サントリーニ島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
これはサントリーに島滞在中の回顧録である。3年年、いや4年前の事をふり返って書いているので少々大まかになってしまうが、今でも覚えているいくつかの事を書き出してみた。<br /> サントリーに島では個室に泊まっていて、部屋からは海が見えなかなか快適であった。島の中心へも歩いて行け、散策をしらり、旅行のパンフレットによく出てくるような白い壁、屋根が水色の家々の並ぶ町並みにネコがのんびりしているような景色は本当に美しかった。まだ、シーズンが始まったばかりで店開きをしていない店も多く島全体が静かだったのもよかった。到着した次の日は、宿で知り合ったドイツ人の二人組の旅行者を一緒に隣町までハイキングをした。彼らに1時間くらいのハイキングに行こうと誘われ、1時間くらいなら歩けると思い出かけたが、結局は片道、3時間くらいかかってしまった。よくガイドブックを読んだら通常はバスを使う距離のようだった。しかし、途中サントリー島の島々が一望でき、エーゲ海がキレイに見え、小さなギリシャ聖教の教会を見たりと行き当たりばったりのハイキングで、通称きっちり系と思われがちな日本人とドイツ人の組み合わせにしては、計画性のないハイキングであった。めざした村に着いた時にはもう夕方6時頃だった。ほとんどの店がシーズン前で閉まっていたが、1軒あいている店を見つけ、3人で夜を食べ、帰りはバスに乗って帰って来た。ドイツ人の2人組みはシーメンスSIEMENSという会社で働いているサラリーマンで有給を取ってきたらしい。2人ともずっと私に会わせて英語で話してくれた事が印象に残っている。<br />また別の日は宿のダイニングルームでのんびりワインを飲んでいるときに居合わせたイギリス人と人生相談のようなまじめな話になり、いつか何年後かにサントリーに島でこういう話をした事を思い出したらいいね、と話し合った記憶ががあるが、その後思い出すこともなかったのだが、今がまさにその時である。今の今まで忘れていたのに、当時を思い出すと全く不思議である。「縁のある人にはまためぐり合える」とトルコの友人に言われた事があったが、縁のあった会話もまたこのように思い出す事ができるんだなーと実感している。そのイギリス人は奥さんが日本人で一緒に旅行をしていたが、その日はケンカをしたらしく別々にすごしていたらしい。当時(今もだが、)自分に自信の持てなかった私は、彼にいろいろな助言をしてもらったが、そのうちのひとつは現在も自分の習慣となっている。<br />この翌日私は船でまたアテネへ帰り飛行機で日本へ帰国の予定だったが台風が来るとの事で、欠航となってしまった。台風の時は海が荒れ、2−3日は船が出ないとの事だった。私はタクシーで空港へ向かいオリンピック航空のカウンターで翌日のチケットを買おうとしたが、満席であった。カウンターのおばちゃんが「明日また来い」というのでその言葉を信じて、翌日も空港へ行ったがまた同じおばちゃんに「満席で席がない、明日来い」と同じ事を言われてしまった。この日はもう一人ブラジルからきたエバというおばちゃんも席がないらしく一緒に席を取ろうと航空会社に頼んだけれど、駄目であった。<br />町に戻り、町の旅行会社に行ってみたが、満席!と言われとりあってくれない。もう2日後はアテネから成田への便を予約してある日である。後がないと思いつつも一向に天気は回復しない。こうなると島でののんびりリラックス気分も吹っ飛んでしまった。<br />翌日、宿で一緒だったオーストラリア人とタクシーをシェアし、空港へ向かった。もちろん私は荷物を全部持ってである。もちろん彼はチケットを持っていた。<br />私はまたオリンピック航空のおばちゃんが頼りだった。この日もエバおばちゃんも来ていた。飛行機はいつもミコノス島からサントリーニ島経由でアテネへ行くらしくサントリーに島からの席は殆どないらしかった。しかしエバおばちゃんは、アテネの彼女の旅行を手配している旅行会社の人が席を融通してくれたらしく、なんとか席を確保していた。私の事もカウンターで頼んでくれたが席はもらえなかった。私はというと、荷物をまた持ち<br />泊まっていた宿へタクシーで戻あり、すぐに航空会社へ連絡し、アテネ出発の日を変更してもらった。幸いにも私の購入したチケットは帰国便を変更できるチケットだったので助かった。翌日は3日ぶりに船が出航するとの事で港は混雑していた。<br />半分ヤケになっていた私はどうせ帰国便を延ばしたのだからと思い、もうひとつ島へよる事にした。ナクソス島へ立ち寄って1泊することにした。ギリシャ神話でナクソス島の名前を聞いた事があったのでこの島にしてみた。また、行きの船で知り合ったイタリア語を話すギリシャ人もナクソス島に出張に行くと言っていた事を思出した.<br />島の先端の方まで歩き、きれいなサンセットを見た。島の生活は時計が要らない。日が暮れるまでに宿に戻らないと、道は真っ暗になって戻る方向がわからなくなってしまう。特にナクソス島は閑散としていたので少々気をはって歩いた。<br />翌日アテネへ戻った時は妙に嬉しかった。日本へ帰りえるっと地に足が着いた感じであった。サントリーに島での後半のドタバタの疲れをナクソス島で取ってきたが、本当に航空会社の非情さを痛感した。(シビアな世界だから当然なのだが・・)<br />添乗の仕事ではこんな目にあいたくはないとしみじみ思うのであった。アテネではまたユースホステルにとまった。前に泊まっていた時に一緒にギロスを食べた大阪の子がまだいたので一緒にアクロポリスの丘へ行きライトアップされてたパルテノン神殿を見に行った。夜、大理石でできた神殿は光があたりとてもきれいで旅の締めくくりにふさわしい光景だった。<br />このギリシャの旅はイタリアの留学のつづきの旅であまり計画の段階ではウエイトをおいていなかったのだが、大変充実した旅になった。エーゲ海を見ながらのんびりする為に、ギリシャの島を旅したい、ギロスを毎日食べながら・・フラッペというギリシャのアイスコーヒーが飲みたくなってきた。今年はアテネオリンピック年だ。ギリシャは一層賑いを見せることだろう。皆様、島へ行かれる際には要注意ですよ!<br />

