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荷を解いた我々はホストファミリーの嫁さんに教えて貰ったセーチェニ温泉を目指した。最寄りの地下鉄駅から4つ目の駅だった。市内の地下鉄駅は恐ろしく深かった。ロンドンの地下鉄も有事の際の機能を果たすために深く掘られていると聞いていたが、ブタペストの地下鉄もロンドンの地下鉄に負けず劣らず、深かった。駅も車両もモダンで新しく開通間もないようだった。料金は距離に関係なく1フォリント<闇ドル換算で8円>だった。公共料金が安いことは我々のような貧乏旅行者には有り難いことだった。我々が目指した温泉はすぐに見つけることが出来た。ゴシック建築の立派なバルコニーまで付いた建物だった。プール的な入浴の仕方で、水着を身につけての入浴だったが、日本の温泉の様に湯が熱くなく35度位な感じだった。日本の様に温泉に浸るという感じではない。またそういった習慣はないように思われた。滞在中、市内の温泉に私は、一人であちこち通ったがこのセーチェニ温泉が一番のお気に入りだった。20フォリント<160円>で数時間、湯に浸かってはデッキチェアーに腰掛け、文庫本を読み込み、気が向けば物珍しさで話しかけてくる人達と意味のない会話を続け、リラックス出来たような気がする。                                                                         このセーチェニ温泉に来る度にウガンダのアミン大統領にそっくりな立派なプロレスラーのような体躯をした黒人を見かけた。 私も毛色が変わっていたのでよく話しかけられたが、そのアミン氏に対しては、皆が親しみに溢れた表情で挨拶をするのだ。きっと何かの有名人に違いなかった。ある時 三度目の温泉行きをしたとき、温泉のはす向かいの建物にある常設のサーカス小屋を覗いてみようと出かけてみた。サーカスの中のアトラクションにプロレスがあった。ショーアップされた派手な演出がされた田舎プロレスのような様相だったが、そのプロレスラーの中に毎回温泉場で見かけるアミン氏がいた時は驚いた。アミン氏はヒール<悪役>ではなく、いわゆるベビーフェイス<善玉>の役回りだった。あの大きな体躯で軽業師の様に飛んだり跳ねたりと技を繰り出していた。前日の宿が取れず難儀してブタペストの街を彷徨っていた夜が嘘のように思われる程の快適な日々がはじまった。                                           <br /><br />私が部屋をシェアした相手は、北九州出身のバックパッカーだった。一年前に日本を飛び出し、バンコックからユーラシア大陸を西に向かい中近東を経て欧州に入ってきたという。 山賊峠と云う異名を持つアフガニスタンのカイバル峠では、乗っていたバスごと襲われ、所有していたカメラを盗られたと云った。命を持っていかれなくてよかったなと私が呟くと彼は、深く頷いた。歳は私と同級だった。彼の話す歯切れのいい博多弁はすぐに私の耳に馴染むようになった。<br /><br />しかし辺境の地を安宿を求め、市井の人々より劣るものを食べ、ひたすら西を目指して旅を続けていくことに意味を見いだすことが出来なくなってしまう事が、時には有るのだ。気持ちもささくれ、荒んでいく。バックパッカーが持つ独特の荒み<すさみ>や匂いが、やはり彼にも見受けられたし、それは私自身にも有ったかも知れない。きっと有ったはずだ。 それでも私はそのささくれだった荒み感や匂いが嫌いだった。多分、彼が持ち合わせていた<荒み感>は私自身も発光していたものに違いなかった。そして、私は彼を通して私自身に嫌悪の気持ちを感じていたのに過ぎなかったのかもしれない。<br /><br />我々は部屋はシェアしたが、ほとんど一緒に出かけるということは<br />皆無だった。一度だけ温泉に行った事と最後の晩に夕食を一緒に摂りに出かけた事と、アメリカ大使館主催の小さなパーティに一緒に出かけたくらいだった。私は多くの人と長い旅の間には時に部屋をシェアしたりしたが、異性とでさえもベッタリということはなかった。それは私の習い性だった。私にとっては、<旅は道連れ、世な情け>には、なり得なかったかもしれない。

