幕末にロンドン大学で学んだ長州ファイブの一人
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- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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by tadさん(男性)
湯田温泉 クチコミ:6件
津和野の帰りに、湯田温泉駅におりて、湯田温泉に行く途中、道路わきにある狭い井上公園に立ち寄った。昔はもっと素朴な場所だったが、今は井上薫像がたっているだけではない。。なにしろ、種田山頭火や中原中也の碑まで並んでいる!足湯まで作ってある。子供の遊具や公衆トイレもあり、なんだか、ごてごてと落ち着かない井上公園の中に井上薫像は立つ。井上公園と名付けておきながら、これでは井上薫も浮かばれないのではないか。。。
ただ、幕末の七卿落ちの際、一時、三条実美らが滞在したという井上家の一部の復元があり、七卿落ちの立派な碑があるのは納得だ。
井上薫は伊藤博文とともに、ロンドン大学から急遽帰国した後、英国など4か国との長州藩の戦いをやめさせようと藩主たちを必死で説得したのだが、誰も聞く耳をもたず、井上薫がこの地で、逆に襲われた。瀕死の重傷だった。
長州藩は、吉田松陰の周囲にいた少数の人達を除けば、藩主も側近達も国際情勢にはかなり無知だったのだろう! 毛利の藩主たちに、唯一感心するのは、長州ファイブを留学させる莫大な資金を出したことだろう。実際、ロンドンに行った井上薫、伊藤博文、それに上海に行った高杉晋作(それに木戸孝允)が長州にいなかったら、蛤御門の変の後、倒幕の動きは鎮まっていたただろう。
今回、気が付いたのだが、井上公園内に、所郁太郎という人の碑があり、瀕死の井上薫のところへ、この若い医者がかけつけて、50数針を縫う大手術をして井上薫を救った。井上薫は最初の外務大臣となり、81才まで活躍したが、治療した方の所郁太郎は26才の若さで死んでいる。美濃の国の人。所郁太郎は、七卿たちの移動の際も、医者として同行したり、さらに高杉晋作の挙兵の際も、参謀として参加しているとのこと。大変な人物だ。昨年ここに立ち寄った時は、夕方で暗くて気が付かなかった。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2017/09/10
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