生々しい銃撃戦の傷跡が目の前に
- 5.0
- 旅行時期:2011/09(約14年前)
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by kobusakuraさん(女性)
大連 クチコミ:39件
旅順巡りの中で、ある意味もっとも印象深かった場所。
「東鶏冠山北保塁」において、かなりの銃撃戦が行われたことは壁面の銃痕を見れば一目瞭然。
この保塁はロシアが8年もの歳月をかけて作った大要塞。日本軍はこの保塁を1904年8月2日に攻撃開始し、同年12月18日に占領する。その間、旅順で指揮を取っていた、ロシア陸軍防御司令官コンドラチェンコが戦死する。旅順の英雄と言われた彼の戦死が、この戦況に大きな影響を与えたと言われている。
保塁に向けて日本兵が銃を構えた場所は、すぐ向かい側にある低い丘の上。対して保塁側には小窓があり、その穴から銃口だけを出し、日本側に撃ち込んだ。その距離の近さを見ると愕然とする。いったいどれほどの日本兵が亡くなったのだろう。
旅順は外国人に公開可能な範囲の拡大を2009年12月に行っているが、この「東鶏冠山北保塁」は、それ以前から公開されていた3箇所のうちのひとつ。
悲惨な戦場の状況をリアルに思い起こさせる、貴重な資料ともいえるだろう。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2013/03/10
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