一番最初の島流しにされた宇喜多秀家の像
- 4.0
- 旅行時期:2018/04(約6年前)
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by ごろちゃんさん(男性)
八丈島 クチコミ:24件
宇喜多秀家公と豪姫の碑が南原千畳岩海岸にありました。
僕が岡山の生まれなので西大寺の付近から出て、
長船に黒田官兵衛の祖祖父の墓と同じ場所に祖父か祖祖父の墓があり岡山城主で
関ヶ原の西軍の副大将だったので八丈島に流された、ということは知っていました。
関ヶ原の後は丹波亀山城主、筑前名島城主の小早川 秀秋が備前岡山城主になり、
1602年に21歳で死に、池田家が城主になり昭和天皇の第四皇女厚子様が嫁ぎ
現在も池田牧場として池田の名が残っており後楽園を造ったのも池田の殿様です。
八丈富士を背景に秀家は岡山の方向を見ているのでしょうか?
豪姫と並んでいました。
岡山県人には岡山城主は池田の殿様で、宇喜多家はなじみが薄く、
卑怯な成り上がり者のイメージがあるのでいいイメージは持っていなかったが
八丈島に来て、この像を見たり、住居跡、お墓を見て、
83歳までここで生きたと知ると、やはり岡山の人だったので
興味があり、かわいそうにと同情し、豪姫が前田家の人と知り、
西軍では重要な役割をしていたのだなということがわかりました。
豪姫は八丈島には行かなかった、行けなかったそうです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2018/06/17
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