2000/02 - 2003/03
166位(同エリア288件中)
南京ドンブリさん
- 南京ドンブリさんTOP
- 旅行記14冊
- クチコミ14件
- Q&A回答1件
- 74,790アクセス
- フォロワー2人
“老百姓(ラオバイシン)”とは中国語で“庶民”の意味です。南京ドンブリは1999年12月で日本での銀行員生活にピリオドを打ち、2000年より“老百姓”として中国南京で生活することに決めました。“老百姓”生活では駐在員や派遣留学生時代には見えなかった世界が少しずつですが見えてきました。また、南京大学では修士生として、私立大学三江学院では日本語教師として“たった一人の日本人”で中国人の世界に飛び込みました。南ドンは現在も上海で“老百姓”生活を展開中ではありますが、ここでは2000年から2003年に渡る南京での“老百姓”生活について、自ら撮った写真とともにご紹介致します。※ 写真は南京丹鳳街の高層マンションから撮影した紫金山の朝焼けです。
-
南京郊外の鉄心橋という町にある『三江学院』です。もともと市中心北部の専門学校だったのですが、南郊外へ引っ越して江蘇省初の私立大学となりました。南ドンはこの新生三江学院で初めての外籍教師となりました(2000年)。はじめは「日本語教師なんか日本人なら誰だってできる」とタカをくくってましたので実際始めてみると苦労しました。今思えば、当時の教え子達には申し訳ないくらい拙い講義に付き合わせてしまったなと反省しています。唯一、救いとなったのは、ここを去る前に日本語科を率いて「南京地区大学日本語演劇共演賽」(2001年)に参加して、見事団体優勝を飾ったこと。南京大学、東南大学、南京師範大学といったエリート校を破っての優勝に鉄心橋中が沸きました。
-
おそらく中国のどの町でも見ることの出来る光景だと思いますが、初めて南京でこのレイン・コートを見た時には笑いました(^0^)。自転車社会の中国ならではでしょうか!床屋で頭からスッポリ被される“あれ”ですね。前の部分が長〜く出来ていて自身が濡れないばかりか自転車カゴの中のモノまで雨から避けることができます。三江学院卒業後、日本へ留学が決まっていた子に「これを日本へ持っていったら売れるぞ!」と話していたのですが、彼等は持って行ったのだろうか…?
-
『五台山体育場』へ初めて行ったのは2000年の王菲(フェイ・ウォン)のコンサートの時だったと思います。南京では滅多にないスーパースターのコンサートだと言うのに、最前列でも携帯は鳴るわ、ずっと電話し続けるわ、盛り上がる曲でも立たせてもらえないわでコンサートとしては最悪の環境でした(爆)。でも名曲『但願人長久』の時、2万の観衆全員で王菲と唄ったシーンは感動的で今でも忘れられません。その後、南ドンはプロ・サッカーの試合で二度ほど、南京大学百周年紀念大会の時と入場しました。※ 写真は「古南都飯店」から撮ったものです。
-
2001年に南京で世界華僑会議が大陸の都市としては初めて開かれました。2002年には南京大学はじめ江蘇省9大学が百周年、2005年には国内オリンピック…こうした流れから、南京の町はどんどん綺麗になっています。写真は南京大学と南京師範大学の間を南北に走る『寧海路』の並木道です。ここも例に漏れず拡張工事が行われました。綺麗で涼しそうでしょう(^^)?南京は「中国の三大釜戸」として有名な(夏には気温40度を超える)暑い都市ですが、こうした並木が多く、意外としのぎやすいんです。
-
2001年2月に写した南京で最も有名なディスコ(クラブ?)『乱世佳人』。『乱世佳人』は『風と共に去りぬ』の中国語表記。しかし原作とは程遠い世界が目の前に広がっていました…。客層のほとんどは外国人留学生。それも出会いを求めた男女。店内の隅に目をやれば誰もかもが堂々と好き放題やってる…をいをい見えてるって!南ドンはもともとディスコ(クラブ?)って場所が苦手だったんですが、加えてこの状況では…これ以降、二度と来ませんでしたね(いや、一度だけ来たっけかな^^)。そう言えば、連れて来てくれた日本人の方が言ってましたね。「これが社会主義国家ですか?」って…既に改革開放後20年以上経ってますからねぇ(^^;。
-
「遊んでばっかり」と思われてもなんですので…(^^;。2001年9月9日、『辛亥革命90周年国際学術研討会』に出席した時の写真です。南ドンは2000年8月から2003年6月まで南京大学中華民国史研究中心で修士生として歴史研究をしておりました。でも、卒論発表は2003年12月に、学位取得は2004年にまで持ち越されましたっ。エッ?何故って…。“SARS”ですよ“SARS”!南ドンは卒論以外の単位を全て取り終えていたので、上海へ移住して仕事を始めていたんです。そこへ来て“SARS(中国語では非典といいます)”が蔓延!中国全域で人民の移動に制限がかけられ、上海にいる南ドンには「しばらく南京へは戻るな」という通知が下ったのです(--;。もちろん、卒業式もなく…卒業証書も郵送で送られてきました。寂しいなぁ〜(TT)。