NO4ブタペスト滞在記 温泉三昧編

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1979/02 - 1980/01

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kio

kioさん

荷を解いた我々はホストファミリーの嫁さんに教えて貰ったセーチェニ温泉を目指した。最寄りの地下鉄駅から4つ目の駅だった。市内の地下鉄駅は恐ろしく深かった。ロンドンの地下鉄も有事の際の機能を果たすために深く掘られていると聞いていたが、ブタペストの地下鉄もロンドンの地下鉄に負けず劣らず、深かった。駅も車両もモダンで新しく開通間もないようだった。料金は距離に関係なく1フォリント<闇ドル換算で8円>だった。公共料金が安いことは我々のような貧乏旅行者には有り難いことだった。我々が目指した温泉はすぐに見つけることが出来た。ゴシック建築の立派なバルコニーまで付いた建物だった。プール的な入浴の仕方で、水着を身につけての入浴だったが、日本の温泉の様に湯が熱くなく35度位な感じだった。日本の様に温泉に浸るという感じではない。またそういった習慣はないように思われた。滞在中、市内の温泉に私は、一人であちこち通ったがこのセーチェニ温泉が一番のお気に入りだった。20フォリント<160円>で数時間、湯に浸かってはデッキチェアーに腰掛け、文庫本を読み込み、気が向けば物珍しさで話しかけてくる人達と意味のない会話を続け、リラックス出来たような気がする。                                                                         このセーチェニ温泉に来る度にウガンダのアミン大統領にそっくりな立派なプロレスラーのような体躯をした黒人を見かけた。 私も毛色が変わっていたのでよく話しかけられたが、そのアミン氏に対しては、皆が親しみに溢れた表情で挨拶をするのだ。きっと何かの有名人に違いなかった。ある時 三度目の温泉行きをしたとき、温泉のはす向かいの建物にある常設のサーカス小屋を覗いてみようと出かけてみた。サーカスの中のアトラクションにプロレスがあった。ショーアップされた派手な演出がされた田舎プロレスのような様相だったが、そのプロレスラーの中に毎回温泉場で見かけるアミン氏がいた時は驚いた。アミン氏はヒール<悪役>ではなく、いわゆるベビーフェイス<善玉>の役回りだった。あの大きな体躯で軽業師の様に飛んだり跳ねたりと技を繰り出していた。前日の宿が取れず難儀してブタペストの街を彷徨っていた夜が嘘のように思われる程の快適な日々がはじまった。                                           

私が部屋をシェアした相手は、北九州出身のバックパッカーだった。一年前に日本を飛び出し、バンコックからユーラシア大陸を西に向かい中近東を経て欧州に入ってきたという。 山賊峠と云う異名を持つアフガニスタンのカイバル峠では、乗っていたバスごと襲われ、所有していたカメラを盗られたと云った。命を持っていかれなくてよかったなと私が呟くと彼は、深く頷いた。歳は私と同級だった。彼の話す歯切れのいい博多弁はすぐに私の耳に馴染むようになった。

しかし辺境の地を安宿を求め、市井の人々より劣るものを食べ、ひたすら西を目指して旅を続けていくことに意味を見いだすことが出来なくなってしまう事が、時には有るのだ。気持ちもささくれ、荒んでいく。バックパッカーが持つ独特の荒み<すさみ>や匂いが、やはり彼にも見受けられたし、それは私自身にも有ったかも知れない。きっと有ったはずだ。 それでも私はそのささくれだった荒み感や匂いが嫌いだった。多分、彼が持ち合わせていた<荒み感>は私自身も発光していたものに違いなかった。そして、私は彼を通して私自身に嫌悪の気持ちを感じていたのに過ぎなかったのかもしれない。

我々は部屋はシェアしたが、ほとんど一緒に出かけるということは
皆無だった。一度だけ温泉に行った事と最後の晩に夕食を一緒に摂りに出かけた事と、アメリカ大使館主催の小さなパーティに一緒に出かけたくらいだった。私は多くの人と長い旅の間には時に部屋をシェアしたりしたが、異性とでさえもベッタリということはなかった。それは私の習い性だった。私にとっては、<旅は道連れ、世な情け>には、なり得なかったかもしれない。

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