番町文人通りには、有名な文人の住居跡や学校の跡の標識が、置かれています。
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約6年前)
-
by さいたまさん(男性)
四ツ谷 クチコミ:70件
番町文人通りには、有名な文人の住居跡や学校の跡の標識が、置かれています。
市ヶ谷駅から、日本テレビ通りを南側に進むと、文人通りと交差します。
日本テレビの建物の北側角の通りが、番町文人通りです。
著名な文人の住居跡がありますが、今回は、明治女学校跡について紹介いたします。
日本テレビの北側角の交差点から、50mほど西側に、明治女学校跡の標識が立てられています。
標識の説明によると、明治女学校は、羽仁もと子や野上弥生子等を始めとする明治時代以降に活躍した女性を、多数輩出した有名な女学校です。
女学校自体は、明治18年から明治41年まであったようですが、番町文人通りに校舎があったのは、明治25年(1892年)から明治29年(1896年)の4年間だったそうです。
やや短いようですが、その間、日本の女性の地位の向上に貢献するような活躍をした卒業生が、多数卒業したり、学んだとのことです。
その面から、明治女学校の果たした役割は、大きなものがあったようです。
日本女性が、社会で活躍し得る環境は、十分ではなかった時代での活動には、大変な苦労があったものと推察しています。
それらの制約を克服して、頑張られた先人の女性に、敬意を払うべきと感じております。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2018/08/24
いいね!:0票