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鸚鵡さんのトラベラーページ

鸚鵡さんへのコメント一覧全4件

鸚鵡さんの掲示板にコメントを書く

  • はじめまして、北京在住の多田と言います。

    初めてコメントさせていただきます。北京在住でフリーライターをしている多田麻美という者です。
    実は多田貞一さんに関するコメントを拝見し、ちょうど多田貞一さんにとても興味があるところだったので、コメントさせていただきました。

    実は今、北京の胡同に関するある本を執筆中で、そこで多田さんのことにもごく簡単に言及しようかと思っています。そこで、鸚鵡さんの調べられた多田さんの簡単な経歴を引用させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
    もし可能であれば、調べてくださった方としてお名前を紹介したいので、よろしければハンドルネームでの言及がよいか、本名を出した方がいいか、教えていただけると大変助かります。

    最初は自分でも丁寧に調べてから、と思ったのですが、どうも私よりずっとプロフェッショナルな方々でも難航されているようなので、むしろまず書物に名前を出してみて、同時進行で調べた方が、情報が集まりやすくなるのではないかと思いました。

    もちろん、引用は控えてほしい、ということであれば、そうおっしゃっていただいて構いません。
    このサイトの使い方に慣れていないので、よろしければ、私のEメールアドレス
    asamitada@gmail.com
    の方にお返事をいただけるとありがたいです。
    いきなりぶしつけなお願いで申し訳ありません。

    多田麻美
    2014年05月04日08時12分返信する
  • 川底下村と鵜飼の話

    鸚鵡さん、どうも。

    厚かましいとは思いますが、お願いです。

    既に誰かが書かれた掲示板記事に書き込みしますと、
    鸚鵡さんの書かれた記事が、埋もれてしまうのです。
    出来れば、新たにトピを立てて、投稿してくれますと、
    有難いのです。
    そうしますと、鸚鵡さんの記事が、
    掲示板のトップに躍り出てきますので、
    私のほうとしても対応しやすくなりますし、
    私のブログを見てくれてる他の方々も、
    おお、こんなやり取りがされてるんだ、
    チョイと覗いて見よう、となってくるのかと思っています。

    どうやってやるかは・・・
    例えば川底下村のページを開きましたら、
    誰かが書いた掲示板記事の下の「返事」から入るのではなく、
    「この旅行記にコメントを書く」というところから入って、
    記事を書かれてください。
    そうしますと、私のメインページの掲示板のトップに躍り出てくるのです。

    > 1994年頃ですか、知り合いのアメリカ人で中国史が専門のエール大学の教授(女性)から電話で、
    > 「面白いところがあるよ。最近、北京の大学の教授が話題にしてる、いって見たら」、
    > というので地図で探し探ししながら、途中、何度も道を尋ねながら一人で
    > 運転してようやくたどり着きました。

    非常に面白い話ですね。
    今でこそ、川底下村は、結構知れ渡ってきましたが、
    10年前でしたら、誰も知らなかったのかと・・・
    それを、鸚鵡さんは、なんと、15年以上前に行っていられたとは・・
    当時は陸の孤島と言う感じだったんでしょうね。

    > その後、何回も知り合いを連れていき、北京の朝日新聞の記者に話したら
    > 大きな記事になりました。

    コレを伺いますと、川底下村をコレだけ有名にしたのは、
    鸚鵡さんかもと、思えてきますよ。

    > 門頭溝の鵜飼は、この人の話によるとあのあたりではそのころすでに一人だけということでしたが、
    > 北京から唐山へ行く途中で、10艘ほどの鵜飼集団を見つけました。
    > こういう漁法は江南や南の地方では珍しくありませんが、
    > 北方は川も少なく、今では珍しくなっているでしょう

    この話も興味深いですね。
    上海の近郊の水郷観光地では、鵜飼が見られますが、
    まさに、コレは江南の風景なのかと、私も見ています。
    北方の、そんなところで、へえ・・・と言う思いです。

    上海近郊の水郷観光地の同里の鵜飼が
    下記に少し出てきます。
    「水郷観光地・同里はハオ(好)?水路を船で行く編」
    http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10136032/
    2011年05月07日17時02分返信する

