日野俊基は自衛官・警官・外交官などが殉職・殉死した場合の二階級特進の最初
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by ドクターキムルさん(男性)
鎌倉 クチコミ:61件
葛原岡には日野俊基の墓があり、史跡に指定されている。また、明治21年(1888年)には俊基を祀る葛原岡神社も創建されている。
日野俊基は後醍醐天皇の側近であり、天皇の命を受け、執権北条高時の時代に鎌倉幕府打倒を企てた公家のひとりである。企てが事前に漏れ京都で捕えらえられたが、一度は赦された。しかし、再び討幕を企て捕らえられ、鎌倉に送られた後、元弘2年(1332年)、この地で斬首された。
日野俊基の墓前には、「贈従三位日野公墓碑銘」石碑(明治17年)が建っている。
日野俊基の生前の階位は従四位下であったが、明治17年になって従三位が贈られた。
死後約550年後の4階級特進(従四位下→従四位上→正四位下→正四位上→従三位)である。
現在、警察官や自衛隊隊員、外交官などが殉職すると慣例で2階級特進する。
元々、旧日本軍の規定には4階級特進まであったことに起因する。
しかし、4階級特進が実施された例はこの日野俊基だけであろう。
律令制下においては三位以上を公卿とすることから、四位の中級貴族が神社に祭られるのであるからそれ相応の階位、従三位が必要と思われたのであろう。
(https://4travel.jp/travelogue/10599171)
場所:源氏山公園(葛原岡神社手前)
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クチコミ投稿日:2020/09/06
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