鳩摩羅汁さんへのコメント一覧全9件
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何度も、そして久しぶりのご訪問ありがとうございます。
歳とっても気だけは若いドラゴンですが、やはり体力は確実に落ちていくようです。
ママチャリで近くの山へ出かけていましたが、しんどくなり最近はバイクに頼ってます。
楽ちんに加えママチャリで行けなかった遠方まで足を延ばせます。
フィリピンでは2,3百円を巡ってタクシー運ちゃんと戦っていますが刺激になっていいかもですね。
お金に困っている訳じゃないのですが貧乏癖が抜けなくてつい節約心が働いてしまいます。
海外へはリュック一つで行きますが、あちこち行くのが面倒になりビーチでのんびり派になりつつあります。
鳩摩羅汁さんのようにチベットや秘境にも行ってみたかったのですが、歳のせいか億劫になってきました。
これからも宜しくお願いします。2016年01月19日21時42分返信する -
鳩摩羅汁さん、20回目のご訪問ありがとうございます。
こんばんは、arfaです。
鳩摩羅汁さん、旅行記は?突然リセット、そしてアクセス0!何か事件でもあったのですか?
昔に比べて感動がなくなりましたよね、フィリピン、カンボジアと初めて行った頃の驚きも感動もなくなってきてインド、中東は何か別世界と私はやっぱり東南アジアがフィールドなんでしょうね。
おそらくはかつての自分の生きていた古き良き時代。こんなものを東南アジアに求めているのだと思います。
インドはそれなりに、中国もそれなりに魅力はあるのですがヨーロッパ、アフリカ、中東はやはり別世界。懐かしい気持ちになるのが東南アジア。
そんな気分の私です。
またお越し下さい。21日からはとりあえず香港、あとは風任せで4日間ですが行ってきます。2007年12月18日22時31分返信する -
ありがとうございました♪
深夜特急見ました〜。
あと蔵前さんの著書やその他もろもろ。
でもへたれトラベラーのワシは完全なバックパッカーになれずに中途半端な旅をもそもそしているうちに辛い旅ができないお年頃になってきちまいました〜笑。
でもそんなTV番組を見ていると心細くてひとりペソペソ泣いたバンコクの夜とか。。。。いろいろ思い出してしまいます。笑。
それもまたいい経験でした。
旅はいいですね〜。
旅をしてはじめて自分の無力さを痛感したりしますね〜。
そんなことに気付いたりしながら少しづつ人としてのステージが上がればと思っていますです。はい。などどいいながら進歩の無い自分にも気付きます。笑。2007年10月12日18時10分返信する -
1971年の旅
鳩摩羅汁さん
1971年の欧州旅行記をご覧いただき、コメントをありがとうございます。
私は往路は羽田―ハバロフスク―シベリア鉄道でモスクワ、レニングラード経由ヘルシンキ。
帰路はウイーンーワルシャワ経由モスクワー飛行機ハバロフスクー列車ナホトカー船で横浜。
のルートをとりました。日ソツーリストのアドバイスでルートを決めたのですが、帰路が鳩摩羅汁さん
のとられたルートとほぼ同じだろうと思います。
1年半もヒッチハイクされ、デンマークでヒッピー族と生活されたとは、経済的に厳しい毎日だったでしょうが、素晴らしい体験をされましたね。若いときは何でもできますね。
私は66日の短いたびでしたが、北欧ではレストランで働いている日本人青年やユースホステルに長期滞在する日本人青年などからずいぶん情報をもらいました。
今思えば1年くらい皿洗いしながら旅しておけばよかったと思っています。
この旅が忘れられず、35年後の今、昨年は中南米110日間、ヨーロッパ89日間、寝袋を持って、駅で寝たりユースホステルで若者と情報交換したりしながら気持ちだけは1971年に戻ってバックパッカーの旅をしました。
1971年の経験で旅中毒になってしまい、ずっと旅を続けています。1971年の旅が私の人生観を変えたのは鳩摩羅汁さん と同じです。
今日は1971年にヨーロッパで出会った若者と日本で再会したようで、とても懐かしく嬉しいお便りです。これからもよろしくお願いします。
*嬉しいお便りをありがとうございます。鳩摩羅汁さんのご体験も旅行記などでもっと教えていただければ嬉しく思います。2007年03月14日09時38分返信するRE: 1971年の旅
昔の海外旅行は今と違って気軽に出来なかったですね・・・まして未成年者の私にとってはパスポートの申請から大変でした。まず第一に親の同意書が申請書用紙にあり、そして旅行会社の旅行引受け書を提出しなければ受理してくれませんでした
やっとパスポート(一次旅券のみ)が手に入ったら、銀行にパスポートを持参して1000$(1年間に)しか両替してくれませんでしたね。パスポートの後ろのページに$の購入した記載欄がありましたね。その上、イエローカードも必要でしたね。そんな時代に同じ異国の地ですれ違ったかも知れない旅人と出会うなんて??
今みたいに旅先で奇遇ですな〜なんて言っている時代からみれば昔の旅はロマンに溢れていますね・・・・・???