    RE: 北京の話などなど。

    井上さん、今晩は。
    今日は三日月がきれいです。
    パソコンのキーを叩きながら、左側にくっきりと
    月が見えます。

    > 厚かましいとは思いますが、お願いです。
    ちっともあつかましくありません。
    初心者でそのような方法を知りませんでした。
    ありがとうございました。
    また教えてください。

    > 非常に面白い話ですね。
    > 今でこそ、川底下村は、結構知れ渡ってきましたが、
    > 10年前でしたら、誰も知らなかったのかと・・・
    > それを、鸚鵡さんは、なんと、15年以上前に行っていられたとは・・
    > 当時は陸の孤島と言う感じだったんでしょうね。
    > コレを伺いますと、川底下村をコレだけ有名にしたのは、
    > 鸚鵡さんかもと、思えてきますよ。
    それほどでもないでしょうが、私が知る限り、当時日本にいた日本人では
    この村に行ったことがあるひとはいなかったと思います。
    北京の中国人でも知る人はいなかったですから。
    まあ日本で言うと、福島県の大内宿が大きな話題となり、急速に観光地化
    しましたが、川底下はもっと山の中の感じでしたから。
    私が最初に行った時は、こんな奥に集落があるのか半信半疑でした。
    途中に左側から石ころが大量に崩れているところがあって、
    車道というようなものではなく、ロバか駱駝ならというような
    道しかありませんでした。

    > > 北京から唐山へ行く途中で、10艘ほどの鵜飼集団を見つけました。
    > この話も興味深いですね。
    > 上海の近郊の水郷観光地では、鵜飼が見られますが、
    > まさに、コレは江南の風景なのかと、私も見ています。
    > 北方の、そんなところで、へえ・・・と言う思いです。
    > 上海近郊の水郷観光地の同里の鵜飼が
    > 下記に少し出てきます。
    > 「水郷観光地・同里はハオ(好)?水路を船で行く編」
    そうですか、これから拝見します。
    2011年05月07日20時43分 返信する
  • 中国に関する本の記述の間違い

    鸚鵡さん、どうも。

    上海は今日は31度です。

    > 北京には長く住んだのですが、最近は国士監のあたりには行っていません。
    > 横の南北の通りを時々車で通過するだけです。
    > 雍和宮も1990年代のはじめ以来、横を通過するだけです。

    いや、当時、北京でご自分で車を運転されていたと言うのに、
    驚きです。

    > 1974年から神奈川区ですが、その後、アメリカ、香港、
    > 北京などに住みましたが、また神奈川区に帰ってきました。

    こういったことを伺いますと、
    商社にご勤務だったのでは、と想像されてきます。

    > 塘沽ですか。何回か行きました。いつも車を運転して、昔の塩田や
    > 八カ国連合軍と戦った城のそばまで見に行ったり、要するに好奇心で
    > 本で読んだところを実際に確認しようとするものでした。

    そうです、あの当時は、塩田だらけでしたね。
    今でもそうなのか・・・。

    > 今、産経新聞の北京支局にいる、矢板明夫さんはここの出身です。
    > お母さんが残留孤児でお父さんは中国人、奥さんが台湾人という
    > 「国際人」です。中学生の時、日本に行きましたから、中国語は
    > 全く中国人と同じです。よく産経に署名入りの記事を書いています。

    初めて聞くお名前です。
    今、検索して調べて、どういう方なのかが、いくらか見えてきました。
    今後は注目していきたいと思います。

    > 私は1990年の2月から、2000年の6月末まで北京にいました。
    > 長富宮公寓です。長富宮公寓では中で2回引越しをしましたが、一番の
    > 古株だったそうです。

    そうでしたか・・・
    ますます、商社勤務なのでは、と思えてきます。

    上海の横浜橋に関しては、
    勘違いしてる人が多いんですよね。

    横浜橋が出て来る私のブログは下記です。
    「上海・日本人租界散策3・・・・作家が潜んでいた地域」
    http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10038106/

    ここにも書きましたように、
    日本の横浜の「浜」の元字は「濱」であって、中国語読みは「ビン」です。
    上海の四川北路の横浜橋の「浜」は、元字も「浜」であって、
    中国語読みは「バン」です。
    でもって、上海ですと、この「浜」は
    東西を走る水路のことを言うようです。
    ちなみに、南北を走る水路は「浦」らしいです。
    私が上海で住む打浦路は、昔は、「打浦」という水路があったと言うことなんでしょう。

