブル400円の時代でトマトサラダ0.34R=140円、ヌードルチキンスープ0.43R=170円、ビフテキ0.61R=240円、ローストチキン0.91R=360円、ハムエッグ0.51R=200円、紅茶0.1R=40円ビスケット0.22R=80円、といったところで、1食500−1000円になり当時としてはかなり高価だった。
 車内に歓声があがったのは4日目早朝5時前の車掌の「バイカル!」の声を聞いた時だ。バイカル湖はあいにくの雨だったが日本人は窓側通路に一列になり、静かで広大な湖面、湖岸の美しい小村、のどかに釣りを楽しむ人達に見入った。
 モスクワには7月23日12時着。ハバロフスクから6日間の楽しい鉄道の旅だった。
(写真はシベリア鉄道の機関車)

同行者
一人旅
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
鉄道
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
  • ハバロフスク駅。

    ハバロフスク駅。

  • シベリアの広大で地平線がどこまでも続く平原。

    シベリアの広大で地平線がどこまでも続く平原。

  • 6号車のハバロフスクからイルクーツクに工場実習に行く女学生の団体。6から13までしか無い珍しいロシアのトランプやサイコロ遊びを教えてもらったり、お茶や手作りの菓子をごちそうになったりした。

    6号車のハバロフスクからイルクーツクに工場実習に行く女学生の団体。6から13までしか無い珍しいロシアのトランプやサイコロ遊びを教えてもらったり、お茶や手作りの菓子をごちそうになったりした。

  • シベリアの広大で地平線がどこまでも続く平原。

    シベリアの広大で地平線がどこまでも続く平原。

  • バイカル湖。あいにくの雨だったが日本人は窓側通路に一列になり、静かで広大な湖面、湖岸の美しい小村、のどかに釣りを楽しむ人達に見入った。 

    バイカル湖。あいにくの雨だったが日本人は窓側通路に一列になり、静かで広大な湖面、湖岸の美しい小村、のどかに釣りを楽しむ人達に見入った。 

  • バイカル湖。

    バイカル湖。

  • イルクーツク駅。

    イルクーツク駅。

  • 電化区間のシベリア鉄道の機関車。<br />

    電化区間のシベリア鉄道の機関車。

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この旅行記へのコメント (12)

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  • アリヤンさん 2013/03/23 22:19:11
    大阪の万博で貯めた、、、、
    さすらいおじさん、

    こんばんわ。

    そうですか、万博ですか!
    そういう当方もおんなじで、万博の日本庭園前のレストランでウェイター兼コックで稼いだ口です。
    稼いだ金を元手にロン・パリ生活4年もしてしまいました。
    パリではある旅行社のガイドのアルバイトで稼いで、稼いだ金はユーラシア大陸横断旅行で使い果たしてしまいました。
    羽田にたどり着いたときは10円玉チャラチャラしか残っていませんでした。

    さすらいおじさんのようなご同輩が居られること、心強く思います。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2013/03/24 16:36:24
    RE: 大阪の万博で貯めた、、、、
    アリヤンさん

    万博の日本庭園前のレストランでウェイター兼コックで働いておられたのですか、万博は懐かしくてテレビで当時の映像が出てくるたびに見入っています。

    ロン・パリ生活4年の生活、パリで旅行社のガイドのアルバイト、ユーラシア大陸横断旅行、当時の若者があこがれた金をかけない世界旅行を実行されたのですね。すごいですね。私は2ヶ月足らずの旅で中途半端だったとの思いが残ってしまい、中老になってからバックパッカーで世界を旅するはめになってしまいました。

    1971年、アリヤンさんのようなヨーロッパに長期滞在されておられる方に各地でお会いしましたが、今どうされているのかと思います。

    これからもよろしくお願いします。


    アリヤン

    アリヤンさん からの返信 2013/03/25 08:38:46
    RE: 大阪の万博で貯めた、、、、
    さすらいおじさんさん、

    > 1971年、アリヤンさんのようなヨーロッパに長期滞在されておられる方に各地でお会いしましたが、今どうされているのかと思います。

    そうなんです。
    1974年にパリからインドまでユーラシア大陸横断バックパック旅行をした時、同様な若者No.1はアメリカ人、No.2が日本人でした。
    「石を投げれば日本人に当たる」というくらい、あのころは日本人の若者BPが多かったのは事実です。
    そうした人たちは男女を問わず、今はワレワレと同年輩になっているはずです。
    それなのに、シニアのBPがもっと居ても可笑しくはないのですが、どうしたんでしょうネ?