私のパスポートも6冊目に入りました。もうすぐ更新ですが年のせいかバックパッカーの旅は体に堪えます・・・・
さすらいおじさん(オット失礼、私も放浪おじさんですね)のパワーを貰って放浪の旅でもしたいですね。そしてお互い旅の茶飲み話に華を咲かせましょう・・・・
2007年03月15日00時31分 返信するRE: 1971年の旅
鳩摩羅汁さん
当時の1000ドルー36万円は大金でしたね。
私は有り金全部はたいて400ドルがやっとでした。
私は成人でしたが、パスポート、ビザ、イエローカード、換金、ソ連のバウチャーの手続きなど出国の手続きも大変な時代でした。
海外に行く人がまだ珍しがられて、餞別をもらったり、駅や空港に見送りに来てくれる人もかなりおられて、戦争に出征するような緊張感もありました。
今はパック旅行なら国内旅行なみの気軽さで海外旅行を楽しめる時代になりましたね。
2007年03月15日08時42分 返信する -
あ、ゴメンナサイ。
やっぱりクマラジューとお呼びするんでしょうか。2006年05月09日01時51分返信するRE: あ、ゴメンナサイ。クマラジュウについての話
鳩摩羅什とはインドの仏教の経典を中国語に翻訳した中国人の僧侶で有名な般若心経があります。(NHKの番組よりパクリました)
今風の訳のわからない人物(私も含めて)では有りませんのでご安心下さい。アハハハ???????
所でプートン空港では大変でしたね。arfaさんの行いは正解です。
中国では自分にたとえ非があっても押し通す事が肝心です。
中国人でも絶対にそうした筈です・・・・・・
そんなお国柄ですから職員も折れたと思われますので決して太っ腹な東方航空では有りませんので堂々としていて下さい。
ただし、この手は絶対に公安に対しては使わないことです。
以前、街中で見た光景ですが公安に何の行為で注意を受けていたか判りませんが公安から怒突き廻されてもその人は、直立不動の姿勢は崩しませんでしたよ。
間違っても中国のお上に逆らわないことです。外国人でも容赦ありませんよ。
中国人、曰く・・・・・
国には政策あり、人民には対策あり、の精神で私たちも行きましょう。
2006年05月09日22時15分 返信するRE: RE: あ、ゴメンナサイ。クマラジュウについての話
今、全部一応アップし終わりました。フー。
クマラジューは色即是空とか有名な漢訳をされた漢族に滅ぼされたナントカ族の王子で僧侶ですよね。ご自分は破戒僧であると一生悔いられたようですがSEXしなければ同族の王女を殺すと脅され1カ月も苦しめられたそうですから今で言えば正当防衛でしょう。
以前ウチの親父としゃべっていてクマラジューを知ってたんで驚いたことがあります。
飛行機の乗り遅れも実は4回目なのである程度は慣れたもんです。渡航暦も30回を越すのでこんなこともありますよね。
1回目は朝6:50分の便でリパからマニラへ向かう途中のナガから来る道との3差路でタンクローリーが横転。1時間遅れの空港到着となりましたが事故のニュースが入ってたらしくまだ係員がいて男性係員「ユー、ナリタ?」私「ノー、オーサカ」、女性係員「オーサカ、クローズ!」私、男性係員に「チェンジ、ナリタ」男性係員「……」、私「ハリイング、ユー!」男性係員「イエス、オーケー」と手書きでナリタと書き直し。振り向くも女性係員「ジャストナウ、ナリタクローズ!」の金切り声。このときは当日帰国したかったので町へ出てタイ航空の格安を買って翌朝4時に寝台特急にて当時の住所広島到着でした。
2回目はカンボジアのポチェントンに向かう途中、道路が封鎖されマレーシア国旗の外交団が空港から市内へ向かうのに遭遇。このときは半日遅れの便に振り替えてもらい帰国。
3回目は酔っ払いの先輩が「ええんじゃ時間は」と居酒屋で長居し、定刻を過ぎて羽田到着。この時も係員を突き飛ばし、タラップを走るとドアを開けてくれてなんとかセーフ!でした。2006年05月10日00時20分 返信する -
Re:インドには再訪したい派か2度と行きたくない派か?
こんばんわ、もう2冊くらいインドはアップします。温度より熱波で水分を吸い取られスイカとミカンとオレンジジュースという病人みたいな食生活で3日過ごし上海で海鮮ラーメンにありついたときはホントに涙が出るほど美味しかったです。インドでも面は屋台で見かけるんですが見るからにカレー味みたいで食べる気になりませんでした。
ブッダガヤではベジタブルサンドウィッチを頼んだのがインドの最後のまともな食事になりました。でも食べてるうちに乾燥してきてパンが反っていき野菜が落ちるのには驚きました。
カレーが嫌いなわけではないのですが(手で普通に食べれます。)こに時期にはちょっときつかったです、カレーの匂いだけでえずいてしまいました。
又の機会に行きそびれた場所を辿って見るつもりです。ただし、晩秋に。
南インドは人口的にはインドの2割(でも2億人か)しかいないので余裕があるんでしょうね。
来年はパキスタンからアフガンの予定ですがフンザの状況しだいです。2006年05月09日01時50分返信する



