永福寺の本堂は釈迦堂
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- 旅行時期:2022/01(約4年前)
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by ドクターキムルさん(男性)
鎌倉 クチコミ:61件
鎌倉市二階堂にある永福寺跡は源頼朝存命中は「亀ヶ淵」と呼ばれた場所にあり、頼朝が新たにした鎌倉の鶴亀の亀に当たる。
鶴岡八幡宮、勝長寿院と並んで鎌倉時代に頼朝が創建した三大寺院の一つという認識があるが、鶴岡八幡宮と永福寺は「寺」よりは低い「院」とは一線を画する。
『吾妻鑑』には本堂を「二階堂」としているが、これは可笑しいだろう、本堂は「釈迦堂」であり、両翼に「阿弥陀堂」と「薬師堂」が控えている。
しかし、その本堂は、湘南工科大の復原CGとは全く異なった二階建てであったために、建久3年(1192年)の創建後まもなくから「二階堂」と呼ばれるようになり、およそ100年後に『吾妻鑑』が編纂された頃には「釈迦堂」の名が完全に消滅して「二階堂」となってしまっていると考えるべきである。
源義経や藤原泰衡など奥州合戦の戦没者を弔うために建立したものであるが、「釈迦堂」は奥州平泉の中尊寺二階大堂を模して建立されたと伝わるが、池は毛越寺や無量光院など平泉の諸寺を模している。
また、永福寺の宗派は天台宗で、山号は「亀淵山」であった可能性が高いであろうか。
鎌倉殿の13人の一人である藤原行政は、この周辺に邸宅を構えたことで早くから「二階堂」を名乗っている。
また、頼朝存命中から鎌倉では大木事業が行われ、禅宗が鎌倉に入る以前から、この永福寺のように、伽藍の裏手や二階堂川から立ち上がる経塚山の崖面が見られる。
- 施設の満足度
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- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2022/01/21
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