「見沼代用水」「見沼通船堀」「芝川」などが交わる重要な場所
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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by RON3さん(男性)
浦和 クチコミ:85件
江戸時代の徳川幕府によるかんがい政策「見沼代用水」から「芝川」につなげる「見沼通船堀」が集まっている場所に立っていて、『水難防止』を祈願するための神社。見た目は小さな祠があるだけの神社ですが、由来を知ると、大切な意味があるのを知りました。
「見沼代用水」は「東縁」と「西縁」があってその水位は低く、「芝川」の水位までの段差を2段階で調整するために「見沼通船堀」が作られた。
道路の交差点と同じで、交差する場所は事故が多くなるために「水の神様」を祀ったとのこと。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/08/29
いいね!:7票
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