魚雷での特攻…。
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- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
徳山・周南 クチコミ:5件
第二次世界大戦末期、戦況が悪化の一途を辿る中に於いて海軍士官により〝魚雷〟を人が操縦する特攻兵器〝回天〟が作られました。元々海軍工廠に於いて過剰となっていた〝93式酸素魚雷〟に操縦席をつけたものですが、直径僅か1mの操縦席は大変狭く、構造上の制約なども多々あった〝不完全〟なものでした。元来の93式魚雷の倍の炸薬を搭載し、搭乗員もろとも体当たりする典型的な〝特攻兵器〟でした。
当初は搭乗員の脱出設備をつけないことには兵器としての許可は出せないと上層部は言っていたにも関わらず、その問題を解決できぬまま兵器採用されています。母艦となる潜水艦に搭載されて戦地へと赴き、命令によって発射された回天は、例え目的艦にたどり着けなくても回収する手段がなく、発射=死につながるとんでもないものでした。それに加えて取り扱いの難しさから訓練時の事故も多く殉職者も出ています。
起死回生の原動力とされた回天の戦果は、撃沈にまで至ったのは給油艦・歩兵揚陸艇・駆逐艦の3隻に留まっています。それに対し殉職を含む戦死者数は143名、平均年齢21.1歳の若者が海に散って行きました。
山口県大津(おおづ)島、瀬戸内海に浮かぶ小島のひとつです。回天記念館は馬島小学校の上に昭和43(1968)年11月20日にオープンしました。その後平成10(1998)年11月8日にリニューアルし、今日に至っています。回天に纏わる品々が多々展示されている他に、特攻出撃して戦死された隊員の思い出の品々が所狭しと並んでいます。
館内の展示を見て思うことも多々あったのですが、それより何気に外に建立されている〝回天〟の碑や、正門から記念館入口に至る通路の両端に並ぶ回天戦死者の記名板の数に圧倒されました。島の高台にあるため穏やかな瀬戸内海が眼下に広がっている様子を堪能できますが、その反面70余年前にはこの大津島は特攻の島だったことを忘れてはならないと改めて気付きます。今更戦争の是非論は言うまでもないことですが、それはそれとして戦時中には家族や国を想い、自らの命を懸けて出撃した若き青年達が確かにいた〝史実〟を伝えなければならない…。改めてそう思いました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 馬島港から徒歩15分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 入場料は安いと思います。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ふたり程おられました。
- 展示内容:
- 5.0
- 心を打たれます。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープは切ってあります。
クチコミ投稿日:2017/06/12
いいね!:5票
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