最後の日本式の城
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- 旅行時期:2022/04(約4年前)
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by taktak99さん(男性)
五島列島 クチコミ:10件
石田城は、江戸時代末期に築かれた福江藩主五島氏の城。
江戸時代に完成した日本式の城としては、最後とされる。
1614年、五島氏の当時の居城であった江川城が焼失すると、藩庁は石田陣屋に移された。
五島氏は新城の築城を幕府に再三申請したが、許可が下りず、城持大名にも拘わらず200年に亘って陣屋で政務を執った。
幕末の1849年、異国船を監視して海上防衛に備えるとの目的で、第10代藩主五島盛成の代に築城が認められる。
経費削減の観点から、全く新しい場所に城を築くのではなく、それまでの石田陣屋の地に築き直す、という手段を選んだ。
財政難や、海沿い特有の問題もあり、竣工までに14年の歳月を要したが、富江藩等からの資金援助もあって、1863年に第11代藩主盛徳の代で漸く完成した。
しかし、それから僅か4年後に明治を迎え、役目を終える。
明治になると、三方を海に面していた城は、周囲の埋め立てにより海に面しなくなってしまった。
現在、本丸跡に長崎県立五島高等学校、北の丸跡に五島観光歴史資料館や五島市立図書館、五島市福江文化会館が建てられ、往時の姿を今に伝えるのは二の丸跡の五島氏庭園のみとなっている。
五島氏庭園は現在国の名勝に指定されている。
また、庭園に面する屋敷(隠居所)も見所。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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クチコミ投稿日:2024/04/07
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