-
写真の高層マンションの辺りが南ドンが一時期(2001年〜2002年)暮らした『丹鳳街』です。もともと南京南郊外の三江学院で日本語教師をしていた南ドンは、校舎近くのアパートで暮らしていたのですが、修士生として市中心にある南京大学にも通わなければならないため、凄いハードな生活を送っていたんです。何しろボロバスで片道1時間以上…。時にはこれを2往復することもありました(>
-
南京「丹鳳街」の高層マンションから写した風景です。28階からの景色は素晴らしいものでした。階下の緑地は「東南大学」のキャンパスです。そして遠くに見える山々は紫金山…最高でした。こんな好立地のマンションは「家賃が高かった」と思われるでしょうが、一月2000元(約18000円)もしませんでした。普通なら日本人や留学生ならボラれるところなんですが「大学で教師やってる」と言うと南京の大家さんは値段を下げてくれるんです。それだけ「安心」というのと「先生を尊敬している」ということなんでしょうね。さすが“文化”都市の南京ならでは!“商業”都市の上海とは大違い(^^;。でも、安いのには他に理由がありました。新婚の息子夫婦のために内装まで綺麗にしていた部屋です。何でそんな真新しい部屋を南ドンに格安で住ませてくれるんですか?偶然、古新聞を見て知りました。このマンションは数ヶ月前にエレベーター事故で人が死亡していたのでした!
-
マンションの話になりましたから『五台花園』の写真でも載せておきましょう。南京を代表する高級マンションです。「上海バブル」と言われて久しいですが、南京も例外ではありません。外国人名義で購入出来るマンションが、まだ数戸に限定されているため、上海ほど価格上昇は激しくありませんが、それでも市中心の新街口になると上海市内と平米当りの価格がほとんど変わりません。ただ、上海よりも賢いのは外郭環状高速道路や、長江第二、第三大橋の建設など交通インフラを先行させ、郊外大型マンションの建設が早かったことです。また、2005年中には地下鉄も遂に開通します。「文化都市」としての雰囲気を保つために城壁内の高層建築をこれ以上増やしてくれなければ、もっといいと思うのですが…。
-
乱開発の話が出ましたので、南京の中心街『新街口』の高層ビル群の写真を掲載しましょう。95年当時、初めて来た頃には金陵飯店(南京初の五つ星ホテル)しかなかった高層ビルも、2001年9月当時ではもうこんなに…。えっ、この写真どこから撮ったかって?南京大学内の新しい高層学生寮の女子学生の部屋からです(^^;。
-
では同じ高層建築でも夜景の写真を…。湖北路界隈から中山北路方面を写した写真です(2002年12月)。綺麗でしょう。まだ当時建設中でテナントは入ってないんですけどね(^^;。
-
続けて夜景を。南京最大の繁華街「新街口」附近、洪武北路沿いの写真です。ビル壁一面のネオンが印象的じゃないですか。スゴ過ぎますよね(^^;。
-
古い建物は≪中華民国の首都「南京」≫でまとめてありますので、ここでは南京を代表する近代建築の写真も載せておきましょう。まずは第一弾…南京近代建築1:『金陵飯店』1983年開業当時は、南京だけにとどまらず中国全体においても最高級だった超大型高層(37階)近代ホテル。もちろん南京初の五つ星級ホテルです。以後、南京人の間では「“住”の金陵、“食”の丁山、“玩”の玄武」が三大ホテルとして一定の評価を得ています。もう10年来の知り合いになる1階の旅行会社の小姐とはいまだにメル友です(^^)。
-
南京近代建築2:『古南都飯店』現在は完全撤退してしまいましたが、元は日本名古屋有力29企業が合同出資していた南京“唯一”の日系ホテルでした。「古南都」の名も「名鉄グランド」の「グランド」を音から漢字表記になおしたものです。五台山体育場附近にそびえたつ1993年開業の26階建ての建物は、その変わった風貌から当時の南京人民の関心を惹きました。でも、中には「日本の象徴である刀を土にさした格好(刀の柄の部分)に似ている」という声もあったそうです。もともと、このプロジェクトは江蘇省と友好関係にある愛知県の間で進められようとしていたものでした。しかし、愛知県は難色を示し、名古屋の財界にバトンはまわってきました。そこで「ホテル投資」の決断を下したのが当時の名古屋商工会会長だった竹田弘太郎氏(名鉄会長)でした。竹田氏は日本軍に参加したご兄弟を南京戦で亡くされていたそうです。ご兄弟への弔いと日中友好の思いを込めて…その思いは今でもホテルの「礎」にしっかりと刻まれています。フロントの仕掛け時計は右に名古屋の象徴「名古屋城」、左に南京の象徴「中山陵」が描かれています。日系資本が撤退した今でも、日本から渡ったその仕掛け時計が南京で永遠に友好の鐘を鳴らし続けてくれることでしょう。
