奇跡の年1905年を含め3年間滞在。特殊相対性理論,ブラウン運動,光量子論,
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- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by shokusaihinkanさん(男性)
ベルン クチコミ:1件
「あなたの教え子が日本で初めて紹介したあなたの論文「相待原則ニ於ケル時間及び空間ノ観念(1911年桑木雄)」を見ました(注:東京物理学校跡地の近代科学資料館の“アインシュタイン展 一般相対性理論100年 -アインシュタインの業績と人となり”に展示されていました)」
アインシュタインが特殊相対性理論他の論文を執筆したアインシュタイン・ハウス。一度は受験に失敗したチューリッヒ連邦工科大学にも入学し、1900年に無事卒業。同時に数学・物理の教員資格試験にも合格。
大学に残ることなく社会に出て仕事のかたわら論文を執筆。
1902年にはベルンのスイス特許庁に就職し安定した生活の中で仕事と論文執筆に励む。
1903年に結婚したアインシュタインは当地“Kramgasse 49”すなわち「アインシュタインハウス」へ引越す。
この部屋で彼は「奇跡の年」と称される1905年を含め3年を過ごした。
1905年(26歳)に「【光量子論】光の発生と変脱とに関するひとつの発見法的観点について(3月)」※(1921年ノーベル賞受賞対象論文)、「【ブラウン運動】静止流体中に浮遊する粒子に対し熱の分子運動から求められる運動」(5月)、「【特殊相対性理論】運動する物体の電気力学(6月)」、「物体の質量はエネルギーに依存するか?(9月)」、そして「分子の容積の新しい決定(博士論文)」の5つの論文を連続して発表・提出した。
特に特殊相対性理論はベルンの天文時計台の針が移動するバスから見ると不動に見えたことがきっかけとなっている。
質量とエネルギーの関係式である E=mc² はこの部屋から世に出された。
感動した。
その他詳細は https://wp.me/p66ssl-pPU
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 社員・団体旅行
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2019/11/02
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