1979/02 - 1980/01
27位(同エリア61件中)
kioさん
スペインの最南端に程近いカディスという港町に向かったのはこの街の港からカナリア諸島へのフェリーボートが出ているという情報を聞いた所為である。
日本で勤め人をしていた頃、よく遊びに出かけていたスナックのマスターが若い頃に、遠洋漁業の漁船に調理師として乗り込んでいたというキャリアの持ち主で、そのマスターからアフリカの西沖のカナリア諸島は日本の遠洋漁業の前線基地だという事を聞かされていた。
温暖でとてもいい場所だという。はるばるとカナリア諸島へ出かければ、停泊している日本漁船で好きな日本食を幾らでもご馳走して貰えるぞと、そんなスナックでの戯言に勿論惹かれた訳ではなく、西アフリカ沖のカナリア諸島へ容易にアクセス出来る港町まで来たからには、是非、渡ってみたいと考えていた。
セビリアで知り合いのパキスタン人の路上販売の仕事を手伝った所為で、思わぬ臨時収入を得ることが出来て、往復の船賃くらいは軽く捻出できそうだった。
夕刻近く、勇んでカディスの駅を降りた私は、その日の宿を探してから旅装を解いてから、港へ向かいカナリ−諸島の中心地ラスパルマス行きの船の出港日、船賃を確認に出かけようと考えていた。
カディスの駅に降りたバックパッカーは私の他に、後にカディスの街中で一緒に食事を摂る事になるアメリカ人のカップルのバックパッカーだけだった。彼らと二言、三言、言葉を交わした。彼等の風体は長い旅を続けている事を感じさせるに充分なものだったが、彼らにはバックパッカーが放つ長旅からくる独特の荒み感が無く、私が今まで遭遇したアメリカンの中でも珍しくとても感じの良い態度だった。
街を彷徨いながら朝食付きで個室が邦貨で私の予算内の250ペセタ<700円>程度の宿を見つけた私はとても疲れていた所為もあり、部屋を見せてもらう事もせずに、部屋を決めてしまったのが間違いの元だった。 六畳位のその部屋は窓の高さが何故か、床から3m位の高さにあり、室内灯は薄気味悪いほどに暗かった。壁紙は所々が破けて、天井は奇妙なシミのようなものが点々と確認できる。
ベッドのシーツは異臭を放っていた。まるで監獄を想起させるような部屋だった。
この宿には一泊しかしないからと、あまり神経質ではない私は、眠ってしまえば何処でも同じとばかりに、旅装を解いたが、部屋に入って間もなく、何故だか身体がとてもだるくなってきた。それまで何でも無かったのに急に背筋がゾクゾクして、悪寒が酷い。風邪の症状だなと勝手に自己診断したが、正露丸は持ち合わせていたが、風邪薬の類は持参していなかった。厄介な事になってきたなと感じた。心拍数が上がり、心音が聞こえるような錯覚にも捉われた。身体の震えがとまらない。
おそらく疲れから抗体が弱くなっていた所に良からぬウイルスを完璧に受け入れいれてしまったに違いない。
私はベッドに倒れこみ、エビの様に身体を丸めた。毛布をかけても悪寒が止まらない。畜生、、畜生、、と私は幾度もうわ言のように呟いていた。これから港まで出かけ、出航日を確認するという気力なぞ、とうに失せていた。
発熱は無いように思えた。しかし全身の悪寒が止まらない。どうすれば良いのか考えもまとまらない。ひたすら時間が過ぎるのを待つしかなかった。こんな監獄のような高い窓のある薄暗い部屋で、一夜でも悪寒を抱えながら時を過ごさなければならぬ事に今まで感じた事のない言い知れぬ程の不安感を覚えた。一週間ほど前に滞在していたモロッコ辺りで良からぬウイルスに犯され潜伏期間を経て発症したのか? この長い旅でこれほどの不安な気分になったのは初めてだった。
やがて天井が回り始めたように感じた。更に天井のシミが幾人もの人の顔に次々と変わっていくように思えた。自律神経もやられちまったのかと、悪寒の中で考えた。 やがて私はしばらくの間、意識を失ったかのように、いつのまにか、眠りについていったようだ。
気がついて ふと腕時計を確認すると宿に入って二時間以上が経っていた。目が覚めたときは、不思議な事にあれほど酷かった悪寒が、憑き物が取れたようにすっかり失せていた。
室内の佇まいも違和感のないものになっていた。急激に訪れた悪寒を含めた息苦しい程の体調不良は、目が覚めた時には私の体内から消え失せていた。
