明治時代になると・・・
- 4.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
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by チュンチュ319さん(男性)
柳川・大川 クチコミ:4件
5代藩主立花貞俶が側室や子息たちの住まいを柳川城南西部の土地に移し、この場所は「御花畠」と呼ばれ、親しまれるようになり、現在の屋号「御花」となったようです。明治時代になると立花家は伯爵家となり、「松濤園」「西洋館」「大広間」など現在も残っていました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2023/05/03
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