    4トラベルにはそうしたシニアBPの旅行記が増えれば、おもしろかろう、と思っています。
    シニアBPむけのタビの情報が絶対的に不足しているのが現状です。
    頑張ってそうした情報網が広がれば良いのになあ、と考えています。

    こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2013/03/25 13:56:51
    RE: RE: 大阪の万博で貯めた、、、、

    アリヤンさん
    >「石を投げれば日本人に当たる」というくらい、あのころは日本人の若者BPが多かったのは事実です。
    そうした人たちは男女を問わず、今はワレワレと同年輩になっているはずです。
    それなのに、シニアのBPがもっと居ても可笑しくはないのですが、どうしたんでしょうネ?

    同感です。
    現在の中高年の旅行愛好者は高級な手配旅行やパック旅行を指向するのが主流だと思います。私もパック旅行は利用しますが、費用も手ごろでお任せで有名観光地を効率よく回ってくれ、食事もホテルも良いのですが自由観光が少なく制約も多いです。

    中高年の旅行愛好者の中に低コストで自由な旅を望む人も多いと思います。私が中高年BPの旅行体験をUPしているのもBPを懐かしむ中高年の参考になればと思っていることもひとつです。

    2005年にタイのバンコクで安宿に長期滞在する複数の日本人中高年者に会いましたが比較的安全な地域での自由な生活を望んでおられました。
    世界情勢が不安定なことや旅行者への犯罪が多いことも中高年BPが増えない要因かも知れませんね。


  • tadさん 2012/12/07 07:47:51
    驚きました!
    素晴らしい旅の記録をお持ちですね!!!
    また、ゆっくり読ませてください。今から、東京に行きます。孫の百日目のお祝い等です。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2012/12/07 20:14:23
    RE: 驚きました!

    tadさん
    フォローいただきありがとうございます。
    私も孫が3人おりまして、無謀な一人旅は体力が追いつかなくなってきました。
    tadさんは大学の先生でいらっしゃるのですね。私の好きな歴史遺産もずいぶん訪問しておられるとお見受けしました。私も楽しみに拝見させていただきます。
    これからもよろしくお願いします。

  • amazingaさん 2008/12/08 05:33:13
    うれしい
    小生は、Trip Adviserに、よく投稿しています。そしたら、ある旅行者の投稿から、この4Travelを知り、読んでいたら、貴殿の旅ブログに出会いました。
    小生も、学生の頃、丁度同じ年、6月末に、アルバイトで稼いだお金で、一人旅に出、横浜から、ウラジオストック、列車でハバロフスク、飛んでモスクワ、そして、ストックホルムに着きました。そこからは、ヒッチハイクでスカンジナビアのラップランドから欧州の旅をしました。途中でスイス、イギリスなどでアルバイトしながら次の旅費を稼ぎ、アメリカ、ハワイ経由で日本に帰りましたが、すぐ、アメリカに移住をし、居住しています。小生は、仕事の出張でオーストラリア、日本、アルジェンチンなど家族共引越して住み、時間がある時には、あちこち旅行しました。貴殿の旅日記を読んでは、同じく小生が訪問した所を懐かしく思い出しています。そして、まだ行っていない所を興味深く読ませて貰っています。特に、昔のシルクロード辺りです。友達と旅する案を練っていますがいつになる事やら。小生と同じ頃旅に出られた貴殿を知り、一筆書かせてもらいました。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2008/12/08 21:26:20
    ありがとうございます
    amazingaさん

    私の旅ブログをごらんいただき、コメントをありがとうございます。

    amazingaさんも1971年にソ連経由で欧米を旅されたのですね。
    1971年にはシベリア鉄道、ユースホステルなどで日本の若者にずいぶん出逢いましたね。