文字通りに<狐につつまれたような気持ち>という言葉がピッタリだった。
力を蓄える為にも食事だけは摂っておこうと、私はだるさが消えた事を良いことに、街に出かけ、手頃そうなレストランを早々に見つけた。店に入っていくと先ほどのアメリカン・バックパッカーのカップルが偶然にも先客として食事をしていた。誘われるままに彼等の隣りのテーブルに付いた私に、安宿は見つかったか?と彼らは尋ねてきた。安宿を見つけるべく、互いに安宿を探す彼等と何度も街中ですれ違っていたのだ。
「朝食付きで250ペセタの宿を見つけたけど、窓が床から10フィートの高さにある監獄のような部屋さ。身体の具合がすっかり悪くなっちまったよ」と答えると彼等は大袈裟に笑った。彼等は二人部屋で朝食付きで400ペセタ(1100円)という部屋を見つけたといい、「俺達が勝ったな、、」と訳のわからない言葉を吐いた。
その席で彼等もカナリ−諸島のラスパルマスにフェリーで向かう計画である事。故に、この港町に来たということを知った。既に港へ出航日を確認しに出かけたという。しかし彼らの情報に寄れば、ラスパルマス行きは週に一便しかなく、しかも昨夜の出航だったという。 何だって〜!!私は大袈裟に日本語で叫んだ。
一週間も船を待ってこの街に留まるのは難儀だった。
ここから1800K離れた西アフリカ沖の大西洋に浮かぶ島々に向かうのは喩え40時間近い航行と云えども船旅が好きな私にはとても魅力的だったが、諦めた。
しかし、、、 今になって思う。たとえ一週間待ってでも、行きたいと思った所には行ける環境に有ったならば、絶対に行くべきだったなと・・・
後に大滝詠一のビジュアルにイメージ出来る名曲<カナリア諸島にて>を聴くに及んで、尚更にその感を強くしたものである。
今でも思いを残している・・・・
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この旅行記へのコメント (12)
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- SUR SHANGHAIさん 2005/04/21 02:49:03
- お久しぶりです
- 今、出先のU.A.E.からです。こちらではまだ午後9時半ですが、日本では真夜中ですね〜。(^○^)
この旅行記を読んで想い出したのは、一泊10香港ドルのゲストハウスのドミトリー。昔の事ですけどね〜。
狭い部屋に男も女も6人ぎゅうぎゅう詰めでしたが、その中のイギリス人バックパッカーが発熱。苦しそうな息をして寝ているのに、誰も面倒見てやらないので、玉子酒を作って飲ませてあげました。それが効いたかは不明ですが、次の日には立ち直ってくれてうれしかったですね〜。
いい人ばかりに会えたとは言いませんが、あの頃はハプニングがあれこれあったナ〜、と懐かしく思い起こしました。
- kioさん からの返信 2005/04/21 07:32:42
- RE: お久しぶりです
- SUR SHANGHAIさん お久しぶりです
いま アラブ首長国連邦ですか?
何だか凄く良いホテルもあって良さげ〜らしいですね
>狭い部屋に男も女も6人ぎゅうぎゅう詰めでしたが、その中のイギリス人バックパッカーが発熱。苦しそうな息をして寝ているのに、誰も面倒見てやらないので、玉子酒を作って飲ませてあげました。それが効いたかは不明ですが、次の日には立ち直ってくれてうれしかったですね〜。
そのイギリス人バックパッカーは苦境の時に情けをかけられた事を
いまだに覚えているはずですよ
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- チビケイさん 2005/04/13 14:14:30
- 何時もと変わらず本当に興味深く面白かったです。
- kioさん、こんにちわ(^^)
早速新しい旅行記を拝見しましたがカディスのホテルでの体調不良は
いったい何だったんでしょうね?友人が昔イタリア、ミラノに宿泊したホテルで似たような経験をした事があるのですが・・(彼女もやはり何ともなかったのにそのホテルのお部屋に入ったあたりから急に体調がおかしくなったようです?)