ギリシャの旅

1いいね!

2000/04/08 - 2000/04

1192位(同エリア1289件中)

0

0

マルコ

マルコさん

これはサントリーに島滞在中の回顧録である。3年年、いや4年前の事をふり返って書いているので少々大まかになってしまうが、今でも覚えているいくつかの事を書き出してみた。
 サントリーに島では個室に泊まっていて、部屋からは海が見えなかなか快適であった。島の中心へも歩いて行け、散策をしらり、旅行のパンフレットによく出てくるような白い壁、屋根が水色の家々の並ぶ町並みにネコがのんびりしているような景色は本当に美しかった。まだ、シーズンが始まったばかりで店開きをしていない店も多く島全体が静かだったのもよかった。到着した次の日は、宿で知り合ったドイツ人の二人組の旅行者を一緒に隣町までハイキングをした。彼らに1時間くらいのハイキングに行こうと誘われ、1時間くらいなら歩けると思い出かけたが、結局は片道、3時間くらいかかってしまった。よくガイドブックを読んだら通常はバスを使う距離のようだった。しかし、途中サントリー島の島々が一望でき、エーゲ海がキレイに見え、小さなギリシャ聖教の教会を見たりと行き当たりばったりのハイキングで、通称きっちり系と思われがちな日本人とドイツ人の組み合わせにしては、計画性のないハイキングであった。めざした村に着いた時にはもう夕方6時頃だった。ほとんどの店がシーズン前で閉まっていたが、1軒あいている店を見つけ、3人で夜を食べ、帰りはバスに乗って帰って来た。ドイツ人の2人組みはシーメンスSIEMENSという会社で働いているサラリーマンで有給を取ってきたらしい。2人ともずっと私に会わせて英語で話してくれた事が印象に残っている。
また別の日は宿のダイニングルームでのんびりワインを飲んでいるときに居合わせたイギリス人と人生相談のようなまじめな話になり、いつか何年後かにサントリーに島でこういう話をした事を思い出したらいいね、と話し合った記憶ががあるが、その後思い出すこともなかったのだが、今がまさにその時である。今の今まで忘れていたのに、当時を思い出すと全く不思議である。「縁のある人にはまためぐり合える」とトルコの友人に言われた事があったが、縁のあった会話もまたこのように思い出す事ができるんだなーと実感している。そのイギリス人は奥さんが日本人で一緒に旅行をしていたが、その日はケンカをしたらしく別々にすごしていたらしい。当時(今もだが、)自分に自信の持てなかった私は、彼にいろいろな助言をしてもらったが、そのうちのひとつは現在も自分の習慣となっている。
この翌日私は船でまたアテネへ帰り飛行機で日本へ帰国の予定だったが台風が来るとの事で、欠航となってしまった。台風の時は海が荒れ、2−3日は船が出ないとの事だった。私はタクシーで空港へ向かいオリンピック航空のカウンターで翌日のチケットを買おうとしたが、満席であった。カウンターのおばちゃんが「明日また来い」というのでその言葉を信じて、翌日も空港へ行ったがまた同じおばちゃんに「満席で席がない、明日来い」と同じ事を言われてしまった。この日はもう一人ブラジルからきたエバというおばちゃんも席がないらしく一緒に席を取ろうと航空会社に頼んだけれど、駄目であった。
