徳山港沖合いにある島です。
- 5.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
徳山・周南 クチコミ:5件
徳山港からフェリーで約40分の大津島。関西人だと普通に〝おおつしま〟と呼びそうですが、地元では〝おおづしま〟と濁ります。4.73平方キロメートルの小さな島はふたつの島が400年程前にくっついて今の形状となったようです。7つの集落約400名の人口はあれど、高齢化の進む限界集落と化しているため、島にある小学校・中学校も休校となっています。
しかしこの島には第二次世界大戦末期に帝国海軍が悪化する戦況の起死回生を図るべく開発した人間魚雷回天の訓練基地が設けられました。戦闘機の搭乗員を夢見て志願した若者も搭乗する飛行機も既になく、お国のためと
集まって来た者達も大勢いたようです。
開発当初は脱出装置のない回天の兵器採用を拒んでいた大本営も、結局はなし崩しに認めることとなりました。しかし武器として開発した93式酸素魚雷をベースにした回天は、最後まで搭乗員の脱出装置が不完全なまま実戦に投入されることとなり、訓練中の殉死を含め多くの犠牲者を出す結果となります。
戦時中の回天の成果はともかく、死への片道切符でしかない兵器に対し是非論はあるでしょうが、方法はともかく搭乗員となった若者は家族や国の未来を憂い、ひとつしかない命をかけたに違いありません。その事実は変わることのない事実です。
興味本位で訪れる場所でもなく、また気軽に訪れることができる場所でもありません。また回天由来の史跡を訪ねるにも、脚力・体力に自信がなければ難しいかと思います。小さな島ですが、標高の最も高い鬣山山頂は約150mとなっており、馬島港から回天記念館を経由し鬣山山頂、そして下りに魚雷見張り場跡からトンネルを潜って魚雷発射場を経て馬島港までのルートは思いの外急勾配の上り下りのように感じました。
こじつけかも知れませんが大戦末期に回天搭乗員となるために若者達が昼夜訓練のために使ったであろうコースを歩くことでその苦労を知ることができるのではないだろうか?そう思えてなりません。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 徳山港からフェリーで40分程です。
- 景観:
- 5.0
- 自然と歴史に触れることができます。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日は観光客はほぼいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 山あり谷あり。
クチコミ投稿日:2018/04/30
いいね!:11票
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