カディスから船にのり目的地の島へ行けなかった事は残念でしたが
いつか行けると良いですね。
またしても一気に読み終わりました(^^ゞ
kioさんの旅行記も本当に不思議な事に読み始めると魅入られたように
読んでしまいます。
今バックパッカー上がりの作家、下川裕治さんの‘アジア迷走紀行’を読んでいますがkioさんの旅行記も絶対に出版すればもっと、幅広い人達に読んでもらえるように思います。(私個人の好みとしてはkioさんの方が興味深いなぁ)
また次の旅行記を楽しみに時々お邪魔させてくださいねm(__)m
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- さすらいおじさんさん 2005/04/11 18:06:18
- kioさん さきほどヨーロッパから戻りました。
- 旅先での病気は気力まで奪ってしまいますね。
kioさんの 心の葛藤が伝わってきます。
>しかし、、、 今になって思う。たとえ一週間待ってでも、行きたいと思った所には行ける環境に有ったならば、絶対に行くべきだったなと・・・
私も行き損ねたモロッコやポルトガルには34年間も後悔していました。
だから、今は無理しても行けるときに行こう! と思っています。ほんとに同感です。
- kioさん からの返信 2005/04/12 00:27:07
- さすらいおじさん様 お帰りなさい〜
- 欧州からの無事のご帰還、何よりですよ♪
さすらいおじさん氏は年間に何回くらい海外旅行に
出掛けているのでしょうか?
う〜ん・・イメージとしては年間15〜6回くらいかなぁ、、
すんごいエネルギッシュですよね。
南米にも行かれて居ますよね?
24時間近く機内にいるんでしょうか?
きょうび、私は航空機内滞在は3〜4時間が限度(笑)
一度、南回りでロンドンに行った時は、食事だけで
3〜4回出て、もう苦行の南回り線でした┐('〜`;)┌
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/04/12 07:50:30
- RE: さすらいおじさん様 お帰りなさい〜
- >さすらいおじさん氏は年間に何回くらい海外旅行に
出掛けているのでしょうか?
う〜ん・・イメージとしては年間15〜6回くらいかなぁ、、
今のところは2ヶ月に3回ペースですが、健康と金が続けば---のペースです。
>南米にも行かれて居ますよね?
24時間近く機内にいるんでしょうか?
ペルーは待ち時間を含め、日本から30時間でした。
疲れますが、世界遺産への憧れの方が強かったです。
- kioさん からの返信 2005/04/12 22:26:26
- さすらいおじさん氏はすんごい〜〜
- >今のところは2ヶ月に3回ペースですが、健康と金が続けば---のペースです。
二ヶ月に三回の海外旅行!! 凄いっ!
二十日ごとに海外へ行ってるペースですね〜
自分の直近の海外旅行はもう16年前のサイパンです(・・;)とほほ
>ペルーは待ち時間を含め、日本から30時間でした。
疲れますが、世界遺産への憧れの方が強かったです
トランジットを含めても30時間・・・
いやはや ホントにヘトヘトに疲れると思いますが、
長年、憧憬の念の対象だった世界遺産を自らの目で見たいという
強い思いがさすらいおじさん氏の足を前に進ませる力に
なっているんでしょうね
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/04/13 01:01:50
- RE: さすらいおじさん氏はすんごい〜〜
- >自分の直近の海外旅行はもう16年前のサイパンです(・・;)とほほ
kioさんは 現役で仕事をバリバリされておられるのでしょう。
でもkioさんの旅行記は昨日の旅のような文章のみずみずしさがありますよ。
旅をされながら、文章を書かれたのですか?それとも今思い出しながら書き直されてる? いずれにしてもたいしたものです。
- kioさん からの返信 2005/04/13 21:56:44
- <深夜特急>の日々
- さすらいおじさん様
いつも書き込み頂きホントにありがとうございます!
>kioさんは 現役で仕事をバリバリされておられるのでしょう。
でもkioさんの旅行記は昨日の旅のような文章のみずみずしさがありますよ。
旅をされながら、文章を書かれたのですか?それとも今思い出しながら書き直されてる? いずれにしてもたいしたものです
はいっ 海外に出掛ける余裕も時間も無いのが現状です┐('〜`;)┌
ネットで過去の記憶旅行しているようじゃ〜仕方ありませんよね。
1970年代後半の旅の日々を綴ることが出来るのは、当時のメモ書きや
日記風にインパクトのあった出来事を点描写風に記録に残していたからです。
まさか〜インターネットなるもので、世界中に発信できる日が来るなんざ〜
思いもしませんでしたよね。 写真も当時、あまり撮らなかったので
記録として残せない分、せめて文章で頑張ってみようと思いました(^-^;
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チビケイ様
いつも書き込み頂き嬉しく思います!