    「上海歴史散歩」には、いくつも間違いがあったんですが、
    その中で、一番「なんじゃ、こりゃ」と思ったのが、
    多倫路にある紹興料理屋の咸亨酒店の前にある銅像が、
    「魯迅」となっていたことなんです。
    あのですね、あれは、魯迅の小説の主人公の孔乙己ですよ、
    と指摘しておきました。
    2011年05月07日15時55分返信する

    RE: 中国に関する本の記述の間違い

    井上さん、どうも。今晩二回目です。

    > 上海は今日は31度です。
    こちらは涼しく、いい気持ちです。
    さっき食事をしたばかりです。

    > いや、当時、北京でご自分で車を運転されていたと言うのに、
    > 驚きです。
    はい、五台山や河南省くらいへは運転していきました。
    もちろん平日は仕事がありますから、長くて2泊です。
    まだ高速道路はほとんどなかったので、田舎道をずいぶん
    運転しました。少なくとも北京市内はだいたい行こうと
    思い、東西南北車で走りました。いつもガス欠が心配なので
    こまめに給油しながら。

    > 初めて聞くお名前です。
    > 今、検索して調べて、どういう方なのかが、いくらか見えてきました。
    > 今後は注目していきたいと思います。
    矢板さんは優秀な人で、まだ若いですが今後が楽しみです。
    まあほとんど完全なバイリンガルは日本人には珍しいでしょう。

    > そうでしたか・・・
    > ますます、商社勤務なのでは、と思えてきます。
    商社ではありません。当時、仕事で中国全省を回った人は少ないのでは?
    しばらく内緒にしておいてください。だいたい中国で宿泊したことがある
    都市は500近くになります。担当は中国とモンゴル、北朝鮮でした。

    > 上海の横浜橋に関しては、
    > 勘違いしてる人が多いんですよね。
    > ここにも書きましたように、
    > 日本の横浜の「浜」の元字は「濱」であって、中国語読みは「ビン」です。
    上海の方に知ったかぶりしてすみません。
    「上海歴史散歩」にも日本の横浜とは関係ないと書いてありますね。
    こういう本でさえ、テレビ東京さんは見ていないということですね。
    上海市では区別の地名志が多数発行されていてほとんど持っていますが、
    それ以前に上海の社会科学院の鄭祖安さんが書いた「上海地名小史」(?)
    という小さな本がよくまとまっていると思います。
    鄭さんには上海出張の時に2回ほどお目にかかりましたが、もう20年も
    前の話です。私はこのように本を書いて面白いと手紙を書き、著者と仲良くなる癖があり、その代わり古書や史料を入手したり、家に泊まってもらったり(北京の話です)、海外勤務ならではの経験をしました。北京でもずいぶん学者と知り合いになり、門前の小僧として学習をしました。

    > 「上海歴史散歩」には、いくつも間違いがあったんですが、
    > その中で、一番「なんじゃ、こりゃ」と思ったのが、
    > 多倫路にある紹興料理屋の咸亨酒店の前にある銅像が、
    > 「魯迅」となっていたことなんです。
    > あのですね、あれは、魯迅の小説の主人公の孔乙己ですよ、
    > と指摘しておきました。
    そうですか。実は5月4日に北京から羽田に帰ってきた日の昼食は
    3月1日にオープンしたばかりの、咸亨酒店(新橋飯店の東)でとりました。立派な店です。
    上海の店は知りませんが、紹興の本店は何度も行き、隣のこの店が経営する
    ホテルに泊まったこともあります。北京では北三環路の北側にあったこの店の分店へはよく行きましたが、今どうなっているのか。
    北京にはろくな紹興酒を飲ませるところがなかったですから。
    その点、上海はいいですね。
    私は酒飲みですが、中国のお茶(緑茶など)と紹興酒をちゃんぽんで
    飲むのも好きですから、本当の酒飲みではないのでしょう。
    2011年05月07日21時23分 返信する
  • 三里屯の件、ありがとうございました。

    鸚鵡さん、はじめまして。

    「三里屯」の三里は、東直門からの距離でしたか。
    北京には、とにかく、この三里とか六里とか八里とか十里とかが付く地名が多いですね。
    そして、こういった古い地名が、イロイロと残っているのが面白いです。

