内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主であった方のお墓です
- 4.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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by gardeniaさん(女性)
四ツ谷 クチコミ:45件
「高松喜六」氏は、江戸時代前期の町人であり、江戸浅草阿部川町の名主であった方ですが、新しい宿場開設を幕府に願い出て、「内藤新宿」をひらき、江戸時代の五大道の一つである「甲州街道」をとりしまる名主となった方です。(甲州街道は東京中心部で言えば現在のJR中央線とほぼ同じ位置です)
この方のお墓が、若葉二丁目の「愛染院」にありました。
全く存じ上げないお名前でしたが、偶然立ち寄った寺院でお墓を拝見したことから、興味を持って自分で調べるきっかけになったので、訪問して良かったと思います。
今回学んだことは、きっと中央線に乗る度に思い出すと思います。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2017/04/08
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