紀元前10世紀から今に残る古代の町リンドスのアクロポリス
- 5.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
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by 地中海人さん(男性)
ロードス島 クチコミ:4件
エーゲ海文明が消滅した後の紀元前10世紀ごろ、ロードス島には、ドーリア人が作った三つの都市がありました。紀元前5世紀末には統合されロードス市が作られたといわれています。
その一つの、ロードス島東岸にある古代都市リンドスは、今、素晴らしい海水浴場がある観光地です。 冬季は町はずれまで、夏季は町の上を通る街道にある大駐車場まで、ロードスシティからバスで1時間20分。
町の入り口には夏季はロバが数十頭待ち構え、アクロポリスまで客を運ぶ。ビーチとアクロポリスの間の傾斜地に、白い家々、ペンション、タベルナ、カフェ、夏季はたくさんの土産物屋さんが店を開いている。
車が通れない細い曲がりくねった道を10分もゆっくり上ると小さな門があり、入るとすぐのところにガレー船のレリーフがあります。リンドスは良港に恵まれ、また地の利もあり、交易でたくさんの船が行き交い、富をもたらしたことでしょう。
サモトラケのニケ像(ルーブル美術館所蔵)の作者ピュトクリスが彫ったといわれています。
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B9/ 詳細は]
アクロポリスは、天然の要塞として古代ギリシア、ローマ帝国、東ローマ帝国、聖ヨハネ騎士団、オスマン帝国が利用してきた歴史があります。イタリア占領時代若干修復された模様です。
聖ヨハネ騎士団の城時代の南西端と西にある2つの塔が現存しています。ヘレニズム時代の柱廊、ローマ時代の神殿跡、ビザンチン教会、騎士団の部屋など、他と比べ比較的狭いアクロポリスにその後の歴史が重なっています。
神殿跡の列柱が数本。アテナ・リンディア神殿跡は、紀元前4世紀頃に立て直したものの跡。
紀元前5世紀末に古代都市3つが統合され古代都市ロドスが築かれたのですが、その後もここは宗教的には聖域としてギリシャ中に名を轟かせていたようです。
村はずれの小学校では行進する数十人の子供達。1日ロードス・シティから日帰りで遊びました。
「ナバロンの要塞」の撮影地でした。ここから南西方向にクレタ島、南東方向にキプロス、真南は、エジプトです。
南側にも小さな入り江、浜辺が見えます。北側はリンドスの浜辺、ロードスタウンからの小さな観光船、観光客を乗せたロバが見えます。
「島の東側の崖の上にそびえ立つリンドスの神殿の跡に立ち、眼下に広がる地中海を眺めたならば、古の文明に思いを馳せないではいられないだろう。」と塩野七生さんも言っていますが、キケロ、カエサル、ブルータスも若いころロードスに遊んでいますので、ここからこの同じ海を見たに違いありません。。
2012年3月19日(月)無風、ブルースカイの下、誰もいないビーチを見下ろす岩のうえで、まどろむ。アクロポリスは月曜日休なのでご注意。
2012年10月16日(火)アクロポリス訪問
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交通機関
トルコ式市場西側にある東部バスステーションから1時間20分、5ユーロ。
夏季は、ロードスシティから船便多数あり。
夏季は町の上にあるバス停まで。そこから町外れバス停までシャトルバス(0.5ユーロ)
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1日
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/02/11
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