    さて、上海に、「里」が付く地名があるのかどうか・・・
    あまりないような・・・
    いや、私が思い浮かべられるのは1つだけ。
    私が住む打浦橋地区の東にある五里橋地区くらいだけのような。
    この「五里」が、やはり北京のように、どこかの城門からの距離なのかどうか・・・
    ということなら、昔の上海県城の城壁にある、どこかの門からなんでしょう。

    > 陳正祥先生の著書に「中国的地名」というものがありますが、
    > この「通名」が全中国のどこに分布しているかの地図が
    > 載っていて大変に参考になります。

    日本語訳が出てるなら、読んでみたいものです。
    2011年05月06日06時05分返信する

    RE: 鸚鵡です。

    井上さん今日は。
    一昨日、北京から横浜に帰ってきました。
    昔、北京に10年ほど住んだので、井上さんの
    北京での写真を懐かしく、また随分北京も変わったな
    との思いで、拝見しています。
    今回はゴールデンウィークのわずか4泊でしたから
    あまりあちこち行けず、本屋と市場、あとは北京料理
    くらいのものでした。
    「O里」という地名は中国独特のものだと思います。
    全国的にありますね。
    北方は特に多いように思います。
    陳正祥先生は数年前に亡くなり、「中国的地名」は
    日本語版はありません。20数年前にある東京の出版社で
    出版する話が決まったのですが、出版社がゲラまで出たのに
    約束を守らず、陳先生の大著の「中国歴史地理文化図冊」の方だけを
    出版して、小さい方はうやむやにしました。(私も外国勤務で
    フォローできませんでした)
    この図冊は評価が高く、2刷まで出て、日本の週刊誌にまで
    好意的な書評が出ました。
    中国のさまざまな歴史を数値化して地図に載せたものです。
    両方の本とも、私が陳先生に頼まれて日本の知り合いの
    出版社を紹介しました。
    「中国的地名」はもともと香港の出版社が発行した本で、
    文庫本くらいの小さな本です。
    古書店を探せば時々出てきます。
    前が私に書いた「通名」というのは、三里屯の場合、「屯」の
    部分です。「三里」は「専名」といいます。
    中山路という地名なら、「中山」が専名です。
    数年前に岩波書店から新書で出た、「北京」(春名徹著)という本
    がありますが、三里屯を建国門外と書いていました。まあ方角的に
    全く間違っているとはいえませんが、三里屯の意味が分かっていれば
    間違えなかったことですね。
    「北京」の本を書き読者に教えるべき人が、これではと思いました。
    たぶん建国門外の長富宮飯店にでも泊まって、タクシーで三里屯に
    行ってるから、そう書いたのでしょう。地図も見ずに適当に書くから
    こんなことになるのです。この本には存在しない地下鉄の駅名とか
    へんなところがあちこちあります。出版社に指摘したら、返事も来ませんでした。岩波書店は「いわない」書店にでも改名したほうがいいようです。
    とうようなことで、余計なことを書きました。
    私は北京時代に、車を運転しながらほんとに「三里」「六里」なのかを
    計測したことがあります。
    昔の人の知恵をこうして実感するのは楽しいことです。
    2011年05月06日14時41分 返信する

    北京の思い出話

    鸚鵡さん、ニィハオ。

    私は、今回、北京になんだかんだ3週間近く居ました。
    野暮用があったので、全く、観光っぽいことはしませんでしたが、
    最終日に、国士監と雍和宮だけぶらつきました。
    北京の街並みは、どこも好きなんですが、
    特に好きなのは、この国士監の街並みと東交民巷ですね。
    雍和宮は、今回が初めてでしたが、規模の大きさにびっくりしたのと、
    入場門から本堂までの道筋の銀杏並木が素晴らしくて、感激しました。
    次回は、是非、秋の紅葉の頃に、ここに訪れたいなと思いました。

    > 一昨日、北京から横浜に帰ってきました。

    ええ、横浜ですか。
    私も、横浜です。

    > 昔、北京に10年ほど住んだので、井上さんの
    > 北京での写真を懐かしく、また随分北京も変わったな
    > との思いで、拝見しています。

    私の北京初体験は、1984年の1月31日の夜でした。
    翌日の午前中は王府井をぶらつきましたが、
    色彩がないといいますか、皆さん、濃紺あるいはくすんだ深緑のコートを
    羽織っていまして、人だけはワンサカいるんですが、
    寒々とした風景に、へえ、コレが北京の銀座なのか、
    と感慨深く、見て回りましたね。

