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江島杉山神社

寺・神社・教会

江島杉山神社 施設情報・クチコミに戻る

杉山和一は視覚障害者の生活の安定や地位の向上に多大な影響を与えた人物で、ここに祀られています。

  • 4.0
  • 旅行時期:2023/12(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

両国 クチコミ:29件

「江島杉山神社」は、墨田区千歳1丁目にあります。。「江島杉山神社」へのアクセスは、都営新宿線「森下駅」のA2出口を出て、右方向に190mほど直進します。二つ目の信号(表示名「新大橋」)を右折し、460mほど道なりに直進すると右手に「江島杉山神社」の石鳥居があります。
「江島杉山神社」は、墨田区千歳にある神社で、神奈川県藤沢市「江島神社」の「弁財天」の御分霊を祀っています。また、その弁財天を深く信仰した「杉山和一」を併せて祀っています。「江島杉山神社」の歴史を紐解いてみると、「杉山和一」は三重県津市の武家の生まれでしたが、幼少期に病により失明し、身を立てるために鍼術を志しました。江戸の「山瀬琢一」に入門しましたが、技術が向上せず師の下を破門されてしまいます。しかし、目の不自由な自分が生きるために何かを成さねばならぬと江ノ島弁天の岩屋に籠り、七日七夜の参籠をしました。満願の日に、外に出ると大きな石に躓いてしまいましたが、何か手に刺さる物があり探ってみると、筒状になった椎の葉に松葉が包まれていました。「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」と開眼しました。こうして、現在の鍼治療の主流である管鍼術が誕生しました。躓いた石は「福石」として本社「江島神社」に祀られています。その後京都の「入江豊明」の下で更に鍼術を学び、江戸で開業すると、その噂は瞬く間に広まり、鍼の名人として有名になりました。この「杉山和一」の名声を聞いた5代将軍「徳川綱吉」が、「杉山和一」を「扶持検校」として召し抱え、日夜自身の治療にあたらせました。「杉山和一」は、寛文10年(1670年)1月に、61歳で盲人最高位の役職に就き「鍼治講習所」を開きました。「鍼治講習所」においては、「杉山和一」は、多くの弟子に鍼・按摩技術を教育し職業の確立を進めた世界初の盲人教育の場でした。元禄5年(1692年)5月9日に5代将軍「徳川綱吉」から総検校に任ぜられました。元禄6年(1693年)6月18日に5代将軍「徳川綱吉」から、本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜わり、翌元禄7年(1694年)には荘厳な「社殿」が建立されました。震災戦災により二つの社殿は焼失しましたが、昭和27年(1952年)に合祀し「江島杉山神社」となりました。「杉山検校」の墓は立川の「弥勒寺」にあります。ちなみに、「検校」とは、盲人の役職である盲官の最高位の名称で、また、盲人の自治的互助組織を当道座と呼び、その最高位は「総検校」と呼ばれました。「総検校」は、音楽の演奏や作曲で活躍する者、鍼灸・按摩の技術が優れたものが選ばれることが多かったそうです。
それでは、さっそく参拝したいと思います。ここで、注意しておきたいのが、西側の「石鳥居」からが正式な「表参道」です。私も当日に最初に「安兵衛公園」へ行ったので、間違えて南側の「石鳥居」の参道から入ってしまいました。どうりで正面に「社殿」がなかったはずです。それなので、西側の「石鳥居」から入りなおしました。「江島杉山神社」と記された社号碑が「石鳥居」の前にあります。その手前には、手前には「杉山和一記念館」と「杉山鍼按治療所」かかれた看板があります。「杉山和一記念館」は、平成28年(2016年)に、「社務所」があった場所に「社務所」兼「杉山和一資料館」が完成したものです。
そして、「参道」を進むと、「参道」が交差するあたりに「二之鳥居」があり、右手に「杉山検校」の石碑があります。私も初めてみましたが、大変めずらしい点字の石碑で、一説には、世界に一つしかない「点字の石碑」だといわれています。この石碑は、大正15年(1926年)に、「杉山和一」に正五位が追贈されたことを記念して建立されたものです。
