2004/09/31 - 2004/10/14
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starchildさん
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俺が生まれた長崎と広島は原爆の被害を受けたということもあって、他の都道府県よりもどこか気になる存在だった。お袋と弟が、まだ俺が小さいときに宮島にいった話を聞いて、いつかいきたいとずっと思っていたところだ。2004年の夏に、バリ島で愉快な仲間達に出会った。家族のように10日間をバリのウブドを中心に過ごしたその仲間達の中に、広島出身のタカがいた。俺の二つ上でインドのガンジス川でA型肝炎もらってバリにやってきた。逢った当初は治りかけてで、本調子ではなかったがウブドで再会してからは、タカがジャンベを叩いて、俺がギターを弾きながら歌ってセッションしたり楽しい時間を過ごした。俺の日本にいる親友が緊急事態ということで、旅を中断しその夏に日本に帰国。その親友と沖縄と屋久島に行った帰りに、タカがぜひ来いといってくれたので広島に寄った。バリで一緒に遊んだだけの仲といえば、そんなに深い付き合いでもないのに、タカは実家に招いてくれて結局2週間もお世話になってしまった。このタカの家族がどこのうまの骨か知らない俺にめちゃめちゃ親切にしてくれて、毎日飯まで出してくれた。おじさんは大好きなカメラを一生弄るため、平日は市場で積み下ろしの重労働をこなしながら、土日に結婚式などを撮影し続けている。おばさんは、キャディーさんをしながら家計を助けて毎日疲れているのに、いつもおいしいご飯を食べさせてくれた。妹のユミはがなかなかカワイイ子で、ノリもいい。いきなり押しかけたのに、ほとんど遠慮することなく最高の広島を過ごさせてくれた。全く、バリで最高の仲間に出会えたものだ。旅先でたくさんの人に俺は助けてもらった。日本に帰ってきても、みんなに助けられっぱなしだ。今追い続けている自分の目標をいつか達成して、みんなにお礼をしたい。そう強く思った。□
広島は、たくさんのミュージシャンを輩出しているだけあって、アンダーグラウンドで面白い音楽を作り続けている奴らがたくさんいた。タカが長い間広島でドラムからパーカッションを担当していて、いろんな繋がりがあったので、広島の音に触れることができた。なんといっても、広島の奴らはピースな音をかもし出す。東京でも、代々木公園でジャンベを持ち寄ってみんなでセッションなんてことにもなるが、広島はそこら辺を地でやってる。ほんとに音楽を愛し、音楽が好きで、毎日を楽しんでいるやつらにここでも出会えた。タカとは広島の原爆ドームのそばや平和記念公園、ちょっと山間に入ったところで焚き火を囲んだりしてセッションした。日本に帰国してから毎日ギターをひいて、でかい声だして歌う生活を、毎日は送れなかったので、この広島に来て、旅に出ていたときの感覚がよみがえってきた。感謝 □
合間を縫って、念願の宮島にも足を運んだ。ちょうどその頃は、夏に来た台風の影響で厳島神社の境内は倒壊しており、復旧作業が進んでいたため中には入ることができなかったが、素晴らしいところだった。特に、厳島神社より少しあがったところにある千畳敷は、まさに和の落ち着きを味わうことができ久しぶりに穏やかな気持ちに浸れた。厳島神社の周囲には昔から残る日本の旧家屋の町並みが残る。その道を進んで、弥山に登った。久しぶりの軽いトレッキング。途中にあった滝がの音色に引かれ、滝の前でギターを出し、俺もギターと体のそこから出てくる声に身を任せた。身も心も解放されているときには、余計なものがないから素直な音が出る。ふと、周りの音と自分の音が一体になる瞬間があった。そのときには、もう新しいメロディーが出ていた。そのまま、一気に解き放つ。旅先でも作曲は続けていたがきちんと形になるメロディーと構成になって出てきたのは久しぶりだった。ありがたい。この宮島は、日本でも磁場の強いパワースポットとして知られているが、その恩恵にあやかれた。いい曲ができた。心も弾む。そのメロディーを口ずさみながら、次々と好きな曲を口ずさんで、山を登っていった。台風の影響で、崖が崩れたり、木が倒れたりしている箇所がいくつもあったが、彼らも少しずつ自然の力で回復していくのだろう。そんな強さを感じる。□
