北から南へ領土を移した百済の王宮、城壁のみ残っています。
- 4.0
- 旅行時期:2016/02(約8年前)
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by 中国の風景さん(男性)
公州 クチコミ:1件
この度世界遺産に認定された百済歴史遺跡地区には計8件の遺跡で構成されている連続遺産です。その内の一つが1・公州公山城(コンジュ・コンサンソン)です。
■中期 熊津(公州)時代(475年 ~ 538年)
第24代東城王は、新羅、倭国(日本)との関係を密にし、南へ領土を移し 、百済王権と国力の回復に成果を挙げる。第26代 聖王は、高句麗からの攻撃を受け、538年、都を熊津から、南の泗比(サビ)、今の扶余へ遷都しました。
公州公山城観光 公山城(コンサンソン)は百済時代には熊津城(ウンジンソン)と呼ばれていましたが、高麗時代以降に公山城と呼ばれるようになりました。標高110mの公山(コンサン)の頂上から西側の峰までを囲む山城で、城の周囲は2,450mになります。公山城は歴史的な価値が高いこともさることながら、夜景が美しいことでも知られており、多くの観光客が訪れています。王宮は高句麗からの攻撃を受け燃えてしまいましたので建物は何も残っていません。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- ツアーバスで行く、市街地に隣接
- 展示内容:
- 3.0
- 城壁が残る
クチコミ投稿日:2016/03/04
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