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<br /><br /><br /><br /><br />バンコックを飛び立ったパキスタン航空のボーイング747は早朝6時前にマニラ空港に到着した。<br />空港はこの時間帯の発着は少なく、税関も簡単に抜ける事が出来た。大型のザックは空港の荷物預かり所に保管して貰うことにした。荷はなるべく少なくしたかったのだ。<br /><br />市内のYMCAの安宿に向かう積もりで空港外に出ると、遅番開けの空港関係者と思われる制服を着た数人の男達が市内に向かうなら同乗させると云う。 好意を受け入れた私は彼等の車に同乗させて貰った。YMCAホテルだが構わないかと問うと鷹揚に乗っていけという。 しかし案の定、YMCAに到着すると金をを要求してきた。車代として30ドルを寄こせと云う。タクシーでさえ5ドル程度ということは知っていた私は彼らに言い返した。<br />「10ドルしか払わん。オレはマニラホテル<最高級ホテル>に泊まるんじゃないぞ!安宿のYMCAに泊まるんだぞ?判るか?」 私は後に続く日本人バックパッカーの為にも舐められて堪るかという気持ちをいつも心の何処かに持ち合わせていた。彼等に言い返すと、渋々納得したのか私が差し出す10ドル札を引ったくるように取り走り去った。連中は3人居たので10ドルずつ山分けしようと30ドルを吹っ掛けてきたのだろう。食事のランチ代を5食分、余分に巻き上げられたような気分だった。車代として5ドル程度は渡すつもりだったが、到着早々、軽いジャブを挨拶代わりに喰らった感じだった。<br />彼等の制服に騙されたなと軽く反省した。無償の好意など時と場所によっては最初から存在しないものなのだと、旅の最中に散々に学習してきたはずなのに、いまさら腹を立てる自分自身の甘さに呆れた。<br /><br />午前八時前だった。チェックアウト前だった所為でYMCAの部屋はまだ塞がっていたが、チェックアウトの時間になれば部屋は確保出来ると云う。私はドミトリー<相部屋>ではなくシングルルームのリクエストを出した。物価の安い南ヨーロッパや北アフリカ以外では、ほとんどユースホステルのドミトリー<相部屋>に滞在したが、物価の安い国々ではなるべくプライバシーを確保したかったし、リラックスしたかった。シングルルームは円換算で1500円程だった。物価水準から云えば相当に高いなと思ったが、シングルルームが確保出来る事を確認した私は、サブザックをフロントに預けて朝食を摂りに街に出た。<br /><br />エルミタ地区に有る教会と隣接するYMCAはマニラ随一の公園、ルネタパーク<ホセ・リサール公園>にも近く、YMCAで貰った市街地図ではパキスタン航空のオフィスも公園の一角にある事を確認出来た。<br />朝の通勤で活気の有る大通りを横切り、サリサリ・ストアと呼ばれる雑貨屋のような萬<よろず>屋が何軒も軒を並べる一角に出た。ファーストフードもどきの食堂がその中に一軒在った。そこで私はコンビーフ炒飯を注文した。ぱさつかない東南アジア米とコンビーフだけを絡めて炒めた焼き飯はちょっぴりソルティだったがマッチングがとても良くてシンプルで美味しかった。1ペソ<40円>だった。 <br /><br />マニラには二〜三泊程だけして、LA・ UNIONという北に200K程のビーチリゾートに向かう予定を立てていた。ラビット・バスというバス会社がLA ・UNION州の州都サン・フェルナンドまで長距離直通バスを運行しているという。私はそのビーチを根城にして2週間過ごす予定だった。遠浅のとても美しいビーチが有るという。 <br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /> そんな情報をもたらしてくれたのはとてもひょんな事から出逢った私より歳は一学年下だが同じ年生まれの大学生だった。他国であらかじめ入国ビザを取っていれば150ドルの強制両替は免れるというエジプト情報を旅先の私にメールで教えてくれたのも彼女だった。その彼女もカイロ空港で粘って強制両替えを免れたという。そんな手紙を貰っていたから、私も頑張って強制両替を免れる為に粘ることが出来たのだった。今のようにe-mailなどという、瞬時で届く便利なツールなど無い時代のアナログの手紙だったが、手書きの手紙には心や温もりがこもり、時に荒みがちな私の気持ちに暖かい灯をともしてくれるものだった。<br />各国、各都市の中央郵便局留めや、日系の航空会社支店留めで受け取る日本からの家族や、友人達からのメールは、文字通りの私のビタミン剤に成り得ていた。バルセロナの中央郵便局で受け取った彼女からの最初の手紙は便箋十数枚に細かい文字で、旅の日々と思いを綴った長い手紙で、同封されていた桜の押し花が私を珍しく感傷的にさせたものだった。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />原色の派手なデコレーションを施したトラック野郎のようなジープニーと呼ばれる乗り合い自動車が警笛を鳴らしながら私の傍らを過ぎていく。この国がカオス<混沌>とパトス<情熱>の国だと云うことを象徴するような存在の乗り合い自動車だった。  やがてカオスとパッションの国民は、或る瞬間からスイッチ・オンの状態となり、それは凄まじい程のエネルギーを生み、この国を長らく一族で支配していた独裁者を追放し、新たなカオスを産み出す事に為ったのはそれから5年以上、後の事だった。<br /><br />