町に戻り、町の旅行会社に行ってみたが、満席!と言われとりあってくれない。もう2日後はアテネから成田への便を予約してある日である。後がないと思いつつも一向に天気は回復しない。こうなると島でののんびりリラックス気分も吹っ飛んでしまった。
翌日、宿で一緒だったオーストラリア人とタクシーをシェアし、空港へ向かった。もちろん私は荷物を全部持ってである。もちろん彼はチケットを持っていた。
私はまたオリンピック航空のおばちゃんが頼りだった。この日もエバおばちゃんも来ていた。飛行機はいつもミコノス島からサントリーニ島経由でアテネへ行くらしくサントリーに島からの席は殆どないらしかった。しかしエバおばちゃんは、アテネの彼女の旅行を手配している旅行会社の人が席を融通してくれたらしく、なんとか席を確保していた。私の事もカウンターで頼んでくれたが席はもらえなかった。私はというと、荷物をまた持ち
泊まっていた宿へタクシーで戻あり、すぐに航空会社へ連絡し、アテネ出発の日を変更してもらった。幸いにも私の購入したチケットは帰国便を変更できるチケットだったので助かった。翌日は3日ぶりに船が出航するとの事で港は混雑していた。
半分ヤケになっていた私はどうせ帰国便を延ばしたのだからと思い、もうひとつ島へよる事にした。ナクソス島へ立ち寄って1泊することにした。ギリシャ神話でナクソス島の名前を聞いた事があったのでこの島にしてみた。また、行きの船で知り合ったイタリア語を話すギリシャ人もナクソス島に出張に行くと言っていた事を思出した.
島の先端の方まで歩き、きれいなサンセットを見た。島の生活は時計が要らない。日が暮れるまでに宿に戻らないと、道は真っ暗になって戻る方向がわからなくなってしまう。特にナクソス島は閑散としていたので少々気をはって歩いた。
翌日アテネへ戻った時は妙に嬉しかった。日本へ帰りえるっと地に足が着いた感じであった。サントリーに島での後半のドタバタの疲れをナクソス島で取ってきたが、本当に航空会社の非情さを痛感した。(シビアな世界だから当然なのだが・・)
添乗の仕事ではこんな目にあいたくはないとしみじみ思うのであった。アテネではまたユースホステルにとまった。前に泊まっていた時に一緒にギロスを食べた大阪の子がまだいたので一緒にアクロポリスの丘へ行きライトアップされてたパルテノン神殿を見に行った。夜、大理石でできた神殿は光があたりとてもきれいで旅の締めくくりにふさわしい光景だった。
このギリシャの旅はイタリアの留学のつづきの旅であまり計画の段階ではウエイトをおいていなかったのだが、大変充実した旅になった。エーゲ海を見ながらのんびりする為に、ギリシャの島を旅したい、ギロスを毎日食べながら・・フラッペというギリシャのアイスコーヒーが飲みたくなってきた。今年はアテネオリンピック年だ。ギリシャは一層賑いを見せることだろう。皆様、島へ行かれる際には要注意ですよ!

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ギリシャで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ギリシャ最安 478円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ギリシャの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP