旧満州国の政治の中心 儚く消えた夢の跡
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- 旅行時期:2012/04(約14年前)
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by ナツメロ大王さん(男性)
吉林省 クチコミ:1件
1932年「満州国」の建国に伴い、かつて高粱畑であった場所にこれまで見たことも無いような近代的な街が生まれました。1905のポーツマツ条約を経て譲渡された東清鉄道南支線(満鉄)とその沿線を附属地として整備するところから始まった新京の街づくりも、この「満州国」の首都となったことで、さらに大規模かつ先進的となって行きました。
そうした中で、アジア初と言われる100%の水洗トイレ普及率、上下水完備、主要道路での電線の地中埋設化などが行われました。強い意志を持った先人が居たということでしょうね。
当時の街づくりの中でも、皇帝溥儀の住まいとして建設されていた皇宮とそこから南に延びる順天大街(現在の新民大街)は、国家の中枢として堂々たる建築が建ち並ぶ場所となりました。1938年に落成したここ旧満州国国務院は、まさに国家の威信をかけて造られ、張景恵国務院総理が関東軍の干渉に苦しめられながら執務した場所でもあるのです。
「五族協和」を旗印に掲げながらも、それに忠実に国造りを行おうという理想に燃えた人ばかりではなかったことが、満州国を巡る様々な軋轢を生んでいったのでしょう。
そうした儚く消えた夢の跡をたどる場所だと思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2014/11/25
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