2004/05/07 - 2004/05/13
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jimmyさん
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3年ほど前、中国雲南省と国境を接するベトナム最北端、ハジャン省の風景とそこに住む少数民族の人々の写真を見ていらい、ハジャンに行くのが自分の旅の大きなテーマになった。
いかんせん、ハジャン省へ入るには中国国境に接するため、公安の届け出が必要だったり、旅行者だけで自由に歩ける場所でないこともあって、ある程度の人数がいないと、かなりな旅行費用を覚悟しなければならない手前、ずるずると時間がたってしまった。
2月に友達に声をかけ、同行者を募った。
最初の予定は3月の春休み時期。次が4月のゴールデンウイーク前。最終的にGW明けの5/06から最初の同行希望の人数を2名減らして、4名でようやく実現にこぎつけました。
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5月8日
ハジャン省はサパ、バックハーの右側。
中国雲南省を国境を接している、ベトナム最北端の地です。
国境の警備上、ハジャンにはいるのには公安の許可を取るなど、面倒な手続きが必要で、且つ観光客が泊まれるような宿泊施設もないので、おそらくこの地にはいったのは、バックパッカーのヨーロパ人と、ほんのわずかな日本人だろとおもいます。
距離はハノイから350Kぐらい。
通常、8〜9時間のドライブですが、ぼくらの数日前雨で途中の橋が落ちたとかで、我々は延々13時間もかかった。 -
5月9日
早朝6時30分、フォーを朝食を済ませ、今日の目的地、イエンミンの日曜市場へむかいます。
ドライバーはハノイからの運転手から、現地の山道になれた屈強なドライバーへ。車もワゴンから4WDに変えてのドライブです。
山を上がるにつれ、景色がどんどん変わってきて、4人全員昨日来たことを後悔したのをすっかり忘れて、その雄大な山風景に歓声の連続です。 -
ボキャブラリーが乏しく、「スゴイネー」の連発。
いかんせん、カメラの腕が悪く、山のすごさが伝えられないのが残念です。 -
山また山、を超えてという表現がぴったり
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途中ボイ族の村に立ち寄り、ボイの若い女性に民族衣装を(着せて)みせてもらう。
ボイは、タイ族などと同じように北部では、平地に住む少数民族のひとつだ。
ベトナムには全部で54の部族がいるといわれ、そのうち22の山岳少数民族がハジャンに住んでいるそうです。
その多くの民族が昔どおりの生活と民族衣装を守って生活しています。
この後夕食をし、ホテルに向かうわけですが、夕食のレストランからまだ(ホテルまで)3時間かかるといわれ、全員ゲンナリ。 -
イエンミンの市場。
山の中なのに活気Gある。
少数民族の人たちは日曜Bのたびに、遠い人は20Kも30Kも歩いて市場に集まって来るそうです。 -
市場で自分で作った地酒を売っていた少数民族の少女。
山の人々は市場に集まり、必要なものを売ったり買ったりするだけでなく、ふだん会えない人たちとおしゃべりしたり、酒のんだりする、楽しい社交の場所のようでした。 -
市場から帰る少数民族の女性達。
みんな歩くのをいとわない。
この人たちから友人の奥さんが来ている民族衣装を売ってもらった。 -
地元の子供達。
どこにいっても子供達はツッパル。 -
ザイ族の高校生の少女。
ガイドの知り合いだったので、民族衣装を着て見せてもらう。 -
ベトナムの少数民族の中でも本当に少数民族のロロ族。現在700人弱といわれています。(1990年の調査では3,000人弱)
華やかな少数民族の衣装の中でもロロ族の衣装のあでやかな色彩と織りの複雑さは特筆ものです。
少女達は結婚までに自分の着る(民族)衣装を縫い上げて結婚するそうです。 -
弟をおぶって世話をする子。
昔は日本でもあたり前の風景でしたね。 -
この人たちはなぜわざわざこんな高い所にすむんだろう?