    私はヨーロッパからソ連経由で帰国後、30年以上国内で仕事をしていましたので長期間の旅行はほとんどできませんでした。

    1971年のバックパッカーのたびが忘れられず、アジア1ヶ月、中南米4ヶ月、ヨーロッパ3ヶ月をバックパッカーで歩く夢は2005年、2006年にようやく実現しました。3
    0年以上見続けた夢でした。
    でも海外生活はいまだに実現していません。

    amazingaさんは旅の醍醐味をさらに発展されて、アメリカに移住までされて世界を旅なさったのですね。

    若くして海外移住の夢を実現された強い信念と実行力に脱帽です。

    どうぞこれからも充実したたびをなさってください。

  • kaz-ykさん 2005/07/07 16:16:53
    さすらいおじさんの原点を、拝見しました。
    さすらいおじさん 今日は
    さすらいおじさんの原点を、拝見しました。
    34年も前に、シベリヤ鉄道で渡欧とは、大変な経験ですね。
    小生の海外出張は、1965年:東南ア、1969年:欧州でした。
    当時の写真は、中々発見出来ず、記憶があるのみです。
    1973年に、モスクワ経由欧州へ行きましたが、モスクワで給油、トランジットで、売店で「琥珀」を購入しました。
    飛行場内で、乗機の周辺をソ連の軍人が、取り囲んでおり、異様な雰囲気で、問題を起こせば、日本へ帰れないとビビッた物でした。
    こんな時代に2ケ月も、欧州を廻るなんて、驚きです。
    元祖パックパッカーですね! 
    オランダの運河に、日本人が浮いて居たと報じられた頃かと思いますが、
    ゆっくり旅行記を、拝見致します。 1票を投じ、敬意を表します。 

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/07/07 18:08:40
    RE: さすらいおじさんの原点を、拝見しました。
    kaz-ykさん

    旧ソ連をご覧いただき、ご評価もいただきありがとうございます。
    kaz-ykさんも1970年代にソ連を経由され、厳しいチェックを体験されたのですね。当時のソ連は外貨獲得のために旅行者を受け入れていましたが、自由圏のヒッピー、マリファナ、長髪、など変な文化を国民に見せたくなかったのだろうと思います。滞在中、ずっと監視されているように感じました。ソ連が崩壊後どう変わったのか、一度みたいと思っています。
  • すずかさん 2005/07/05 00:21:00
    しばらくご無沙汰してたらソ連がUPされてました〜
    さすらいおじさん、こんばんは〜。
    しばらく仕事に忙殺されておりました。

    久々に伺ったら、きゃーーーソ連がUP!!
    1ドル360円の時代だったんですねぇ(゚∀゚ )うわーーーー
    しかも鉄道旅行!
    興味シンシンです!!これがさすらいおじさんの原点だったんですね。

    ところで、万博でためた??
    さすらいおじさん万博でバイトとかされてたんですか?

    シベリア鉄道にも乗車されてて、これぞ元祖深夜特急といった感じですね。
    (実際の物語は当然違いますけどね(^^;;))
    シベリア鉄道には私も大学の卒業旅行で乗ってEuroに行きたかったんですが、残念ながら実現しませんでした。
    なので、さすらいおじさんの原点の旅行記をみて楽しませていただきます。
    続き楽しみにしてますね♪

    すずか

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/07/05 00:55:04
    RE: しばらくご無沙汰してたらソ連がUPされてました〜
    すずかさん ソ連をご覧いただきありがとうございます。

    >ところで、万博でためた??
    さすらいおじさん万博でバイトとかされてたんですか?

    お祭り広場で7ヶ月間ガードマンをしました。すずかさんは万博をご存知でしたか? 迷子をたくさん世話しましたが---。

    >シベリア鉄道にも乗車されてて、これぞ元祖深夜特急といった感じですね。
    (実際の物語は当然違いますけどね(^^;;))
    シベリア鉄道には私も大学の卒業旅行で乗ってEuroに行きたかったんですが、残念ながら実現しませんでした。
    なので、さすらいおじさんの原点の旅行記をみて楽しませていただきます。
    続き楽しみにしてますね♪

    鉄道の旅はいいですね。これから30数年前の記憶を辿りながらUPしてゆきます。お読みいただければ嬉しいです。

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