日本道路網の起点となるシンボル的な存在です!
- 4.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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by hiroさん(男性)
日本橋 クチコミ:18件
『日本国道路元標』は、神田川から分岐して隅田川に合流するまでの千代田区および中央区の区間を流れる河川延長がおよそ4.8キロメートルとなる一級河川「日本橋川」の中央区に架かる橋梁として、1911年(明治44年)に竣工したルネッサンス様式の石造二連アーチ橋「日本橋」から各地に延びる7本の主要国道(国道1号:大阪府大阪市まで、国道4号:青森県青森市まで、国道6号:宮城県仙台市まで、国道14号:千葉県千葉市まで、国道15号:神奈川県横浜市まで、国道17号:新潟県新潟市まで、国道20号:長野県塩尻市まで)の起点となるポイントを示した標識として設置されています。
日本道路網の起点となるシンボル的な存在の『日本国道路元標』が「日本橋」に設置されるきっかけとなったのが、江戸時代の徳川幕府により1601年(慶長6年)から1624年(寛永元)年にかけて江戸と全国各地を結ぶ「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)が整備され、1604年(慶長9年)に木造太鼓橋「日本橋」が重要街道である「五街道」の起点として定められたことで、徳川幕府の地誌書「御府内備考」に”この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ”との記載が残されています。
明治維新後の明治政府も政治の中心地を東京として江戸時代に整備された「五街道」を中心に道路整備が進められ、1873年(明治6年)に『道路元標』の前進となる「里程元標(りていげんぴょう)」を当時の府県庁所在地などに設けることが定められています。
現在の『日本国道路元標』は、1972年(昭和47年)に都電廃止後の道路改修に伴い「日本橋」の中央に位置する道路中央センターラインに埋め込まれた一辺が50センチメートル四方のブロンズ製プレートで当時の内閣総理大臣「佐藤栄作」氏による『日本国道路元標』の文字が刻まれており、1928年(昭和3年)に東京市であった当時の市電用架線を懸架するための支柱として兼用されていた『東京市道路元標』は、現在の『日本国道路元標』のレプリカが設置されている「日本橋」北西の橋詰め部分に整備されている「元標の広場」(東京メトロ「三越駅前」B5出入口の直ぐそば)に移設されています。
ちなみに『東京市道路元標』は、技術的・デザイン的に優れた明治期を代表する現役の石造アーチ道路橋で重厚な装飾品(麒麟像・獅子像)が施されている「日本橋」とともに1999年(平成11年)に国の重要文化財に指定されています。
普段は特に気にすることも無く「日本橋」を通行していますが、今回は、日本橋で待ち合わせをした際に少し時間があったので「日本橋」の橋詰め廻りに整備されているの4つの広場(元標の広場・乙姫広場・花の広場・滝の広場)などを散策しながら「日本橋」をぐるりとひと廻りして、江戸時代より全国各地を結ぶ「五街道」の起点として活気のあった「日本橋」について改めて歴史を学び楽しむことができました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ・三越駅前のB5出入口の直ぐそばです。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 元標の広場にあるレプリカと東京市道路元標の前で立ち止まる人が数名います。
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 本物は日本橋の中央部分となる道路中央センターラインに位置し近くで見ることができません。
クチコミ投稿日:2020/05/30
いいね!:4票
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