大祭日の秩父神社・西武秩父駅前は、日中から大勢の人出でした!
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- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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by hiroさん(男性)
秩父 クチコミ:6件
『秩父夜祭』は、第10代天皇「崇神(すじん)天皇」の時代(紀元前)に初代「知知夫国造(ちちぶのくにのみやつこ、ちちぶこくぞう)」である「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」が、祖神の「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」を祀ったことが始まりとされる「秩父神社」の例祭(毎年12月1日から6日間)であり、「祇園祭」(京都)、「飛騨高山祭」(岐阜)と共に「日本三大曳山祭」のひとつに数えられ、毎年12月2日の宵宮(よいみや)と12月3日の大祭で執り行われる笠鉾・屋台の曳き廻しに能楽を想わせる典雅な神代神楽に勇壮な屋台囃子、盛大な打ち上げ花火の競演などで賑わいのある祭りです。
その歴史は、江戸時代の第4代将軍「徳川家綱」の時代である寛文年間(1661年~1672年)に祭りが存在していたとされる記録が残る300年以前から受け継がれている祭りで、花火の打ち上げは1906年(明治39年)から始まっています。
『秩父夜祭』で曳き廻しされる豪華絢爛な笠鉾(2基)・屋台(4台)は、別名「動く陽明門(日光東照宮)」とも言われ1962年(昭和37年)に国の「重要有形民俗文化財」に指定、笠鉾(2基)・屋台(4台)による舞台行事と神楽が1979年(昭和54年)に国の「重要無形民俗文化財」に指定されるほか、2016年(平成28年)に『秩父夜祭』を含む「山・鉾・屋台行事」の33件が「ユネスコ無形文化遺産」に登録されています。
「秩父神社」の6日間におよぶ例祭の内容は、1日目に「秩父神社・本殿」で例祭に先立ち清祓(きよはらい)や祭事が無事に行われるよう祈願祭が執り行われます。
2日目には、宵宮(前夜祭)として御神馬奉納の儀、神楽奉奏、秩父市中心街で4台の屋台の曳き廻し並びに長唄を奉納する「曳き踊り」などが披露され夜になると花火の打ち上げが20時頃まで行われます。
3日目は、祭りのメインとなる大祭として日中に御神馬宮詣、神楽奉奏、例大祭祭典が「秩父神社」で、秩父市中心街で笠鉾・屋台の曳き廻しが執り行われます。
夜になると神幸祭として秩父市中心街を神輿・御神馬・大真榊などをはじめとする神社行列を先頭に豪華絢爛な2基の笠鉾・4台の屋台を賑やかなお囃子、掛け声と共に曳き廻し、2基の笠鉾・4台の屋台が「武甲山」の男神と「秩父神社」の女神が出会う場所とされる「御旅所(おたびしょ)」(秩父市役所・市民会館、秩父歴史文化伝承館前の秩父公園)に勢揃いするころ冬の夜空に花火の打ち上げが執り行われ22時頃が祭りのピークとなります。
4日目に養蚕のお祭りである「蚕糸祭」、5日目に商工業関係者による「交通安全・産業発展祈願祭」、6日目の「新穀感謝祭」および「例祭完遂奉告祭」がそれぞれ「秩父神社・本殿」で執り行われ6日間の例祭が全て終了します。
今回は、特に計画も立てずに例祭3日目の大祭に当たる日の午後に西武鉄道を利用して「西武秩父駅」から「秩父神社」を中心に秩父市中心街をぶらぶらと散策して廻りました。
「秩父神社」下境内には2基の笠鉾の内「下郷笠鉾」が待機しており、屋台の両脇に張出舞台をつけて演じられる「屋台芝居(歌舞伎)」の上演、神楽殿では「神代神楽」の上演が行われ、大勢の人達で賑わっており社殿に参拝するのも長い行列ができていました。
豪華な造りの「下郷笠鉾」は、江戸時代初期に造られたもので日光が当たり金箔が輝く光景を間近で見ると圧倒されました。
日が暮れるにしたがい秩父市中心街には、『秩父夜祭』見物を目的とした人達が「西武秩父駅」から徐々に増え始めており上り特急電車のキップも完売状態だったので夕方の臨時列車で帰宅しました。
機会があれば『秩父夜祭』メインである大祭・神幸祭の見所とされる笠鉾・屋台が「御旅所」に向かう途中で秩父鉄道の踏切を横断するために踏切部分電車の架線が一時撤去される「御花畑駅」付近から「団子坂」を上がって「御旅所」に勢揃いした豪華絢爛な笠鉾・屋台と打ち上げ花火は競演は是非観てみたいと思います。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 西武線・池袋駅から西武秩父駅まで特急で1時間20分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 大祭日は日中から大勢の人出でした。
- 雰囲気:
- 5.0
- 豪華絢爛な笠鉾・屋台に圧倒されます。
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/05/11
いいね!:4票
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