-
南京近代建築3:『古林公園&南京電視塔』南京でも「花見」が出来る場所がいくつかあります。福岡県が桜の植樹を行った梅花山と、古林公園です。古林公園はバーベキューが出来る設備も整っていて、南京にアウト・ドアー・ブームを起こしています。その古林公園の横に立つのが『南京電視塔』です。1995年完成のこの塔は地上319mの高さを誇ります。2003年10月には高さ200mのこの展望台で結婚式を挙げたカップルがいて「200m上空で愛を叫ぶ」と当時、話題になりました。
-
南京近代建築4:『南京電視台』忘れもしません!2002年7月10日、南ドンは南京大学の日本人代表として南京テレビの「市民論壇」というテレビ番組に出演しました(^^)。写真はその帰りに撮影したものです。実は、南ドンは別番組で、江蘇電視台にも行ったことがあるのですが、江蘇電視台は市中心部(鼓楼)にあるものの、建物も設備も古く、中国でも最も豊かな省を代表するテレビ局とは到底思えませんでした。そこへ来て、この南京電視台ビルはなんと立派なことでしょう!龍幡中路338号とかなり市の中心から外れた場所にはありますが、21階建ての超近代的設備を誇るテレビ局でした。しかし、この美しい外観のビル建設中(2000年10月)には大事故が起こり、死亡者も出たそうです。
-
南京近代建築5:『南京国際展覧館』2001年に玄武湖畔に建てられた全面ガラス貼りの超近代建築で、総建築面積8万6千?、六つの大会場を有する中国全体でも大きい展示場です。現地サイトでは、ここで開かれる国際モーター・ショーのコンパニオン・ガールは中国一と評判です(^^;。
-
やはり“食”に触れないわけにはいきませんね(^^)。南京には高級店から小汚い(^^;小吃店まで、実に幅広くあるわけですが、これは中国のどの大都市でも同じこと。でも決定的に違うのが小奇麗なお店でも「安くて美味い!」ということです。例えば写真の『百姓人家家常菜館』(中山北路103号軍人倶楽部内)というレストランでは鶏“一匹”丸ごと入ったスープに3品ほど料理を頼んでも90元(約1200円)しません。これを上海でやったら大変なことになります!少なくとも150元(2000円)以上はするんじゃないかな…。とにかく、安くて美味しい!南京では貪欲に食べ歩きましょーう♪
-
実際、南ドンが毎日のように食べていたのは写真のような“ぶっかけ飯”です(^^;。どうです。こんなにボリュームあって4元前後(約50円)で食べれちゃうんですよ!上海じゃ、チェーン店の不味い“ぶっかけ飯”でも10元くらいしちゃいますから…。量も少ないしねぇ〜。イヤになっちゃいますよ。えっ?セコイって…(^^;?
-
これは日本でもすっかりお馴染みになった「火鍋」の写真ですが、南京の火鍋は一味違います。写真は『漁人庄火鍋店』(珠江路1−16号、湖南路楽業村7号)の火鍋ですが、赤い方が辛口、白い方が“酸菜魚”用なんですね。“酸菜魚”はもともと四川料理ですが、南京のはウマイ!“酸菜魚”だけは上海より絶対美味しいと断言しますっ。もちろん“魚”は川魚なのですが、南京で「川魚が食べれるようになった」という日本人は少なくありません。“酸菜魚”だけなら漢口西路上にある大きく「魚」と書いてあるお店(店名失念)もお薦めです!
-
南京大学で授業のある時は、よく青島路の『雅格博餐庁』のイスラム料理を食べに行っていました。上海にもイスラム料理の店はあるのですが、南京のはとにかく安い!このお店はもともと南京師範大学正門前(寧海路)にあった小さなお店でした。でも、美味しくて沢山のイスラム圏からの留学生も食べに来るので、アッと言う間に商売繁盛…南京大学正門近くの青島路に引っ越して大レストランとして再開したわけですね。
-
イスラム料理の話になったので『馬祥興菜館』の写真を掲載しておきます。解放前からあったという南京イスラム料理の老舗です。鼓楼近く(中山北路5号)にあったので、南ドンも95年に南京大学初留学当初はよく食べに来ていました。でも、残念なことに鼓楼交差点再開発によって、今はなくなっています。
-
あと南京で美味かったのは何と言っても「拉麺」「削刀麺」ですかねぇ…。もともと甘粛省蘭州市が有名ですが、そこで鍛えた職人が路地の汚い店で、目の前で麺打ってるんです。ま、このような店は上海でも探せばあるのですが、何しろ数が違います!南京にはそこらじゅうにありますから(共倒れしないか心配になるくらい…)。それと、やはり本場からの職人が多いので麺がコシがあって美味いんですヮ…。あと、上海にはもともと麺文化があるからか、カレー粉のようなものを入れたがるんですよね。蘭州人に言わせると「コレは違うだろう」と…。とにかく、麺は“内陸”で!