そんな疑問がわいてくるほど、歩くのに困難なほど急勾配の地に家を作り、農作業をしています。 -
場所によっては雲が村よりも下にあるところもみかけました。
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昨年完した山道。
おかげでずいぶん通りやすくなったそうですが、車や、自転車やバイクを持たない少数民族の人たちにとっては舗装道路もあまり用をなさないようです。
彼らの道とは、家と目的地を最短距離で結ぶ線で、あって、それが山の中であっても歩くのはいとわないよです。 -
急峻な山肌で働く少数民族の人達。
彼らは満足な畑がないので、岩だらけの山を丸坊主にするほど開墾してさとうきびを植えています。
水が少なく、土が少なく、岩が多く、まともに立って仕事ができる場所が少ない。
ベトナム政府は平地への下山政策を少数民族に積極的に働きかけているようですが、一度おりてもまた山にもどる人たちもいて、なかなか思い通りに進んでいないようです。 -
ザオダイバン族の女性。
ザオダイバンは大きな黒い帽子が特徴。
こんな大きな帽子をかぶって畑仕事をしているのをみると、「邪魔じゃない?」と聞いてみたくなりたいが、大きなお世話!だね。
最も子供達は民族衣装をだんだんつけなくなりつつある。
これはいずこも同じ傾向でしょう。
このベトナムで一番貧しい地方−と言われているハジャン省も、多くの家からテレビをみます。
特に子供達は自分達とあまりに違う世界があることをテレビを通じて知っていくのでしょう。 -
水牛に乗る少女。
水牛は農家の人達にとっては欠かすことのできない家畜ですが、その世話をするのは子供達です。 -
村で唯一の食堂で昼食。
食べるものは覚悟して行きましたが、予想よりはおいしく食べられた。 -
青モン?族の親子。
少数民族によって、少し形は違いますが、いちようにしょいこを背負って歩きます。
家庭での燃料は枯れ木ですが、前述のように山中さとうきびだらけにしてるので、燃料の確保はかなりの重労働になっているようです。 -
ベトナムの棚田。
ベトナム北部では沢山の棚田がみられます。
棚田がみられるのはさとうきびの栽培が本当の山また、山あいとしたら、すこし山を降りた所。
それでも我々からみると、「よくまぁこんな所に、、」と感嘆の声が出るほど、山の斜面を切り崩してたんぼにしています。
5〜6月は田植えの季節(雨季の季節でもある)で、棚田の上から下へ貯めた水が落ちていく様や、色とりどりの民族衣装で田植えをしている少数民族を見ることができます。 -
ザオ族のひとつ。コイヤオ(コインザオ)の親子です。
彼らの特徴は身体にコインのアクセサリーを見にまとっていること。
生活圏はやや山を下に下りたあたり、のようにみえました。 -
手機織をするモン族の女性。
中国国境に接しているため、安い中国の布製品が流入し、こんなへんぴな場所でも手織りをする人たちが年々少なくなっているとのこと。そういえばラオスで同じだった。
この後2日目のホテルへ
最初に泊まった時は抵抗のあったホテルもドンバンのホテルを体験したら、きれいにみえるから不思議。 -
5月11日
畑仕事から帰る途中の花モン族の女性。
お願いして写真を撮らせてもらった。
モン族はその衣装(色)によって、花モン、黒モン、青モンなどと分かれる。ツアーで有名なサパは黒モン、バックハーは花モン、ライチャウ(サパの左)は青モンが多く住んでいるようです。 -
同じく畑仕事から帰る途中のザオクアンチャット族(短いズボンをはいたザオ族)の女性達。
彼女達は結婚すると、まゆをそり、おはぐろにします。
江戸時代の日本の女性と通じてますね。 -
ハノイへ帰る途中小学校を見学。
先生に頼んで授業風景をみさせてもらいました。 -
最初はカメラを向けると柱や壁に隠れていたザオ族の子供達。
先生が話してくれたおかげで、モデルになってくれた。 -
同じく学校帰りの(ベトナムはスペースの関係で午前と午後に学校が分かれる)子供達。
子供達も目がきらきらしてるのが印象的。 -
水牛と同じく、ベトナムでは水車も活躍している
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ハノイまで後少し。
途中さとうきびジュースで疲れを取る。
この後、ハノイにはいりますが、ハノイ・バージョンはカット。
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この旅行記へのコメント (1)
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- キッドリンクさん 2017/08/20 10:14:07
- ベトナムの学校は、
- 午前授業が終わると、昼休みになり、その間、学校で弁当を食べる子、家に戻って食べる子、色々です。そして、長い昼休みのあと、午後授業が始まります。これは、ラオスの学校もそうですが、フランスが統治していた時のなごりですね。午前授業、午後授業と基本的にわかれているのは、カンボジアの学校です。カンボジアは、確かに、学校や先生の数のおかけで、基本、二部制。しかも、学校の建物の改築、新築中だと、学校によっては、三部制、四部制になってしまうようです。ちょっと気になったもので、老婆心でコメントしました。失礼します。
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