徳川斉昭の懐刀だった藤田東湖をしのんで・・・
- 4.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by すぶたさん(女性)
神楽坂・飯田橋 クチコミ:18件
藤田東湖は水戸徳川家九代藩主の徳川斉昭の懐刀として活躍しました。
烈公とも呼ばれる斉昭の時代は、黒船がきたりと何かと大変な幕末でした。
優れた政治手腕を持つ藤田東湖は、
志ある若者が江戸の来たらお目にかかりたいといわれるほどでした。
しかし、安政2年10月2日(1855年)に発生した安政の大地震に、
一旦は非難したのですが逃げ遅れた母を救うためにもう一度戻って、
母を救って自分は死去したそうです。
藩邸跡にあった石碑は白山通りの拡張工事で小石川後楽園へ移されました。
それだけ、水戸藩への忠義と業績が素晴らしかったのでしょう。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 小石川後楽園内
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 1.0
- かなり石段を登らないといけない
- 見ごたえ:
- 4.0
- 立派な石碑
クチコミ投稿日:2016/12/13
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