ポンペイ「秘儀荘」はどのように使われたのでしょうか?
締切済早めに!-
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by 真美ママさん
- Q&A投稿日:2009/11/06
- 1件
個人でまわったためガイド説明もなく、後日ネットで調べたところ・・
「当時はディオニュソス信仰が盛んで、女性の信者を中心として、日頃のストレス解消のためディオニュソスの神をたたえ、酒を飲み踊り狂う・・」というのを見つけました。
このようなことをするために、遺跡群から離れた場所に大きな屋敷を建てたのだろうか?だからあの大きな「ディオニュソスの秘儀」のフレスコ画があったんだろうか?なんて考えたのですが、正しい解釈はどうなんでしょうか?
ご存知の方よろしくお願いします。
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回答(1件)
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by kaz-ykさん(ポンペイでの回答数:1件)
- 回答日:2009/11/06
- 実体験:あり
真美ママさん 今日は
現地で購入したポンベイの本の一部を、紹介します。
ポンペイは、紀元前7世紀に集落が出来ました。
「秘儀荘」は、紀元前2世紀に建てられ順次増築されました。
西暦79年大噴火しましたが、「秘儀荘」は、現存し、農業会社の様です。
2階建ての大きな劇場風の建物で、事務所、調理場、パン焼き窯、葡萄酒絞り部屋、
浴場、倉庫、休憩室、小作人の居住場、中庭ーー完備しています。
壁には、沢山の壁画があります。その一部は、下記アドレスでご覧下さい。
- 参考URL:
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- 質問者からのお礼
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kaz-ykさん 早速の回答ありがとうございます。
「秘儀荘」の名前がちょっといわくありげで、勝手に想像したのですが、農業会社だったんですね。
だからあんなに大きく、部屋数も多かったんですね。
旅行記拝見させていただきました。
私が行ってないところの写真もあり、とても興味深かったです。
by 真美ママさん
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