最盛期はデルフィと同時期、紀元前88年に破壊され今は無人島、ミコノスからガイドツアーが便利
- 5.0
- 旅行時期:2012/07(約12年前)
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by 地中海人さん(男性)
ディロス島 クチコミ:1件
南北5キロ幅1.3キロのディロス島は、ミコノス・タウンから西2.5キロにあるが、船着場は西側にあるため、船でぐるっと回り込み30分かかる。
ツアーを申し込み、ホテルの車でミコノスタウンの北タクシー乗り場近くまで送ってもらい、ディロス島行き大小2隻の船が停泊している専用埠頭にあるチケット売り場へは海沿いに徒歩で迷うことはない。
そこでホテルからもらった引換券を渡し、往復チケット代わりの英国国旗ワッペンをもらって、午前10時発の大きな船に乗る。ほとんどがツアー参加者である。仏国旗が目立ち、ドイツ国旗は少ない。
ディロス島は神話にも登場し(「アポロンへの讃歌」)、レトがゼウスの子アポロンとアルテミスを生んだ地と言われているところからも、島の歴史は先史時代にさかのぼり、最盛期はデルフィと同じく、ヘレニズム期とされ、最大人口3万人。
ローマ時代には更に商圏が広がったため奴隷売買1日最大1万人といわれ、シリアやエジプトからも商人が住み着き、キントス山の近くには館と神殿も構えた。
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%A4/ 詳細は]
ガイドは1時間以上、広い古代都市跡の中から各時代の主なところ、アポロン神殿、デロス同盟の金庫跡、アンティゴスの柱廊、今は埋め立てられ草が生い茂る聖なる湖、ローマ人のアゴラ、仮面の家などを廻り、暑い中熱弁を振るう。
「誰も生まれてはならず死んでもならない」とお触れが出たのは、アテネ全盛の紀元前425年。紀元前88年に同じギリシャ系のポントスに略奪破壊され、その後一時的にキリスト教信者が少数住んだ時代もあったが海賊に襲われ無人となったいう。
「旅名人ブックス39 ギリシャ・エーゲ海」(日経BP)通りの解説なので、これを読んだ方は、ガイド無し地図のみで回れます。
解散後、博物館内にあるライオン像の原物などを見てまわる。
隣のカフェでジュースと果物で休憩後、シリア、エジプト人の館、神殿跡を通り、標高110mのキントス山に登った。
頂上に至る道の踏み石は光り輝く。月夜に天に通ずる一筋の道標、あるいは、アポロンが地上に下る道として奉げたのであろうか。このときの気分は音にすると[http://www.youtube.com/watch?v=NRTS5qA51js]
ゼウスの神域である山頂(写真)で、360度エーゲ海を見渡し、同行者は歓声を上げた。
デルフィと同じくここも、仏考古学者が19世紀に研究発掘に携わった。(今もアテネに研究所がある。アテネには17ヶ国が研究所を設置している。)
紀元7世紀頃から無人。現在管理人及び研究者のみの模様。
滞在時間4時間半。
もう来ることは無いだろうと名残を惜しみつつ、午後3時の最終便で帰る。
ほとんどの方は午後第2便で帰った。最終船は小型、一人旅の方が多く乗客数十人、一人は研究者らしく十数人の見送りを受け、3人は隣の島からモーターボートでやって来て船員に乗せてくれと交渉妥結。
小さな船でかなり揺れた。
現在1日3往復
往 9時 10時 11時
復 12時 1時30分 3時 往復17ユーロ
ディロス島ツアーは、ホテルで申し込み、ホテルからの送り、船往復(帰り自由で、チケットのチェックはありません)、英語徒歩ガイド(約一時間)、遺跡入場料(5ユーロ)込み全部で40ユーロ。
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2012年7月7日(土)訪問。
2012年5月にもミコノス島訪問したが、5月6日(日)ギリシャ総選挙、7日(月)は遺跡休みで訪問を果たせなかった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間:
- 半日
クチコミ投稿日:2013/02/13
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