2004/07 - 2004/07
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LaoBeijingさん
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ラサやナムツォ(ラサ郊外の巨大な湖)でしばらく過ごした後、西チベットに位置するシガツェへと行った。
ラサからバスに揺られること数時間。峠も越えての丸一日がかりの旅だ。
話は変わるがチベットでは峠を越す時に良く、「ハッチャロー」と叫びながらルンタという小さな紙を投げる。今回もしっかりとラサで買っておいたルンタを投げる。旅の安全を祈る気分だ。
シガツェに着いて、たまたまバスで一緒だった、ラサで何度か顔を合わせたことのある韓国人と一緒に安宿へ行った。これからここで2泊だ。
2日目、朝からタシルンポ寺へ。ここはダライ・ラマと並ぶチベットの二大活仏であるパンチェン・ラマの寺である。
余談になるが、1989年に死去したパンチェン・ラマ10世だが、その6年後の1995年にこのパンチェン・ラマをめぐってインドのダライ・ラマと中国共産党とで問題が起こることになる。つまり、死んだパンチェン・ラマの生まれ変わり先(チベット仏教の活仏は死後49日経った後別のところに生まれ変わるため、その条件に合う生まれ変わり先を探すのである)とダライ・ラマが指名した子供を中国共産党が認めなかったということだ。現在10代半ばになった、中国共産党によって指名されたパンチェン・ラマ11世は北京で教育を受け、宣伝のような形でチベット地域を行脚している。
お寺に入った後、適当に歩こうとしていると後ろから声をかけられた。日記1でも書いたが、私はこの旅の間ずっとアムドチベット(青海省、甘粛省などの所謂東チベット)の服を着ていて、それの後姿だけ見たものだからアムド人だと思われ、ちゃんとした巡礼コースを教えようとラサ人の親子が話しかけてきたのだ。
私としてもちゃんとそういうコースを歩くほうが気分良いので、言われた通りのコースを歩くことにした。これもコルラである。その途中でチョルテン(仏塔)がありそこでもコルラ。そして金堂に着いたところで先ほどの親子と再会した。パンチェン・ラマの霊塔などを見ながら説明を受けた。
また境内を歩きながらも、中国共産党による「解放」前はここに大きな門があって、だったり、昔はここにも堂があって、とか、これが文化大革命で壊された建物だ、など色々な説明をしてもらいながらお寺の中を歩くことができた。
次の日にラサに帰るバスの食事休憩の時にその親子と再会し、食事を奢ってもらった。普通のカレーで、しかも店の中は満席だったので小雨のふる中外で食べたのだがとても美味しく感じた。
ラサに戻ってたまたま友達に遭遇できた。北京で一緒に留学していた韓国人だ。彼は次の日にラサを離れてネパール経由でインドへ。私も次の日にはバスで西寧に向いそこから列車で北京へ。次に会うのはいつどこでだろうな、なんて話で飲み明かしていた。そして宿に帰ってきたのは真夜中。
次の日早朝に宿を出ようとしたらフロントから呼び止められた。前日のラサ人の親子が訪ねてきて、遅くまで待っていてくれたとのこと。電話番号を残していっていたので服務員から進められて電話をしてみたところ、話をしたかったのと、カレーをおごってくれた時に、それに気付かずお金二重に払ってないだろうか、と心配になって連絡したとのこと。チベットを離れるその日に温かさを感じました。
その日はセラ寺というお寺で早朝コルラして、バスに乗り込みました。西寧まで30時間ちょっとの旅程だ。そして北京への列車に乗り今回のチベット旅行は幕を閉じました。また行くぞ!
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