NO1 フィリピン入国編

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kio

kioさん






バンコックを飛び立ったパキスタン航空のボーイング747は早朝6時前にマニラ空港に到着した。
空港はこの時間帯の発着は少なく、税関も簡単に抜ける事が出来た。大型のザックは空港の荷物預かり所に保管して貰うことにした。荷はなるべく少なくしたかったのだ。

市内のYMCAの安宿に向かう積もりで空港外に出ると、遅番開けの空港関係者と思われる制服を着た数人の男達が市内に向かうなら同乗させると云う。 好意を受け入れた私は彼等の車に同乗させて貰った。YMCAホテルだが構わないかと問うと鷹揚に乗っていけという。 しかし案の定、YMCAに到着すると金をを要求してきた。車代として30ドルを寄こせと云う。タクシーでさえ5ドル程度ということは知っていた私は彼らに言い返した。
「10ドルしか払わん。オレはマニラホテル<最高級ホテル>に泊まるんじゃないぞ!安宿のYMCAに泊まるんだぞ?判るか?」 私は後に続く日本人バックパッカーの為にも舐められて堪るかという気持ちをいつも心の何処かに持ち合わせていた。彼等に言い返すと、渋々納得したのか私が差し出す10ドル札を引ったくるように取り走り去った。連中は3人居たので10ドルずつ山分けしようと30ドルを吹っ掛けてきたのだろう。食事のランチ代を5食分、余分に巻き上げられたような気分だった。車代として5ドル程度は渡すつもりだったが、到着早々、軽いジャブを挨拶代わりに喰らった感じだった。
彼等の制服に騙されたなと軽く反省した。無償の好意など時と場所によっては最初から存在しないものなのだと、旅の最中に散々に学習してきたはずなのに、いまさら腹を立てる自分自身の甘さに呆れた。

午前八時前だった。チェックアウト前だった所為でYMCAの部屋はまだ塞がっていたが、チェックアウトの時間になれば部屋は確保出来ると云う。私はドミトリー<相部屋>ではなくシングルルームのリクエストを出した。物価の安い南ヨーロッパや北アフリカ以外では、ほとんどユースホステルのドミトリー<相部屋>に滞在したが、物価の安い国々ではなるべくプライバシーを確保したかったし、リラックスしたかった。シングルルームは円換算で1500円程だった。物価水準から云えば相当に高いなと思ったが、シングルルームが確保出来る事を確認した私は、サブザックをフロントに預けて朝食を摂りに街に出た。

エルミタ地区に有る教会と隣接するYMCAはマニラ随一の公園、ルネタパーク<ホセ・リサール公園>にも近く、YMCAで貰った市街地図ではパキスタン航空のオフィスも公園の一角にある事を確認出来た。
朝の通勤で活気の有る大通りを横切り、サリサリ・ストアと呼ばれる雑貨屋のような萬<よろず>屋が何軒も軒を並べる一角に出た。ファーストフードもどきの食堂がその中に一軒在った。そこで私はコンビーフ炒飯を注文した。ぱさつかない東南アジア米とコンビーフだけを絡めて炒めた焼き飯はちょっぴりソルティだったがマッチングがとても良くてシンプルで美味しかった。1ペソ<40円>だった。 

マニラには二〜三泊程だけして、LA・ UNIONという北に200K程のビーチリゾートに向かう予定を立てていた。ラビット・バスというバス会社がLA ・UNION州の州都サン・フェルナンドまで長距離直通バスを運行しているという。私はそのビーチを根城にして2週間過ごす予定だった。遠浅のとても美しいビーチが有るという。 

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 そんな情報をもたらしてくれたのはとてもひょんな事から出逢った私より歳は一学年下だが同じ年生まれの大学生だった。他国であらかじめ入国ビザを取っていれば150ドルの強制両替は免れるというエジプト情報を旅先の私にメールで教えてくれたのも彼女だった。その彼女もカイロ空港で粘って強制両替えを免れたという。そんな手紙を貰っていたから、私も頑張って強制両替を免れる為に粘ることが出来たのだった。今のようにe-mailなどという、瞬時で届く便利なツールなど無い時代のアナログの手紙だったが、手書きの手紙には心や温もりがこもり、時に荒みがちな私の気持ちに暖かい灯をともしてくれるものだった。
各国、各都市の中央郵便局留めや、日系の航空会社支店留めで受け取る日本からの家族や、友人達からのメールは、文字通りの私のビタミン剤に成り得ていた。バルセロナの中央郵便局で受け取った彼女からの最初の手紙は便箋十数枚に細かい文字で、旅の日々と思いを綴った長い手紙で、同封されていた桜の押し花が私を珍しく感傷的にさせたものだった。
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原色の派手なデコレーションを施したトラック野郎のようなジープニーと呼ばれる乗り合い自動車が警笛を鳴らしながら私の傍らを過ぎていく。この国がカオス<混沌>とパトス<情熱>の国だと云うことを象徴するような存在の乗り合い自動車だった。  やがてカオスとパッションの国民は、或る瞬間からスイッチ・オンの状態となり、それは凄まじい程のエネルギーを生み、この国を長らく一族で支配していた独裁者を追放し、新たなカオスを産み出す事に為ったのはそれから5年以上、後の事だった。

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