江戸時代に朝鮮通信使が往還した「朝鮮人街道」 - 近江八幡・安土 のクチコミ
江戸時代に朝鮮通信使が往還した「朝鮮人街道」
- さすらいおじさんさん
- 男性 / 近江八幡・安土のクチコミ : 27件
- 旅行時期 : 2011/05(約15年前)
近江八幡市街を貫く「朝鮮人街道」は、中山道が上街道(かみ)であるのに対して下街道(した)、湖岸に近いために浜街道、家康が上洛に当たって通行したことから上洛道、京に通じているために京街道(京道)と様々な名称で呼ばれていたが、徳川家にとっては「吉兆の道」 であり、大名行列の通行も許されない特別な道だった。
朝鮮人街道の名の由来は、江戸時代に朝鮮通信使が往還したことによる。
日本と朝鮮国との国交は、文禄・慶長の役(1592・97年)で断絶していた。
家康はその修好回復を積極的に推進した。その結果、慶長12年 (1607)、朝鮮国から公式使節団467人が来日し、この街道を往還した。
幕府は朝鮮通信使を国賓待遇とし、近江を往還する際には中山道ではなく、「吉兆の道」の通行を認めたという重要な街道だった。
アクセスーJR琵琶湖線近江八幡駅北口下車 近江鉄道バス(長命寺または国民休暇村行)10分 小幡町資料館前バス停下車
- アクセス :
- 3.5
- JR琵琶湖線近江八幡駅北口下車 近江鉄道バス(長命寺または国民休暇村行)10分 小幡町資料館前バス停下車
- 人混みの少なさ :
- 3.5
- 見ごたえ :
- 3.0
- バリアフリー :
- 3.0
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