御茶ノ水のシンボル的な橋梁です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約4年前)
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by hiroさん(男性)
神田・神保町 クチコミ:3件
『聖橋(ひじりばし)』は、JR中央本線・総武本線「御茶ノ水駅・ホーム」と「神田川」および「外堀通り(都道405号)」の上空を跨ぎ、千代田区駿河台4丁目(南側)と文京区湯島1丁目(北側)を南北に結ぶ「本郷通り(都道403号)」の橋梁(橋長:79.3メートル、幅員:22メートル)であり、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」の翌年に始動された政府主導の「震災復興計画」を基に「震災復興橋梁」として1927年(昭和2年)に架橋され、現在も「御茶ノ水」のシンボル的な橋梁となっています。
『聖橋』の特徴は、橋長およそ79.3メートルのうち、「神田川」上空部分のおよそ36.3メートルの区間が放物線を描くコンクリートアーチの内部に鉄骨(メラン材)を用いた「メラン工法」が採用されており、建設当時としては国内最大級となる「鉄骨コンクリートアーチ橋」であるとともにアーチ部分の上部に設けた柱で桁部分を支える「開腹アーチ」とすることで橋梁の側面部分が「神田川」水面からの景観を最も美しく橋梁の存在感を高めるデザインとなっています。
2017年度(平成29年度)には、「土木学会」による土木遺産の顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的として2000年度(平成12年度)より認定制度が始まった「土木学会選奨土木遺産」に認定されています。
また橋名の由来は、南側橋詰方向に位置する「東京復活大聖堂(通称:ニコライ堂)」と北側橋詰方向に位置する「湯島聖堂」を結ぶ橋梁であることから当時の「東京市」による一般公募により『聖橋』と命名されています。
ちなみに「東京復活大聖堂(通称:ニコライ堂)」は、1891年(明治24年)に当時の国内最規模となる本格的な高さおよそ35メートルのドーム屋根が特徴的なビザンティン様式教会として竣工し、1962年(昭和37年)に国の「重要文化財」に指定されています。
「湯島聖堂」については、徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」により1690年(元禄3年)に儒学の振興を図るための「孔子廟」として創建され、徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)に幕府直轄学校である「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が開設されています。
1922年(大正11年)には、「湯島聖堂」として国の「史跡」に指定されたものの翌年に発生した「関東大震災」により焼失し現在の建物は、1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたものです。
『聖橋』周辺の谷のようになっている「神田川」の地形は、江戸時代初期に「江戸城」周辺の洪水対策として放水路とするために徳川幕府が仙台藩初代藩主「伊達政宗」に命じて台地を開削して人工的に整備されたことから「仙台堀」とも呼ばれるもので「神田川」水面から『聖橋』路面部分までの高低差ある風景は、『聖橋』をさまざまな角度からの写真撮影などで楽しめます。(但し現在は、「JR・御茶ノ水駅改良工事」のため『聖橋』西側の「神田川」上部に工事用仮設構台が設置されています。)
今回は、お茶の水周辺に立ち寄った際に「外堀通り(都道405号)」から、2018年(平成30年)に完了した「聖橋長寿命化工事」によって補修された『聖橋』アーチ部分のコンクリート表層がつやのある奇麗な仕上がりになっていたので『聖橋』東側部分を写真撮影をしましてみました。
そのほかに『聖橋』の東側は、JR・中央本線および総武本線とあわせて東京メトロ・丸の内線が「神田川」部分で地上を通過して3路線を同時に撮影できる撮影スポットでもありお薦めできます。
機会があれば、「JR・御茶ノ水駅改良工事」が完了し「神田川」上部の工事用仮設構台が撤去されたのちに『聖橋』とともに改良工事後のJR「御茶ノ水駅」の風景を写真撮影して楽しみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR御茶ノ水駅・聖橋口改札または東京メトロ・新御茶ノ水駅B1・B2出口からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 本郷通り(都道403号)に架かる橋梁で段差は本郷通りに段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 1927年(昭和2年)に架橋された関東大震災後の震災復興橋梁です。
クチコミ投稿日:2020/12/30
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