    その後、3年弱、天津の塘沽というところで勤務しまして、
    北京には、3ヶ月に1回くらい遊びに来ました。
    といっても、当時は、日本料理屋が3つあるくらいで、なんもなかったんですが、
    レンタサイクルで、北京の街を走り回ったものです。
    建国門外は、友諠商店と、建国飯店となどが、北側にポツポツ並んでるだけで、
    南側は、なんもなかったですね。
    そこに掘っ立て小屋の自転車修理屋があり、そこで、自転車を借りたもんです。
    パスポートか兌換券100元がデポジットでして、料金は1日、2元だったような・・。

    > 陳先生の大著の「中国歴史地理文化図冊」の方だけを
    > 出版して、小さい方はうやむやにしました。(私も外国勤務で
    > フォローできませんでした)
    > この図冊は評価が高く、2刷まで出て、日本の週刊誌にまで
    > 好意的な書評が出ました。

    早速、Amazonで調べましたら、安いもので18000円するようですね。
    チョッと手が出せませんので諦めました。

    > 数年前に岩波書店から新書で出た、「北京」(春名徹著)という本
    > がありますが、三里屯を建国門外と書いていました。まあ方角的に
    > 全く間違っているとはいえませんが、三里屯の意味が分かっていれば
    > 間違えなかったことですね。

    春名徹と聞きまして、あれ、どこかで、と思いましたら、
    「にっぽん音吉漂流記」の著者だったんですね。
    この本は、2・3年前に読みました。

    ということで、鸚鵡さんには不評を買ってしまってるようですが、
    早速、この「北京?都市の記憶」をAmazonで買ってしまいました。
    横浜の我が家に届きますので、読むのは次回の帰国の7月になります。

    > この本には存在しない地下鉄の駅名とか
    > へんなところがあちこちあります。出版社に指摘したら、返事も来ませんでした。

    日経の旅名人ブックスに「上海歴史散歩」という本があるんですが、
    コレが、もう、間違いだらけ・・・
    出版社にメールにて指摘しましたら、
    ありがとうございました、増刷の際には訂正します、
    なんて返事が返ってきましたが、
    増刷されたのかどうか、その後のことは、どうなったのか知りません。

    鸚鵡さんは、いつごろ北京に居られたんでしょうか。
    お住まいは、どの辺りだったんでしょうか?
    2011年05月06日15時53分 返信する

    RE: 北京の思い出話(その2)

    井上さん、おはようございます。
    昨日はありがとうございました。あまりの
    早い返信に驚いて早速こちらも返信の文章を
    書いたのですが、送信しようと思ったら消えてしまい
    ました。
    たぶん、そちらへは到着していないと思いますが、
    万一着いていたら、内容がダブっていても無視して
    ください。
    このブログ、始めたばかりでなれていないのです。

    私は、今回、北京になんだかんだ3週間近く居ました。
    > 野暮用があったので、全く、観光っぽいことはしませんでしたが、
    > 最終日に、国士監と雍和宮だけぶらつきました。
    > 北京の街並みは、どこも好きなんですが、
    > 特に好きなのは、この国士監の街並みと東交民巷ですね。
    > 雍和宮は、今回が初めてでしたが、規模の大きさにびっくりしたのと、
    > 入場門から本堂までの道筋の銀杏並木が素晴らしくて、感激しました。
    > 次回は、是非、秋の紅葉の頃に、ここに訪れたいなと思いました。
    北京には長く住んだのですが、最近は国士監のあたりには行っていません。
    横の南北の通りを時々車で通過するだけです。
    雍和宮も1990年代のはじめ以来、横を通過するだけです。
    20年くらい前には、歓喜仏でしたか、ちょっといやらしい
    仏様を拝み(=好奇心)にいきましたが、その後、かなりいやらしいのは
    公開されなくなった(?未確認)とかの噂を聞きました。
    いま、どうなっているか知りません。

    > ええ、横浜ですか。
    > 私も、横浜です。
    はい、神奈川区在住です。
    出身は東京都豊島区目白です。
    1974年から神奈川区ですが、その後、アメリカ、香港、
    北京などに住みましたが、また神奈川区に帰ってきました。