山の頂からの景観は予想以上だった。そう。ここは瀬戸内海だったのだ。登ってきた方向には、厳島神社や広島市内を見下ろすことができる。反対側には、大小の島々が瀬戸内海に浮かぶ。これには参った。今まで旅した中でも、この瀬戸内海に広がる景観は見事だった。どこか懐かしい感じがした。幼い頃長崎で見た光景とよく似ている。長崎にも多くの島があり、九十九島という景観があるのだが、それを思い出した。初めての瀬戸内海。そして、いまだ訪れたことのない四国がその先にある。登った甲斐があった。頂上にあった、大きな岩の上に登り、さっきできたばかりの曲を歌った。□
登り始めた時間が遅かったので山の頂から夕日を見られた。西側の空が快晴ではなかったが、俺は雲がどんどん濃くなっていく夕日が好きだ。途中、黄金色に染まる雲を見ながら下山した。頂上にある寺の住職に、早く下山するように促された。確かに暗い。山の中腹辺りから、闇の色はどんどん濃くなっていったが、暗い山道も別の表情があっていい。川のせせらぎもさっきより強く聞こえる。眼下を見下ろすと、厳島神社と赤い鳥居がライトアップされている。宮島の夜景も見ることができた。下山してからは、海辺に座りライトアップされた神社と赤い鳥居の明かりに身をおいた。お決まりの、もみじ饅頭もをほおばりビールを買って最終の連絡線に乗った。□
他には、竹原という街で竹祭りがあるということでみんなで車を飛ばして出かけた。竹原という街は初耳だったが、小京都と呼べるような古い町並みが延々と続いていて、意外な収穫だった。京都よりも、静かなその街に竹を切断して三本束ね、門松を少し低く多様な状態にした竹筒のなかに蝋燭の火をともし、街灯代わりにしていた。ガスや電気の明かりは一切なし。昔から続く伝統的な明かりのなかで、タイムスリップしたような気分で街を散策した。着物で招いてくれる女性達が、より情緒鮮やかにしてくれる。旧家屋の中に特設したライブ会場で演奏を聞きながら、地酒を味わったのだがこいつもまた絶品。酒造用アルコールなど一切使わない、地方の杜氏の味を堪能した。翌日、近くで日本酒の飲みくらべ大会が開かれる予定だったのだが、次回はぜひ参加したいものだ□
長いようで短かった広島での2週間。とにかく、タカを初めタカの家族にはお世話になった。そればかりか、最終日に焼肉をご馳走に連れて行ってくれた。「こんなに長くいたんだから、最後にはなにかご馳走しなくっちゃ」とおばさんがいってくれた一言。ほんとに、お世話になりました。ありがとう。その夜は、近くの山間で地元や旅人が集まり、火を囲んで楽しむということで、ギターやら太鼓をたくさん持って出かけた。□
広島からは、大学時代にバンドを一緒にやっていた相棒のいる大阪に行くことにしたのだが、タカのおじさんが働いている市場で大阪まで伸してくれるトラックの運ちゃんを紹介してくれた。最後まで、何から何までお世話になってしまった。この、トラックの運ちゃんがまたいい人で、いつもは一人で乗っていて暇だから、誰かを乗せるのは楽しいと快く引き受けてくれた。そればかりか、尾道によってラーメンまでおごってくれた。ずっと想いを馳せていたこの広島でも、たくさんの素敵な人々、たくさんの素晴らしい自然と日本の文化に出会った。日本に帰国してからも、こうしてたくさんの人に助けてもらい、笑顔で楽しい時間を過ごせることに感謝しながら、広島を後にした。いつか、ガキを連れてきたいところがまた一つ増えた。
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