戦国時代初期,相模三浦一族の滅んだ新井城跡
- 4.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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by UD&BFさん(男性)
三浦海岸・三崎 クチコミ:90件
戦国時代初期 北条早雲が攻め込んで相模国の三浦一族;三浦道寸,義意は敗北したのですが、その居城したのが[新井城(跡)]…相模灘の油壺湾/小網代湾に囲まれた油壺半島全体の城;自然の要害です☆ 表紙の写真は小網代湾側の<2本の石碑>;右側は`新井城碑`,左側は`海蔵寺開基武勇之本地址(網代山海蔵寺の縁起;道寸.義意に建立,親子の名前が石碑に)♪ サブの写真は油壺湾側の<由来と城跡>を,,
鎌倉時代にも三浦一族は滅んだのですが、佐原義連(三浦義澄(佐藤B作)の弟)の孫 盛時は相模三浦氏として`三浦氏`を再興して、鎌倉時代/室町時代/戦国時代初期で三浦道寸,義意の時に再度滅んだですネ(._.)
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2022/06/12
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