台湾史最大の抗日事件
- 5.0
- 旅行時期:2024/02(約10ヶ月前)
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by bluejaysさん(男性)
霧社 クチコミ:1件
霧社事件は、かつて首狩りをしていたセデック族を日本が文明化に成功したと考えていたのを、根底から覆した。セデック族は自分たちの誇りや文化を否定され、差別に甘んじていた。マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを首魁として彼らは1930年10月27日、学校の運動会に集う児童や父兄を、君が代演奏を合図に襲撃した。彼らは日本人だけを対象に首を刎ねたが、和装した漢人も犠牲になった。
謀議を通報・鎮圧すべき立場にあったセデック族の巡査花岡一郎と花岡二郎(血縁関係にない。苗字は花岡山に由来)は、日本への恩義と部族への忠誠の板挟みに遭い、自殺した。一郎夫妻(ともにセデック族)は、和服を着て切腹。故郷を焼かれ逃亡したセデック族の女たちは、行き場を失い、巨木で首を吊ると巨木となって故郷に生まれ変わるという信仰に基づき、自殺した。顔が天を向いていると生まれ変われないと信じられていることから、花岡二郎以外の全員の顔に布がかけられていた。これは二郎が最後に自殺したことを意味する。
霧社事件を描いた台湾映画「セデック・バレ」は、前・後編に分かれ4時間30分の大作だが、飽きずに見られる。花岡二郎夫人の高山初子はセデック族だが、日本語に通じた漢人のビビアン・スーが演じた。彼女は運動会当日、和装して学校に来ていた。
安藤政信演じる小嶋源治は、原住民に理解のある人として描かれている。彼は霧社事件で次男の命を失ったが、セデック族の子である中山清を匿った。これは史実である。中山清は後に医師となり、高永清と改名し最後には議員にまでなって、霧社事件に関する著書も残した。二郎未亡人の高山初子は高永清と再婚し、高彩雲と名乗った。
事件後、セデック族は故郷を追われ、川中島に強制移住させられる。セデック族と歴史的に敵対してきた部族は、日本に協力し「味方蕃」と呼ばれたが、小島は彼らを煽動し川中島を襲撃させる「第二霧社事件」をひき起こし、1936年に罷免されたが、映画では語られていない。
霧社は小さな町だが、バス停の向かいにセブンイレブンがある。かつては多くの日本人が暮らしていたが、今はその面影もない。バス停から南へ200メートル行くと莫那魯道紀念公園がある。モーナ・ルダオは戦闘の途中で逃亡し行方不明になり、後に遺体が見つかったとして、博物館で晒し者にされていたが、故郷のこの地に埋葬された。彼の墓と彼の像の間に「無名戦士の墓」があり、この近辺で見つかった30人ほどの身元不明の遺体を埋葬している。
そこから南へ400メートル先の電力会社が、学校跡であり「霧社事件発生地」碑がある。
そこから南へ70メートル行くと、日本人墓地跡がある。階段だけが残っていて、かつてはその上に霧社事件の犠牲となった日本人の巨大な慰霊碑があったが、撤去されて荒地になっている。戦後台湾を統治した国民党政府は、モーナ・ルダオを抗日の英雄として持ち上げ、日本人慰霊碑を撤去した。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 南投客運干城站からバス、埔里で霧社行きに乗り換え
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2024/04/03
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