-
南京にも日本料理店はあります。五つ星級ホテルにはもちろん、写真の『和道楽』(石鼓路121号)のような表で本格的にやっているお店もあります。最近では、既に上海を席捲している「味千拉麺」も進出したとか…。ま、「味千」のような刺身を売りにしていない店はいいのでしょうが、南京の日本料理店の泣き所は、やはり“魚”ですね。上海から高速を飛ばしても3時間。こればかりは、どうしようもありませんね。そんなこともあって、同じモノでも上海より高くつきます。南ドンは滅多に行きませんでした(^^;。
-
『国営金春鍋貼店』…南京では有名な寧海路×漢口西路にある鍋貼(焼き餃子)屋さんです。とにかく不潔!でも安い!ウマイ!南京“老百姓”の味を味わいたい方はどうぞ〜♪
-
「国営金春鍋貼店」と並んで寧海路にある『民間老鶏湯麺館』(寧海路151号)も知る人ぞ知る名店!ウソか本当かはわかりませんが、あの“乾隆帝”が「好湯!好麺!」とうなったとされています。濃厚な鶏スープの「鶏糸麺」は南京にしては少々高めの9元です。
-
『揚家麺館』という湖南路獅子橋歩行街にある人気“麺店”です。人の行列にご注目ください!(見難いですが…)南ドンも二度ほど食べに行きましたが味は…美味しいのですが「並ぶまでして」というほどでも(^^;。でも、こうした現象は「汚くても安くて沢山食べれればいい」といったこれまでの概念から「少々高くて量が少なくても綺麗な場所で楽しく食べたい」という考え方に多くの市民が変わってきてるのを表していると言えましょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (3)
-
- その風に乗ってさん 2008/06/15 22:26:34
- 南京の旅行環境はどうでしょうか
- 南ドンさん、はじめまして。
中国人の知人から南京は古都でいい街だから一度
ぜひ行ってみてくださいと薦められました。
その時は、ぜひ行きたいなと思っていたのですが、
よくよく考えてみると虐殺とか日本軍がらみの
事件が歴史的に多く庶民の反日感情がちょっと心配になりました。
実際は他の都市と比べどのような状況なのでしょうか。
現状や対処法などあればお教えいただけたら嬉しいです。
なお、私は中国旅行初心者で残念ながら中国語もできません。
中国の事についても他の国よりやや不勉強ぎみに感じる自分です。
- 南京ドンブリさん からの返信 2008/06/16 01:00:31
- RE: 南京の旅行環境はどうでしょうか
- はじめまして。
南ドン@上海です。
「南京は古都でいい街」そのとおりだと思います!
残念なのは多くの日本人に“虐殺”の歴史のイメージしかないことです。
そのため、虐殺記念館にだけ立ち寄って、
南京をほとんど観光せずに帰る日本人観光客が多いのも事実です。
南京へ行かれたら、民国の首都たる町の美しさをご堪能ください。
南京駅を降り立つと目の前に広がる玄武湖!
市中心部の全ての道にある街路樹!
孫文の墓「中山陵」を包み込む大自然!
これらの観光地を満喫するのは
それほど難しくありません。
旅行用バスを乗り継いで行くことができます。
http://freett.com/nandon/gongjiao.htm
ただ、中国旅行初心者で中国語もおできにならないとなると注意が必要です。
(この注意は何も南京に限ったことではないと思いますが…)
南京大学や南京師範大学には日本人留学生がいます。
留学生寮はホテルとして宿泊も可能ですから、
そこに泊って、留学生を見つけて相談してみるのもいいかもしれません。
お小遣いをあげれば、喜んで通訳も観光案内もしてくれると思いますよ(^0^)!
いかがでしょうか?
- その風に乗ってさん からの返信 2008/06/16 03:50:39
- RE: RE: 南京の旅行環境はどうでしょうか
- お返事ありがとうございました。
古都として訪問を楽しみに計画してみます。
留学生さんのお話、こういった架け橋を
してくれる方もいることを知り、一層心強い限りです。
とても今後の計画で参考になりました。(^-^)
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
南京(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
3
27