国の重要文化財呉鎮守府司令長官官舎が中心となっています。
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- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
呉・海田・安浦 クチコミ:12件
入船山公園北に位置する入船山記念館、国の重要便家財呉鎮守府司令長官官舎が中心となっている〝軍都呉〟を知ることができる記念館です。日露戦争の日本海海戦に於いてロシアのバルティック艦隊を撃破した連合艦隊司令官東郷平八郎が、呉鎮守府参謀長だった際に滞在していた〝東郷家住宅離れ〟がまず入口で出迎えてくれます。そして呉市電の敷石を歩くと復活した〝旧呉海軍工廠塔時計〟があり、その他往時を偲ぶ遺構が移設建立されています。
メインの呉鎮守府司令長官官舎は、初代に建てられたものは明治38(1905)年6月の芸予地震で倒壊し、同年中に倒壊材を利用して建て直されたものが現庁舎となっています。戦後戦後昭和31(1956)年までイギリス連邦占領軍司令官官舎として使用された際に壁紙をペンキで白く塗って白壁としていました。記念館として生まれ変わった時には、その白壁の建物が使われていましたが、平成に入り初代の司令官官舎の図面が見つかったことにより復元が決定し、館内の装飾として用いられていた〝金唐紙〟も復元された後、幾度かの改修を経て現在に至ります。
和洋折衷の建物で手前が洋館となっており、廊下でつながった奥が和館となっています。迎賓館としての役割もあったため、洋館部分は当時流行りの〝イギリス風半木骨造(ハーフティンバー様式)〟が採用されている他、ステンドグラスや家具もイギリスで誂えたものとなっています。その反面住居として使われた和館部分は質素なつくりとなっており、そのギャップが多忙だった司令長官の〝スイッチ〟の切り替えに役立っていたようにも思います。
戦後接収していたBCOF(イギリス連邦占領軍)が〝金唐紙〟をペンキで白く塗っていた時期があったということ。呉でも目立っていた〝呉鎮守府司令長官官舎〟の面影を〝消し去る〟ために行われたように思えてなりません。戦勝国と敗戦国の立場であれば仕方がないこととされるのかも知れませんが、歴史ある建築物を見せしめのように扱うことには賛成しかねます。国と国との関係で威圧的態度や自国の文化に〝すり替える〟ことによって〝見た目〟は変えられても、心までは変えられない…その象徴のように感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大和ミュージアムから徒歩10分程。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 大和ミュージアムの入場券提示で200円となります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- パラパラとは人はいました。
- 展示内容:
- 5.0
- 激動の時代を生きてきた感が伝わってきます。
- バリアフリー:
- 3.0
- 入口には段差がありました。
クチコミ投稿日:2017/06/08
いいね!:9票
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