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  • 開封について

    開封は河南省の北東部、鄭州から72キロ、黄河のすぐ南に位置し,西安、洛陽,南京,北京と並ぶ中国の古い都の一つである。開封は2700年の悠久たる歴史を持っている。かつて7つの封建王朝の都として中国の歴史の表舞台に立っ

    開封の地名の由来については、春秋時代(紀元前770年から紀元前476年まで)遡らなければならない。当時、鄭の荘公という覇者は、現在の開封市の南20キロのところに蔵城を作り、ここを中心にもっと勢力を拡大しようという意味から「啓拓封彊」という4つの文字から「啓封」と名づけた。(前漢時代(紀元前202年から紀元前22年まで)になって、漢の景帝劉啓の名前を避けるために「開封」という名前に改められた。)前362年、秦に圧迫された魏の恵王は都をこの地に移し、大梁と呼んだ。前3世紀、秦の水攻めで衰弱し、地域の中心は南東の陳留に移った。

     隋の陽帝が開封を江南と結ぶ大運河通済渠を開くと、開封は一躍その重要性を増した。唐代には宣武節度使が置かれ(当時の王朝の東の駐在軍隊)、城郭も整備され、軍事的な性格も強めた。唐中期以後の動乱で長安,洛陽は荒廃し、運河の喉元にあたる水運の重要性から開封は国都として見直された。

     五代は後梁、後唐、後晋、後漢、後周などの五王朝は、907年から960年に渡って50余年、興亡を繰り返した時代である。その間、後の唐を除く四王朝がいずれも開封を都としている。

     紀元960年、後周の帰徳(地名)節度使趙匡胤が陳橋の変で天子となり、北宋時代が始まった。北宋は後周の大都城を都として東京と称し、中国のほぼ全域を統治した。北には満州を本拠とする契丹族支配下の遼が虎視眈々として南下を狙っていたが,国内的に強固な中央集権の政治によって平和の世が保たれていた。その後の百六十年間が開封の全盛期であった。世界でも有数な大都会となり、人口は百万を超え、その生活を賄うため、東山より五丈河、河南より蔡河、金水河、そして、江南とせん西省をつなぐべん河の四大運河がすべて開封城内に導入された。

     北宋時代の繁栄振りは孟元老の「東京夢華録」に詳しく、張沢端の名作「清明上河図」(現在北京の故宮博物院に国宝として収蔵されている。)に生き生き描写されている。

     北宋以後の開封はかつて金の都や元の南都としたことがあるが。繰り返しの戦争と黄河の度々の氾濫により、開封の昔の繁華と埃とともに地下に深く埋没されてしまった。(文物筋の調査によると、現在の開封城の下に明の時代の町があり、明の町の下に北宋の町があるという)観光業の発展に伴い、地下に眠っている財宝や遺跡はいずれ日の目を浴びるであろう。

    2008年11月05日10時34分返信する

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