次に、「二之鳥居」を潜ると右手に「手水舎」があります。さらに、「手水舎」の裏手には、「銭洗所」と「銭洗弁財天」、「美玉洗」があります。まず、手前にあるのが、「銭洗所」で、その奥には平成26年(2014年)に安置された「銭洗弁財天像」があります。さらに奥には、「授与所」で授与される「勾玉」を洗う「美玉洗」もありました。「美玉洗」のところには、説明板があり、「美玉洗 授与所でお頒している 勾玉をお水で清め 美と長命を祈り 御守りにしてお持ちください」と書かれていました。
また、後戻りして、南側の「石鳥居」をくぐると「弁天池」があり「太鼓橋」を架かっていました。「太鼓橋」の手前から見る「社殿」は、なかなか風情があって印象的でした。「弁天池」と「太鼓橋」は綺麗に整備されていて、何と「太鼓橋」は渡ることもできます。本当に小さな池ですが、「太鼓橋」から見る風景は、心と目を癒されました。「弁天池」の一画には墨田区内最重量の「力石」もありました。文化12年(1815年)に奉納された「力石」で、九拾三貫(約349kg)と刻まれていました。
そして、「太鼓橋」を渡ると正面には、「社殿」があります。昭和27年(1952年)の再建の際に、「江島神社」と境内社「杉山神社」が合祀されました。「社殿」の前の右手には、説明板があり、御神徳として、福徳円満、芸能上達、学業成就、そして、「杉山和一」を祀るせいか、他の寺社では見られない「鍼灸按学術上達」の御利益があるのが興味深かったです。
「社殿」の右手奥には境内社である「杉多稲荷神社」があります。朱色の「鳥居」の奥には小さな祠と小さな神狐像がありました。
「弁天池」の奥にあるのが、ミステリーゾーンの「岩屋」です。ただの洞窟かと思いきやこれが予想外でした。まず、奥に続くのが「岩屋」への道の入口に、寛政8年(1796年)の銘が刻まれた「いわやみちの碑」がありました。現在の「岩屋」は、慶応2年(1866年)に造立され、昭和39年(1964年)に破損していた「岩屋」を修復整備したものです。「岩屋」の内部には「杉山検校像」、「宗像三女神」、「人頭蛇身の宇賀神像」が祀られていました。まず、正面に祀られているのが、柔和で優しい表情をしている「杉山和一検校」の石像です。「杉山和一検校」の石像の右手には、「宗像三女神」の像があります。「宗像三女神」は、「宗像大社」(福岡県宗像市)を総本社として各地に祀られている女神たちのことです。向かって右にあるのが「多紀理比売命」、中央にあるのが「市杵島比売命」、左にあるが「多岐津比売命」です。「岩屋」内は薄暗く、「宗像三女神」も少々劣化しているので見分けにくいかもしれません。「杉山和一検校」の石像の右手には、人頭蛇身となった「宇賀神」の石像があります。そして、それぞれの像の前には、最初はこよりかお線香化と思いましたが、小さな蛇の置物が多数置かれていました。帰り際に「社務所」に立ち寄ってみると、「社務所」で頒布しているもので、参拝者が願い事を込めて「岩屋」に奉納するものだということでした。

01_【「江島杉山神社」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒130-0025 東京都墨田区千歳1丁目8-2 電話:03-3863-1308
⑵ 「江島杉山神社」の概要
①社号…江島杉山神社 ②御祭神…江の島弁財天(市杵島比売命)、杉山和一総検校

02_【「江島杉山神社」へのアクセス】
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩10分700m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5出口から徒歩13分900m
⑶ 都営新宿線「森下駅」A2出口から徒歩9分650m
⑷ 区内循環バス「すみだ百景すみまるくん・すみりんちゃん」で「江島杉山神社入口」下車し徒歩3分

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
都営新宿線「森下駅」A2出口から徒歩9分650m
人混みの少なさ:
4.0
参拝客は少しいましたが、混雑してはいません。
見ごたえ:
4.0
岩屋など洞窟探検できるおもしろい旧跡もあります。

クチコミ投稿日:2024/01/19

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