大阪・枚方の「渚院(なぎさのいん)の跡」の梵鐘(2007年5月2日) - 寝屋川・枚方・交野 のクチコミ
大阪・枚方の「渚院(なぎさのいん)の跡」の梵鐘(2007年5月2日)
- さすらいおじさんさん
- 男性 / 寝屋川・枚方・交野のクチコミ : 187件
- 旅行時期 : 2007/05(約19年前)
大阪・枚方の「渚院(なぎさのいん)の跡」の梵鐘(2007年5月2日)
大阪・枚方には「渚院(なぎさのいん)の跡」がある。平安時代に文徳天皇(もんとくてんのう827?858年)の第1皇子惟喬親王(これたかしんのう、844?897年)の別荘であった渚院の跡の史実は明確だ。惟喬親王は第1皇子でありながら、母が紀氏の出身であったことから文徳天皇は母が太政大臣藤原良房の娘、女御明子であった第4皇子、惟仁親王(これひとしんのう850?880年、後の清和天皇)を皇太子に指名した。天皇になれなかった失意の惟喬親王は859年に15歳で東近江市(町村合併前は永源寺町君ヶ畑)に出家し隠遁。春には渚院を訪れ交野ヶ原で在原業平 (ありわらのなりひら825?880年)らと狩猟や花見をして心を和ませようとしたそうだ。
渚院の跡には1796年には観音寺が建てられていたが、1870年に廃寺となり、現在は鐘楼と梵鐘が残っている。梵鐘は河内惣官鋳物師枚方田中家の作で、1796年の鋳造。田中家鋳造の梵鐘としては、市内に残る唯一のもので1996年に廃渚院観音寺鐘楼梵鐘として有形文化財に指定されている。
田中家は枚方(ひらかた)の地で河内鋳物師として、梵鐘・灯籠をはじめ鍋・釜・鋤・鍬などを鋳造していた。
1960年頃廃業したが、江戸時代中期に建てられた鋳物工場は1973年に大阪府の有形文化財に指定され、その工場と主屋の寄贈を受けた枚方市が、藤阪に移築復元し1984年に、枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館として開館している。
「なぎさの院」は京阪電鉄・御殿山駅から徒歩10分弱。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159620/
(写真は「なぎさの院」の梵鐘)
- アクセス :
- 3.0
- 人混みの少なさ :
- 4.0
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する

