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新府城跡

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武田氏最後の城

  • 4.0
  • 旅行時期:2017/04(約9年前)
taktak99さん

by taktak99さん(男性)

韮崎 クチコミ:3件

 新府城は、武田勝頼が織田・徳川連合との戦いに備える為、それまで本拠だった躑躅ヶ崎館の代わりとなるべく築かれた城。
 父信玄の急死により家督を引き継いだ勝頼は、織田・徳川連合と対立し、戦いを挑むが、長篠合戦で大敗を期し、窮地に陥る。
 躑躅ヶ崎館では、外敵による総攻撃を迎え撃つには不充分と勝頼は判断。1581年に韮崎の地に築城を開始し、翌年にはほぼ完成。新府中韮崎城と命名し、移住する。
 移ってから僅か68日後、織田軍が甲斐国へ進軍したと知った勝頼は家臣小山田信茂の岩殿城に移る事を決め、完成したばかりの城に火を放つ。岩殿城に向かう途中で信茂の謀反に遭い、天目山へ追い詰められた勝頼は、嫡男信勝や正室北条夫人と共に自害。
 新府城は、一時は徳川家康に利用されるが、甲府城が甲斐の政治的中心地となると不要となり、廃された。

 新府城は、JR新府駅から徒歩20分程度離れた小山にある(途中、見通しが悪い上に通行する自動車が猛スピードを出す県道を横断する必要がある)。
 城跡には藤武神社が建立されている。
 土塁や曲輪は、現在もかなり残っている。
 現存建築はなく、草木が生い茂るだけの空間で、まさに「兵どもが 夢の跡」の状態。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
4.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2017/05/28

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