仏教の守護神とされる毘沙門天を祀る神社です!
- 3.5
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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by hiroさん(男性)
三軒茶屋・駒沢 クチコミ:1件
『三宿神社』の創建は不詳とされていますが、かつて現在の世田谷区三宿2丁目に存在していた「多聞寺」(本尊:毘沙門天)が明治初期に発生した「廃仏毀釈」の影響を受けて廃寺となり、その境内の一部跡地に残された「毘沙門堂」を本殿として転用するとともに1885年(明治18年)に本殿の前面に拝殿を建立して廃寺から『三宿神社』と称する神社になっています。
ちなみに「多聞寺」が廃寺となるきっかけとなった「廃仏毀釈」は、1867年(慶応3年)の「大政奉還」により成立した新政府の神道と仏教の分離する目的として1868年(慶応4年)に公布された「太政官布告(通称:神仏分離令)」および1870年(明治3年)に神道を国教と定める詔書「大教宣布」が公布された政策を拡大解釈することで仏教文化の破壊活動などに発展した総称となります。
『三宿神社』の御祭神については、当時の東京府に神社として申請する際の申請書に御祭神を「毘沙門天」と記載して提出されていますが、「毘沙門天(多聞天の別名)」が仏教における守護神であり東南西北の四方を守る天部の仏神として「四天王」(東:持国天、南:増長天、西:広目天、北:多聞天)の一尊に数えられる武神であるため許可が下りず、祭神を神道における「八百万の神」であり「日本神話」に登場する「大物主神」に訂正されていますが、本殿には廃寺となった「旧・多聞寺」の本尊でもあった「毘沙門天(木像)」が安置され、その後に詳細不明ですが「旧・多聞寺」のころから境内にあったとされる稲荷社の「宇迦能御魂命」が御祭神として合祀されています。
昭和時代になると太平洋戦争時の空襲により「毘沙門天(木像)」は被災を免れたものの本殿および拝殿が焼失しており、1949年(昭和24年)に郊外にあった「元・軍需工場」の社殿を譲り受けて本殿が再建され、1967年(昭和42年)に拝殿が建立されています。
今回は、「三宿」周辺エリアを訪れ「烏山川緑道」沿いを歩いていた際に『三宿神社』参道の大鳥居の前に『三宿神社』と並んで「毘沙門天」と彫り込まれた石碑に目が止まり、神社なのに「毘沙門天」となっていることが気になり参拝してみました。
境内には9メートル程度の高低差があり大鳥居をくぐり数段の石段を上りながら二の鳥居をくぐると右手の「神楽殿」(建立など詳細不明)があり、さらに急な石段を上った際頂部に拝殿があり、拝殿の左手に稲荷社また拝殿の裏手に本殿が配置されています。
日曜日の午前中に参拝しましたが、境内には特に見どころとなるものはなく境内は地元の方と思われる人が数名出入する程度の住宅地の中にある緑に囲まれた憩いの場として地元に根付いた神社といった印象でしたが、神社に仏教の守護神とされる「毘沙門天」が祀られている理由などを調べたりして楽しむことができました。
『三宿神社』へのアクセスは、東急田園都市線「池尻大橋駅」西口出入口から西側に徒歩14分程度(約1キロメートル)となる世田谷区三宿2丁目の「烏山川緑道」沿いとなります。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 東急田園都市線・池尻大橋駅西口出入口から西側に徒歩14分程度の烏山川緑道沿いです。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 日曜日の午前中に参拝しましたが、境内は地元の方と思われる人が数名出入する程度でした。
- バリアフリー:
- 2.5
- 境内には9メートル程度の高低差があり拝殿までは急な石段があります。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 境内に特に目立つものはありません。
クチコミ投稿日:2021/10/10
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