    > 私の北京初体験は、1984年の1月31日の夜でした。
    > 翌日の午前中は王府井をぶらつきましたが、
    > 色彩がないといいますか、皆さん、濃紺あるいはくすんだ深緑のコートを
    > 羽織っていまして、人だけはワンサカいるんですが、
    > 寒々とした風景に、へえ、コレが北京の銀座なのか、
    > と感慨深く、見て回りましたね。
    私は1979年に初めて上海と北京を訪れました。
    北京はやはり1月で、独特の空気に包まれ、まだ自転車が
    多かったですから、天安モンの前を多数の自転車がいきき
    するのを眺めました。

    > その後、3年弱、天津の塘沽というところで勤務しまして、
    > 北京には、3ヶ月に1回くらい遊びに来ました。
    > といっても、当時は、日本料理屋が3つあるくらいで、なんもなかったんですが、 レンタサイクルで、北京の街を走り回ったものです。
    > 建国門外は、友諠商店と、建国飯店となどが、北側にポツポツ並んでるだけで、 南側は、なんもなかったですね。
    塘沽ですか。何回か行きました。いつも車を運転して、昔の塩田や
    八カ国連合軍と戦った城のそばまで見に行ったり、要するに好奇心で
    本で読んだところを実際に確認しようとするものでした。
    今、産経新聞の北京支局にいる、矢板明夫さんはここの出身です。
    お母さんが残留孤児でお父さんは中国人、奥さんが台湾人という
    「国際人」です。中学生の時、日本に行きましたから、中国語は
    全く中国人と同じです。よく産経に署名入りの記事を書いています。

    > 日経の旅名人ブックスに「上海歴史散歩」という本があるんですが、
    > コレが、もう、間違いだらけ・・・
    > 出版社にメールにて指摘しましたら、
    > ありがとうございました、増刷の際には訂正します、
    > なんて返事が返ってきましたが、
    > 増刷されたのかどうか、その後のことは、どうなったのか知りません。
    この本は昨年の10月に改訂新版が出ているようですね。
    井上さんのご指摘が反映されたのでしょう。
    私の例ですと、昨年、今もやっているテレビ東京の「世界の街道を行く」という連続番組で、上海の「四川路」を紹介し、ここが戦前日本人が集中して住んだところで、ここにある「横浜路」という地名はあたかも、日本の横浜と関係があるかのように説明しました。ナレーションも「よこはまろ」とし、アップで「横浜路」の道路標識まで写したのです。
    こりゃまずいと思いテレビ局に手紙を書いたら、ディレクターという人が、この件は制作会社が説明します。上海の観光局にも確認している、とあたかも私の指摘が間違っているといわんばかりで、「下請け」に丸投げしたのです。その「下請け」の人からも電話はもらいましたが、お目にかかって話をしたいといったきり。それで終わり。視聴者からの番組の内容が間違っているとの指摘をこうして「処理」するのです。
    こういう大企業のCSRとかコンプライアンスはどうなってるのでしょうか。
    神奈川県の横浜は正字では「横濱」ですから、簡体字では「横滨」。ですから日本の横浜と上海の横浜は本来違う地名ですね。当用漢字化により表記がたまたま同じになっただけなのであって、上海の地名を「よこはま」と読むのだって適当とはいえないでしょう。
    あの番組を見た多くの視聴者は上海にはまだ日本ががんばっていた時代からの地名があるのね、と思うでしょう。明らかに番組はそういう意図をもって制作されているからです。
    私はクレーマーではありません。あまりにひどいものに限って意見を言うのです。間違った記述は伝播しますから、悪い影響を与えます。
    中国の観光ガイドブックなどにもひどいのがありますが。
    でも全般に中国の出版物は楽しいものが増えてきていますね。
    要は読む人が知識を持って読んでいけばいいのでしょう。

    > 鸚鵡さんは、いつごろ北京に居られたんでしょうか。
    > お住まいは、どの辺りだったんでしょうか?
    私は1990年の2月から、2000年の6月末まで北京にいました。
    長富宮公寓です。長富宮公寓では中で2回引越しをしましたが、一番の
    古株だったそうです。
    2011年05月07日09時17分 返信する

鸚鵡さん

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鸚鵡さんにとって旅行とは

書籍での知識の延長。

自分を客観的にみた第一印象

凝り性で知識欲のかたまり。

大好きな場所

北京。京都。

大好きな理由

歴史と文化の残存。

行ってみたい場所

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動かせます。

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