>友人が昔イタリア、ミラノに宿泊したホテルで似たような経験をした事があるのですが・・(彼女もやはり何ともなかったのにそのホテルのお部屋に入ったあたりから急に体調がおかしくなったようです?)
自分のケースも、ちょいとオカルトチックな奇妙な体験でした。
きっと何モノかが?部屋に憑いているんでしょうねヾ(・・;)ォィォィ
そう考えれば合点がいく?(・_・?)ハテ
でも自分は旅の最後で訪れたマニラのYMCAホテルで
カディスの宿での体験とは比べ物にならぬ程の
不可思議な体験に遭遇してしまいましたから・・(;^_^A アセアセ・・・
Philippine編の中で紹介したいと思います。乞うご期待?
>kioさんの旅行記も本当に不思議な事に読み始めると魅入られたように
読んでしまいます。
バックパッカー上がりのオヤジワールドに
どっぷり浸かってくださいませよ〜〜(*^。^*)
>今バックパッカー上がりの作家、下川裕治さんの‘アジア迷走紀行’を読んでいますがkioさんの旅行記も絶対に出版すればもっと、幅広い人達に読んでもらえるように思います。(私個人の好みとしてはkioさんの方が興味深いなぁ)
チビケイさん、読書家と伺っていますので多分、既読されてるかと思いますが
もし未読でしたら沢木耕太郎氏の<深夜特急>が抜群に面白いですよ。
大沢たかおの主演でドラマ化もされていますが、私は原作の方がイメージが
沸いてよかったなあ・・・沢木役の大沢たかおも雰囲気があってとても
良かったけどね。
沢木さんが26〜7の頃の1974年から一年間、香港から始まってバンコックに
渡り、ひたすらバスで!西に向かう旅の日々を綴った旅行記です。
自分は彼の香港編が一番好きでしたね。沢木さんの息吹と熱狂がもう
ひしひしと伝わってきて読み手を引き込んでしまいます。
彼がマカオで博打の<大小>を打つシーンはもう(((o(^。^")o)))ワクワク
ゾクゾクものでした。
多くのバックパッカーのバイブル的存在になっているらしい。
1960年代の小田実<何でもみてやろう>、
70年代の五木寛之の<青年は荒野をめざす>
80年代の沢木耕太郎の<深夜特急>と続く系譜らしい。
どれもパワフルで男の冒険心に火を付けてくれる様な作品でしたよ。
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/04/13 23:55:36
- RE: <深夜特急>の日々
- >1970年代後半の旅の日々を綴ることが出来るのは、当時のメモ書きや
日記風にインパクトのあった出来事を点描写風に記録に残していたからです。
まさか〜インターネットなるもので、世界中に発信できる日が来るなんざ〜
思いもしませんでしたよね。 写真も当時、あまり撮らなかったので
記録として残せない分、せめて文章で頑張ってみようと思いました(^-^;
私も1971年の記録は残しています。写真も少なくてセピア色になりかけています。青春時代の日記をそのままいつか出そうかなと思ったのですが、昔を振り返って現在の思いを文章にすることをがんばるのもいいなあとkioさんのコメントで感じています。o(^o^)o
- kioさん からの返信 2005/04/14 00:08:20
- さすらいおじさん氏の心象風景、、是非に〜
- >青春時代の日記をそのままいつか出そうかなと思ったのですが、昔を振り返って現在の思いを文章にすることをがんばるのもいいなあとkioさんのコメントで感じています。o(^o^)o
そうですよ! さすらいおじさん氏の当時の旅の日々を振り返って
その時に感じた心象風景や思いを現在の思いや言葉に置き換えて
回顧するって悪くないことだと思いますよ。
さもなければ当時、旅先で書かれた日記を素のままにアップして、
そこに当時の思いを今の言葉で感想風に書き加えるってのもいいかも?
さすらいおじさん様、是非、私の旅の日々より更にセピアな日々を
綴った旅文をアップしてくださいよ〜〜
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/04/14 00:36:12
- RE: さすらいおじさん氏の心象風景、、是非に〜
- >さすらいおじさん様、是非、私の旅の日々より更にセピアな日々を
綴った旅文をアップしてくださいよ〜〜
kioさんほどの文章は難しいですがチャレンジしてみたいです。
その前にここ数年さすらった旅がまだまだUPできていないので、そっちの方を早くUPしたいと思っています。
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